火傷
カルムを出発した。
次の目的地は灰域。街道自体は整備されたままだが、周囲から次第に人の住んでいる気配が消えていく。ルストやカルムの近郊では町の外に畑や果樹園も見られたが、離れるにつれて荒れ地ばかりになっていった。
日々、移動してキャンプ設営して飯食って寝る、の繰り返し。ルーティンが出来てきて生活にリズムが生まれる。カルムの最終日は迷子になってティアに爆発されてしまったが、それ以降は特に叱られる事もなく順調に旅程を消化している。
ある夜中。
馬車の中で寝ていたティアが大声をあげて飛び起きた。体を起こし荒い息をしている。冷や汗が起きた額を濡らしている。
「ティア、どうしましたか?」
起こされた、隣で寝ていたリーネが同じように上半身だけ起こして心配そうに尋ねる。俺もリンも馬車の隅から首だけ起こして二人を見る。
ティアの寝間着の左腕がめくれて肌が露わになっていた。車内の小さな灯りに照らされた手首の少し上の外側には大きな痣。見たところ古そうだ。火傷の痕だろうか。結構ひどいな。
「いえ、なんでもありません」と言いつつも目にはうっすらと涙。リーネはティアを抱き寄せてささやく。
「悪い夢でも見ましたか? 怖い夢はいっそ喋ってしまうと楽になりますよ?」
ティアは黙り込む。そりゃあ悪夢の内容なんて話しにくいよな。俺の夢なんて最近は(検閲済)。
リーネはそのままティアの背中をぽんぽん優しく叩いている。そのまま5分くらい過ぎたところで、ティアがぽつぽつ話し出す。
「私が8才くらいの頃でしょうか。暮らしていた小さな村の地殻炉から火が消えました」
リーネは背中に手をあてたまま聞いている。
「村は暗くなり、寒くなりました。食べ物も次第に尽きました。大人たちは炉を直そうとしたようですが、誰も方法を知りませんでした。神殿も無いような小さな村だったので、隣の村にいた神官様に助けを求めましたがその神官様も知りません。それ以上努力する事もなく、大人たちは諦め始めたんです。仕方ない、と言って」
またこれか。この世界の違和感の根源。命を簡単に諦めてしまう。気持ち悪いことこの上ない。
「私は寒さに耐えかねて、手近な枯れ木を集めて火を点けたんです。それは予想外に大きな炎になって周りに燃え移ってしまいました。その時倒れてきた材木に焼かれたのがこの左手です」
ティアは焼けた手首を持ち上げた。
「私は泣きました。火傷も痛かったんですが、大人たちが生きるのを諦めてしまっているのが悲しかった。でも父も母も困ったような顔をするだけで。それが更に悲しくて。たぶん二人とも泣いた事なんて無かったんでしょう。だから私の涙の理由が分からなかったんだと今は思ってます」
「涙……」
リーネはつぶやく。もしかしたらリーネも泣いた事がないのかも。
「その後、母は私を行商の馬車に乗せて聖都に送り出してくれました。あの時の母の無表情な顔が忘れられません。でも滅びる覚悟の中でも私を送り出してくれたのは、少しだけでも愛情があったからなのかなあ、とも思います」
8才が経験して良い話じゃない。今の話だって12才が分析できるような内容じゃない。きっと修羅場がティアを強制的に成長させてしまったんだろう。酷い世界じゃないか。
「その後は神殿に拾われて巫女見習いになったのはご存じの通りです。でも、感情は悪、という神殿の教えだけは未だに頷けないのです。その悪のせいで私は生き残り、教えに従っていた村の皆は死にました。生きる事は悪なんでしょうか」
「それは……」
リーネも困惑している。ティアの意見は神殿の教えに反する。しかしティアの言っている事も間違っているとは思えない。彼女は何が正しいのか分からなくなっていた。
ティアには悪いが良い機会だ。俺もリーネに問う。
『リーネ、そもそも何故神殿は感情を悪だとしているんだ?』
リーネはこちらを向いて答える。
「ソーマ。神殿が感情を悪としているのは、遙かな昔からそう定められていたからと伝わっています。元々の理由は今では失われていますが、争いを生まないためには必要な事だったとされています」
ティアにも俺の質問内容が伝わるように、質問を繰り返しながら答えてくれている。リーネはやっぱり優しい。
『ふーん。争いが少なくなるのはその通りだろうけど俺にはやり過ぎに思える。一体過去に何があったんだろうな。あとこれが肝心なんだが、ルストでもカルムでも子供は感情豊かに見えた。それなのに大人に感情が無いのは何故なんだ?』
「子供のころの感情が大人になって失われる、それはそういうものなんです。子供の頃の感情は、だいたい5才から10才くらいにかけて希薄になって行きます。別にそういう風に強制している訳ではありません。成長すると自然とそうなります」
そこが分からん。明らかに自然の状態じゃない。そんな進化があるか。んな野生動物いたら即終了だろう。
『もしかしておまえら、遺伝子レベルで感情を抑制するよう改造されちゃってるんじゃないか? 不自然すぎるだろ』
「いでんし、とは?」
そりゃ分からんか。置いておこう。
『すまん、そこはとりあえず置いといてくれ。何にしても。俺は感情を失う事には賛成できん。ティアが人間の正しい姿だ。間違いなく』
ここまでするんだ、昔の人間には余っ程の理由があったんだろう。でもこれはやり過ぎだ。
「ティアが人間の正しい姿、ですか」
ティアが目を見開いて驚いたように俺を見る。
『だいたい、おまえら神殿は『蒼炎のルミナスクロニクル』を何故か信奉してるけど、あれの登場人物なんて感情の塊で理性なんてほぼ無いだろが。矛盾してるとは思わないのか?』
「はい、聖典は確かに感情まみれです。でもあれは旧時代の遺産なのでその辺りは仕方ないとされています。伝えられる中身が大切なのだと。今やほとんどの内容は理解できないのですが」
そんな理解も出来んもの信奉すんなよ。どうなってんだ、だいたい誰があんなのを発掘して聖典扱いしたんだ。排泄物め。
『まったく。まあとにかく。今後俺と一緒にいる間はティアの感情を咎めるのは禁止』
「ティアの感情を咎めない?」
『あとリーネも感情を理解できるよう努めること。難しいかもしれないがな』
そこだけは譲れない。このままでは人間は絶対に滅びる。まずはリーネだけでも。恐らくそれが今後この世界が存続するための鍵だ。
「私も感情を理解しろ、ですか? それはなかなかに難しい事です」
『それは分かる。でもこないだカルムでの最後の日、おまえは不機嫌になって俺をゴミ箱の横に放置していた。リーネも感情が完全に失われてる訳じゃないんだよ』
「私にも感情があると?」
『ああ。絶対にある。自信持て』
「自信ですか。うーん」
リーネは考え込む。まあすぐには納得できないだろうが、俺には自明に思える。間違ってるはずがない。
リーネは、ずっと考え続けていたが、そのうちに眠ってしまった。ティアも色々と考えていたようだが、寝る前に俺に話しかけてきた。
「ありがとうございます。あなたは偉人では無いのでしょうが、それでも少し気が楽になりました」
『何よりだよ』「にゃー」
「はい。おやすみなさい」
すぐに寝息が聞こえてきた。そうだよティアはまだ12才なんだ。押さえつけちゃいけないよ。




