第16話 お父様
「サンクティ・ルミナ!」
セレストリアはありったけの魔法を叩き込む。降り注ぐ光芒、大輪の花吹雪、荒れ狂う大波、流星の大群――魔法が次々と悪魔へ叩き込まれる。
だが、悪魔は笑いながらそれをいなした。
「さすが魔法帝国の将軍。その名は伊達ではございませんね」
悪魔は愉快そうに口角を吊り上げ、魔法を繰り出した。むせかえるような毒々しい花嵐が彼女を切り裂く。津波を思わせる大波が飲み込み、黒々とした流星が容赦なく身体を撃ち抜いた。
衝撃に耐えられず、セレストリアは膝をついた。肩で息をする。
「おやおや。大口を叩いた割にはその程度ですか」
骨まで軋むような痛みが走る。血を流しすぎたのか、頭がくらくらする。それでも。
セレストリアは剣を地面に突き立て、柄を支えに立ち上がる。
「……お父様を……帝国を……必ず……っ……守る」
「お前に父と呼ばれる筋合いはない」
冷え切ったその声に、彼女の胸の奥が凍りつく。
「お父様……」
「そう呼ぶなと、言っている」
冷たい声が響く。セレストリアの膝から力が抜けた。かしゃり、と剣が落ちる。
「さあ、陛下。今こそ、化身の復活の時です」
「分かった」
皇帝はレバーを引く。その瞬間、ポットが禍々しく光り輝いた。光はまるで意思を持つようにセレストリアへと伸びる。
「なっ――」
抵抗する間もなく、彼女はその光に飲み込まれた。
あまりの眩しさに目がくらむ。頭の中がかき混ぜられるようだった。
美しかった帝国の風景、シルク・アルル・ノヴァたち三幹部の笑い声、父の手の感触、小さなフィーネの柔らかさ、母の子守唄。
それが突如として色を失い、輪郭が曖昧になって、彼女の中から消えていく。
父を止められなかった悲しみ、ナイトからプレゼントをもらった時の喜び、帝国を崩壊させた悪魔への怒り、父の執務室に押しかけて構ってもらった時の楽しさが、灰色になって、混ざって、消えていく。
もう自分の肩書きも、顔すら思い出せない。
(……私の名前は? 自分は何者だ? ……何も、分からない)
眩い光が彼女に染み込んでいく。透明になったセレストリアは、それに押し流される。……そして、消えた。
目の前の将軍が光に包み込まれる。髪の毛は眩い金色へと変わり、金色の粒子が静かに宙を漂う。皇帝は「アウリナ……」と名前を呼び、彼女に駆け寄ろうとした。白い瞼が開く。その瞳は金に染まっていた。それを見た瞬間、彼は足を止める。
……アウリナの瞳は、空のように青いはずだ。
「久方ぶりの現世じゃ。我を封じた女神の世を、どう料理してくれようか」
彼女はそう言って笑う。アウリナに似た顔だった。なのに、その笑みは憎悪と悪意に染まっている。皇帝は震える声で呼びかけた。
「……アウリナ?」
「なんじゃ、こやつは」
「……アウリナ、私が分からないのか?」
「我が名はルクシアじゃ。神性を捨て、人間となった愚か者と一緒にするでないわ」
目を見開いた彼に、悪魔がゆっくりと拍手を送る。
「おめでとうございます、皇帝陛下。ルクシア様を顕現させるとは。器となったセレストリア様も本望でしょう」
悪魔は愉快そうに目を細める。
「……セレストリア? セレストリアは、まだ十歳のはずだ。それに、光の女神の化身を復活させる、と」
「はて。私はアウリナ様の復活と言った覚えはございませんよ。人間を復活させる魔法など、どこにもございませんのに」
皇帝は息を呑む。追撃するように悪魔は口を開いた。
「皇妃の死から十年経っているのです。セレストリア様は二十歳になられました」
「……十、年……」
「ええ。健気なご息女だ。あなたを慕い帝国に残り、沈みゆく帝国を支え続けた」
「おとうさま、おとうさま」と本を持って自分の後ろをついてきた娘。「粛清はお待ちください」と部下を庇い頭を下げる将軍。
二人の面影が、彼の中で重なった。
「……私は、なんてことを……」
膝から崩れ落ちる。
「……私はただ、また家族で……笑いたかった……だけなのに……」
喉が引き攣る。目の前が真っ暗になる。絶望に押しつぶされた皇帝を、悪魔は「その絶望、実に甘美ですね」と笑って、飲み込んだ。
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