ギルドの業務
アスガルを夜空が照らし、波打つ海面に月と【楽園】が映り込む。
スライム討伐を終え、着替えたレノとギルドに帰ったユキナは早速受付に足を運ぶ。
「おかえりなさいユキナちゃん、新米くん」
二人をルイは笑顔で出迎え、ユキナの機敏な変化に眼を細めた。
心ここに在らず。何かに怯えるような瞳。
ユキナからそう感じ取ったルイは笑みを崩さず、結論を伝えるよりも速く受付窓口の奥から影が現れた。
ゴリラのような大柄で強面の男性に、ユキナが駆け寄る。
「支部長」
「久しぶりだな」
丸太のように太く鍛えられた腕がユキナの頭に伸ばされ、武骨で大きな手が彼女の頭を撫でる。
気持ち良さそうに眼を細めるユキナ。
それがレノには意外に見え、同時に支部長に嫉妬の念が浮かぶ。
溢れ出る嫉妬に燃え上がるレノを尻目に、ルイは支部長に微笑む。
「ゴリラ支部長、居たんですか」
上司に対してわざと見た目通りの名を呼ぶ。
「ゴリラ言うな。ゴリス支部長だ」
「一字違いじゃないですか。それよりもお話しが有るのでしょう?」
ルイは業務用の笑顔を貼り付け要件に移った。
有能かつギルド最高戦力のルイにゴリスは注意しても無駄と諦め、ユキナの頭から手を離す。
「新米冒険者とユキナに今回の一件について詳細報告を求める」
そう言ってゴリスは二人に支部長室まで同行を求めた。
簡素で花の一つも飾られない寂しい支部長室。
部屋の中心に置かれたソファにルイとゴリスが座り、向かいにユキナとレノが座る。
普通ならただのスライム討伐の報告で冒険者を支部長に呼ぶ事は無い。
ここに呼ばれるのは、神聖国イーリスから功績を讃えられる場合。
ギルドの規約を逸脱した冒険者に処遇を通達する場合。
そして冒険者が受理したクエストに事件性が発覚した場合だ。
そもそも何の前兆も無くスライムが地下水路に大量発生するなど有り得ない。
地下水路管理局という水質に対し些細な変化も見逃さない彼らが前兆に気付かない訳がない。
だからこれは悪態目的の愉快犯。冒険者なら新米程度で簡単に対処可能な魔物を用いた犯行だとルイは推測した。
ルイがこの場に同席してたのは、答え合わせと提出する報告書のため。
そしてルイは酷く緊張した様子のレノに眼を向ける。
「俺が聴きたいのはスライム討伐の最中、何か痕跡らしき物を見なかったかどうかだ」
暖かくも落ち着き払ったゴリスの問い掛けに、レノはゆっくりと息を吸い込む。
やがて頭の中で状況を整理したのか、
「スライム大量発生の原因となる痕跡は何も見なかった」
簡素に答えた。
しかしルイはユキナの手が僅かに震えているのを見逃さなかった。
付き合いが長いゴリスも彼女の些細な変化に、
「ユキナは何を見た?」
静かに問い掛ける。
ユキナはゴリスとルイの眼を、涼やかな眼差しでしっかりと見つめながら答えた。
「壁に血文字」
そういえば、と思い出したようにレノがそこに書かれていた文字を口にする。
「『エデンに栄光を』なんて訳の分からねえ文字だったな」
何気なく口にされた文字。
しかしその言葉は、何も知らない者からすれば意味の無い文字で連想するのは空に浮かぶ砕けた天体とお伽噺だろう。
かつて神々の住いと言われた【楽園】は遥か昔に砕け、地表に降り注いだ。そして世界は滅亡したというお伽噺話し。
逆に意味を知る者にとっては忌まわしき過去であり、神聖国イーリスにとっても決して無視できない文字だ。
「……そうか。報告ご苦労」
ゴリスは二人にそれだけ伝えると立ち上がった。
もうこれで今回の件は終わりだ。そう意思表示を行動で示した彼に、レノが立ち上がる。
「待ってよ。スライム討伐と壁の血文字に何の因果関係が有るって言うんだ?」
「……結論から言えば因果関係も事件性も無い」
ゴリスは最大限配慮した上でレノに自らの判断を伝えた。
国営によって運用されている冒険者ギルドの支部を預かる長に対し、新米のレノには何も言う事ができない。
「なんか釈然としないが、行こうぜユキナ」
「ん」
要件も済んだとしてユキナとレノが離席し、支部長室から退散した。
後で報酬を渡さなければならない。残った業務に息を吐き思考を切り替える。
スライム大量発生と壁の血文字。そして時を遡り一ヶ月前から何者かが暗躍している痕跡がクエスト報告に寄せられていた。
ゴリスは彼に事件性は無いと伝えたが、それは紛れもない嘘だ。
その最たる例がゴブリンの魔障壁の使用だろう。
魔障壁を発動させるには魔法陣の構築式と術式を理解しなければならない。
町の防壁として使用される魔障壁の術式事態が国家機密だ。
そして地下水路に使用されている浄化魔法に対するスライム。
恐らく犯人は浄化魔法が生物に作用するのか調べるためにスライムを利用したのだろう。
それに蛇口からスライムが出た時点で犯人の目的は達成された。
浄化魔法は生物に反応しない。あとはポイズンスライムを流し込みでもすれば要人暗殺も可能となるだろう。
暗殺の可能性を考慮しながらルイは犯人について考えた。
「魔障壁を知っていながら浄化魔法に付いては知らない犯人ですか。それとも背後に調べたい者が居る?」
「……浄化魔法に関しちゃ、水質管理省にでも所属しなきゃ分かんねえだろう」
「エデンは国の中核に入り込んでいると言う事ですかね」
「そうだろうな。連中が壊滅して十年になるが、特級犯罪組織の相手は騎士に限る」
「……そうですね。早速騎士団の派遣要請をアスガル伯爵と協議しましょう」
二人は冒険者ギルドの職員として手を打つべく動き出すのだった。
それからアスガル領内に騎士が動く事になり、しばし冒険者は愚か住民に戸惑いと懸念を与えることに……。
今日か明日辺りに三章を更新予定




