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柴犬を抱っこしながら夜を明かした。しかし朝になっても森の中は薄暗い。空を覆うかのように、木々の葉が生い茂っている。まるでアマゾンの密林だ。こんな森が日本にもあったなんて。
「フンッ」
先程まで抱っこしていた柴犬が、私の膝から降りると、まるでついてこいと言わんばかりに先導しだした。もしかして匂いで何か分かるのだろうか。というか、この犬……本当にどっから来たんだろう。しかし闇雲に私の勘で森の中を歩き回るよりは、犬の嗅覚に頼った方がいいだろう。まあ、何を目指しているのかさっぱり分からないが。
「えっと……柴犬君。小さな女の子を……探してるんだけど……」
ダメ元で……いや、確実にダメと分かっているが犬に話しかけてみる。すると柴犬君は私と一度目を合わせると、いいからついてこい、そう言っているかのようにズンズン歩き出した。その歩みに迷いは無い。仕方ない、ついて行くしかない。
考えてみれば、こんな森の中をろくな装備も無しで歩くなど人生初だ。研修で山岳警備隊に行ったこともあるが、あそこはひたすら山を登ってパトロールの繰り返し。足腰が果てしなく砕けそうになったが、そのおかで私は鍛えられた。逆に山登りが好きになる程に。
実際、ぬかるんだ森の地面を皮靴で歩き続けると滅茶苦茶疲れる。そして足が千切れる程痛くなる。だが鍛えられた私の足腰はビクともしない……は言い過ぎた。流石にこの靴ではいつか限界が来るだろう。
薄暗い森の中。激しい湿気。気温はそこまで高くない。だが妙に湿気が高く、まるで熱帯雨林だ。本当にここは日本か?
「……ねえ、豆太郎、どこまでいくの?」
命名、豆太郎。超適当に柴犬の名前を考えた。昔、親から貰った豆しばのキーホルダーをケシズミにするまで持ち続けた事がある。それほど大好きだったから。幼いころ、父親に何度も犬を飼いたいとねだった。だがダメだった。グレて中学入学と共に反抗期を拗らせ、悪友と夜の街に繰り出したのはいい思い出だ。
私が金さんと初めて出会ったったのは……その時だったな……。
っていうか、なんだ、こんな思い出どうでもいい!
今は道子ちゃんを助ける事だけを……考えていれば……
「わん!」
「ん? どうしたの、豆太郎……って、え?」
豆太郎に案内されるがまま突き進んだ私の目の前に、信じられない物が現れた。三角形の建造物。俗にいう……ピラミッド……? しかもこの形は……マヤ文明のピラミッドだ。漫画で読んだ事ある。
「なんだ、生きてたのか。大したもんだ」
男の声がした。ピラミッドの上、十メートル程上った所の中腹あたりに、黒と灰色の迷彩服を着た男が座っていた。階段の段差に腰かけながら、私を見下ろすその男。くせ毛なのかパーマなのか、ウェーブがかったロン毛で眼鏡。顔にはフェイスペイントで斜めに緑と白、それに赤でラインを引いていた。
「……誰?」
男へと、お前は誰だと問いただす。男は鼻で笑いながら立ち上がり、腰にある拳銃を抜いてみせた。
「あのタクシーを撃った男。そして女の子を攫う事を提案した男」
「…………」
「冷静だな。てっきり怒り狂って叫びだすかと思っていたのに。でも感情的な女も好きなんだ、ほら、もっと自分の感情に素直になったらどうだ?」
よし、殺そう……で殺せるならとっくに殺してる。
私は警察官だ。そして金さんの背中を見続けてきた。金さんは普段、あんなダラしない恰好してるけども、実は中身は自分の正義を貫いている。たまに、その正義の在り方が怖くなる時があるが。
「どうした、俺を殺したいって顔が滲み出てるぜ、じゃあ試してやろうか」
そういうと男はピラミッドの今居る位置から少し降りてきて、正面の内部へ入るための扉の前、少し階段を昇れば到達できる位置まで。
「ほら」
男は私の足元へ拳銃を投げてくる。
これは……弟がモデルガンで欲しい欲しいって言ってたベレッタだ。誕生日に一緒に買いに行ってあげた。
「……」
マガジンを確認する。弾は……いち、にい、さん、よん……
「おいおい、いちいち取り出して確認するかよ普通。今襲われたらどうすんだ、いちころだぞ」
「五月蠅い、ちょっと黙ってて……」
むむ、十四発しかない。たしかベレッタは十五発装弾出来た筈だ。
「ねえ、十四発しかないじゃない、あと一発くらい寄こしなさいよ」
「マジで素人かよ。もう薬室に一発入ってんだよ」
薬室……あぁ、この引っ張る奴の中か。うむ、確認した。
再び弾を込め直し、セーフティを外す。そしてそのまま男へと向ける。
「っはは、ほら撃て撃て。まあ、どうせ警察官である事を言い訳にして、怖くて引き金を一ミリも引けないだろうが。所詮日本の警察……」
私は躊躇いなく、男の額を狙って引き金を引いた。
「おんぎゃあぁぁあ! あぶねえ!」
あ、避けやがった。避けないって言ったくせに。私が引き金を引くタイミングで横に転がりやがった。
「て、てめえ! 何しやがる!」
「撃てって言ったのアンタでしょ。っていうか何逃げてるのよ」
土の上から、ピラミッドの石で出来た階段へと足を踏みだす。
革靴越しに足の裏から激痛が走るが、どうってことない。山岳警備隊で延々と山を登った時の方が痛かった。
そして転がった男の目の前まで来て、その額に銃口を近づける。
「ほら、死にたくないなら私から銃を奪いなさい。試してあげる。でも男に二言は無いはずよね」
「時と場合によるよ。っていうかお前、ぶっ壊れてんのか。本当に警察官か」
……私を壊したのはどこの誰だ。
「知らないの? 日本の法律にはね、子供を人質に取るようなうんこは……ぶち殺して良しっていうのがあるのよ」
「そんな法律あるのか……って、んなわけあるか!」
そのまま引き金を引こうとした。
その瞬間、男は私の拳銃を捻るようにして奪い、逆に私を狙ってきた。
一瞬、その一瞬で……走馬灯が走る。
あぁ、馬鹿だ私。こんな所で死んでしまうなんて。道子ちゃんを助けないまま……金さんごめん、ごめんなさい、どうか道子ちゃんを助けてあげて……
森の中で銃声が響き渡る。
撃たれた、完全に撃たれた。
私のお腹からは血がドバドバと……その血を見て、私は某刑事ドラマのジーパン履いた人みたいに、あの名台詞を……って、あれ、撃たれてない。
「……くそっ……」
撃たれたのは男の方だった。思わず伏せて身を隠す私。男を撃ったであろう人間が居る方向を凝視する。誰も居ない、というか分からない。森の中から撃ってきた? というか私、怖いぐらいに冷静だ。本当に壊れてしまったのかもしれない。
「ちょ……ねえ! 道子ちゃんは!? 何処?!」
脇腹を撃たれて男は虫の息。口元に耳を近づけて、何としても居場所を聞き出そうとする。
「……か、ゆ……うま……」
「バイ〇ハザードかよ! ちょっと!」
そのまま絶命する男。くそ……! そうだ、こいつの持ち物の中に何か手がかりが……。
「フンッ」
と、その時、豆太郎が私の腋に頭を潜らせるようにして、くっついてくる。
むむ、どうしたんだい、豆太郎。
「豆太郎?」
「フンっ……」
どうやら男の匂いを嗅いでいるらしい。
そして何か分かったのか、豆太郎はピラミッドの入り口へと。
もしかしないでも、この中に道子ちゃんが? というか、本当になんなんだ、このピラミッド。
ここは本当に日本なのか、と本日何度目かの自問自答を繰り返す。もしかしたらアマゾンまで空輸された? いやいや、アマゾンならもっと暑い筈だ。ちなみにアマゾンとは、通販の方では無い。
「……行くしかない」
ピラミッドの中は真っ暗だった。灯りも何もないが、壁伝いに進むしかない。
鼻につく硫黄のような匂い。一体なんなんだ、この匂い。昔、鹿児島に行った時の記憶が蘇る。
「豆太郎、居る?」
「フンっ」
豆太郎は私と手を繋ぐように、くっついてきてくれている。
そしてある程度進むと、階段がった。下り階段。
「下……?」
ゆっくりと階段を降り始める。その先に光が見える。淡いその光が壁にくっついているコケだと分かった時、目の前に扉があるのが分かった。
「ヒカリゴケなんて初めて見た……」
扉は固く閉ざされている。というかこれは引き戸なのか? それとも観音開き? ええい、わからん。
「フンッ」
「何、豆太郎……ちょっとあとにして……」
「フンッ! フンッ!」
「何よ、餌なんて持ってない……ん?」
豆太郎がここを見ろ! と言わんばかりに鼻息を当てている場所。扉の真ん中らへんから少し左にずれた所、そこに不自然な穴があった。見方によっては鍵穴に見える……かもしれない。
穴の中を覗いてみても何も見えない。指を突っ込んでみる。すると中に何か粒上の球体があることに気が付いた。それをほじくりだそうとしてみると、穴の中の下部に、その粒上の球体が丁度入るくらいの小さな穴が開いていたらしく、そこに入り込んでしまう。だが、確かにカチャリ、と何か音がした。
すると次の瞬間、扉はまるでゲームのように動き出す。上下左右に四つに割れ、壁の中へと吸い込まれていく。一体どんな仕掛けだ。たしかマヤ文明のピラミッドも、黒曜石とかで作った仕掛けがあった筈だ。それは時計台のような緻密な作りで、二千年たった今でも稼働するという。まあ、漫画知識だが。
そしてその先、部屋の中の中央に、手術台のような……祭壇のような物の上に道子ちゃんが。
「道子ちゃん! 良かった……生きてる……」
駆け寄り、息があるか確かめる。確かに呼吸をしている。今は眠っているだけのようだ。
道子ちゃんさえ見つければ……もうこんな所、用はない。さっさとおさらばして……
と、道子ちゃんを抱きかかえた瞬間、祭壇のような台が少しだけ動いた……ような気がした。
それと共に震え出すピラミッド。
いや、待て、待て、私の漫画知識が正しければ……この後……
「崩れるぞ! 走れ!」
その声で思わず走りだした。というか誰?! なんか凄い渋い声が……
「豆太郎! 来てる?!」
「俺に構わず走れ!」
あぁ、わかった、これ夢か。
でもありがとう、豆太郎。貴方のおかげで道子ちゃんを助ける事が出来たよ。
いや、夢だろ。
でも私が抱っこしてる道子ちゃんからは、確かな熱を感じる。
崩れるピラミッドも、何もかもが現実味がありすぎて……
そのまま私は、ピラミッドの外、眩い光へと飛び込んだ。




