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道子ちゃんが攫われた。私と金さんは裏口から外へと出て、辺りを見回す。それらしき人影はない。
いくらなんでも道子ちゃんを抱えながら、そんなに早く走れるわけがない。道子ちゃんの叫び声が聞こえてから数秒。きっと犯人はまだこの辺りに隠れている。
「道子ちゃん! どこ!」
私は呼びかけるように叫ぶ。だが反応はない。
まさかとは思うが海に飛び込んだ? するとその時、エンジンの起動音のような物が聞こえてきた。そして私と金さんが前に煙草を吸っていた小さな堤防、その下から走り去るゴムボート。
「道子ちゃん……!」
黒いスウェットの男が、子供を抱えているように見えた。その子供は微動だにしていない。
「金さん! おいかけ……」
と、その時私の携帯が鳴り響いた。画面を見ると、見慣れない番号。クリスさんの番号かもと思ったが、たぶん違う。
「……もしもし」
電話に出ると、酷い雑音……というかノイズと共に
『例の本を持ってこい。〇〇港から沖へ五百メートル程進め。そこで取引だ』
「ちょっと! もしもし! 道子ちゃんは……くそ! 切れた……」
「里美ちゃん、なんだって?」
「例の本を持ってこいと……沖の上で……道子ちゃんを取引の道具にするなんて……クソ野郎!」
思いっきり自分のスマホを地面へと叩きつけてしまった。怒りで手が震える。政府の人間か何か知らないが、今すぐぶっ殺して……いや、落ち着け、私は警察官だぞ……。
「……俺だ、例の本、持ってきてくれ。緊急事態だ」
すると金さんは冷静に、クリスさんへと電話をかけていた。私は画面が割れたスマホを拾い上げ、ポケットの中へとしまう。
「すみません、金さん……取り乱して……」
「里美ちゃん、俺達は警察官だ」
金さんは電話を終え、懐から煙草を出しながら、私の目を見て話してくれる。
きっと私を落ち着かせようと……しているのか、それとも煙草を吸う癖だからなのか。
「……金さん、道子ちゃんに何かあったら……私……」
「その前に助ける。何かあれば、犯人は逮捕して法の裁きを受けさせる」
いいながら、火を付けたばかりの煙草をすぐに消す金さん。あぁ、やっぱり癖で着けちゃっただけか。金さんは私を落ち着かせようとしていたわけじゃ無い。金さんは私を信じてくれている。
「…………」
そして再び煙草に火をつけ始める金さん。
いや、なにしてるん。
「……金さん?」
「……クリス……遅いな……早くしろよ……」
いや! たった今電話かけたばっかりでしょ!
落ち着いて!
「金さん、クリスさんが到着する前に足用意しときます!」
と、私が駆けだそうとした時だった。間室君が今にも自殺しそうな雰囲気で私の前に立ち尽くしていた。そしてその手には、一枚のフラッシュメモリ。
「……これ、俺が調べた全てです。別に取っておいたバックアップ……」
「あ、ありがとう……。間室君、必ず道子ちゃんは助けるから……」
「いいんです……これは報いです……。あの変態が手をかけると知ってて、本に興味を示した岐阜人を報告してましたから……」
……岐阜人? 岐阜の人限定?
「……ねえ、なんで岐阜なの?」
「あの暗号文書に、岐阜の地下水路になにかあるって……岐阜には広大な地下水脈があるんです。その中に、旧日本軍が整備した地下施設があるとかないとか……」
「……女学生が関係してるとは思えないんだけど……彼女達を車に轢かせて殺したのは……」
「全部が全部、あいつの仕業ってわけじゃないでしょうけど……所持品に小説を紛れ込ませて、何か関連付けさせようとしてました。それに反応する人間を調べていたようです……」
恐らく、その妙な共通点に気付いたのが矢代署長だったんだろう。
……ん? 恵美さんは……? 恵美さんはこの本、自分で持っていたと間室君は言っていた。そして彼女は、あの男の車に自分から飛び込んで……
もしかしたら、その男に桜の怪物を現実に作り上げる、そのインスピレーションを与えてしまったのは恵美さんかもしれない。他ならぬ矢代一族の人間だ。小説と同じように自ら死を選ぶ。そして死んだ場所には、桜が生える。
その桜を撤去しようとした役所の人間に、それは献花だ、と最初に言ったのは間違いなくその男だろう。そして他の地元民たちも、女学生に同情してそう賛同してしまったのかもしれない。
「里美ちゃん! クリスが来た! 行こう!」
え、早い……!
ちょっとまって、まだ足が……!
「間室君、ごめん! タクシー呼んでくれる? 〇〇港に行かなきゃ……」
「分かりました……あの、俺は……どうなってもいいっす、でも道子は……」
「間室君が居なくなっちゃったら、道子ちゃん絶対泣いちゃうよ。可能なら道警に事情を話して保護を求めて。まだあいつらの仲間が他にいるかもしれないから……自分をもっと大事にしてよね」
間室君は無言で、しかし確かに頷いてくれた。
道子ちゃんが間室君を無くして泣いてしまう姿など……私は絶対見たくない。
※
間室君が呼んだタクシーが到着し、私と金さんはタクシーへ乗り込む。クリスさんは別の手段で向かうそうだ。
「あの、すみません、〇〇港まで大至急……って、あれ……」
「ん? あぁ、またあんたらか」
この前のタクシーの運ちゃん! また出会ってしまうとは……。
「どうしたの、急いで」
「ご、ごめんなさい、話すと長くなるんです、お願いします!」
タクシーの運ちゃんはそのまま何も聞かずに発進してくれる。
あぁ、そうだ、名前……名前覚えとこう。この前はチラっとみたけど忘れちゃって……
「……あっ、あー!」
「え?!」
「ん?!」
私の奇声に驚く二人。これが驚かずにいられるか。タクシーの運ちゃんの名前……
「う、運転手さん! 貴方……城木 仁衛?! たかじまのぼうけんの作者?!」
高坂係長が調べてくれた、あの小説の作者の実名。
どこかで見た事があると思ったら……このタクシーの運ちゃんの名前が……まさにそれだったのだ。
「……何、あんたら……暗部の人間?」
タクシーの運ちゃんは運転しながら、そう私達へと語り掛けてくる。
私と金さんはアイコンタクトしつつ、全てこれまでの経緯を説明した。
「……というか、貴方……生きてたんですね。死亡扱いされてるって……」
「言っとくけど、執筆した本人はとうの昔に死んでるよ。俺はその七人兄弟の末っ子さ」
子だくさん……。
「私達の話、信じてくれるんですか?」
「道子ちゃんを助けに行くんだろ? 俺の一つ上の兄貴の孫さ、信じないわけにはいかないね」
署長の弟だったのか。というか、それを知ってると言う事は……この人は恵美さんが生きている事を知っている。本当に矢代一族は家族ぐるみで政府の暗部と戦っていたんだ。
「それにしても子供を取引に使うなんて……とんでもねえ連中だ。知ってたけどな」
「あの、運転手さんは知ってるんですか? 暗号文書の事……」
「あぁ、読めないけどね。でも奴らは全員読めるらしい。その中の一人が裏切ったとかで行方不明だから、漏れるのを心配してるとかなんとか……」
だったら、何故いつまでもあの旅館で展示していたのか。
きっと、その裏切り者に繋がる手がかりを探していたんだ。もしかしたら間室君が手伝っていた男が裏切り者? いや、奴は一度逮捕される間抜けだ、それならとっくに消されている筈……。
裏切り者……政府の暗部の裏切り者……
何故裏切った……? 途中で儲け話でも見つけて……いや、裏切ればどうなるかぐらいわかっていた筈だ。もっと根本的な理由だ。そう、自分の中の正義を……踏みにじられたとか……
「ん? こんな所で工事……?」
長い一本道が通行止めになっていた。もう、こんな時に……
と、その時私の目の端に黒いスウェットの男が映る。そいつは片手に……
「運転手さん! つっきって!」
「え?!」
アクセルを踏み込む運転手さん、その瞬間、フロントガラスに打ちこまれる銃弾。
迷いなく撃ってきた。最初から取引なんてするつもりなかったんだ。ここで待ち伏せて……奪う気まんまんだったんだ。
「運転手さん! だいじょ……」
運転手さんの額から血が流れ出ていた。そしてもう何の反応を示さない。
そのままタクシーは道から外れ、木へと正面から衝突した。
そして、私の意識は飛んでしまった。
真っ暗な底へと、落ちていく。
※
気が付いたのは、それから何時間後だろうか。
目を開けると、空が見えた。綺麗な星空。今は夜か……って、寒い、寒すぎる、凍えてしまう。
凍死しなかった自分を褒めてあげたい……と言いたい所だが、焚火があった。
その焚火は誰が焚いてくれたのか、辺りに人の気配はない。
ここは……森の中? あの時、タクシーの中で気絶して……一体、私は何処に連れてこられたんだ?
別に手足を拘束されているわけでは無い。だが携帯や警察手帳、あとサイフに煙草などは全て抜き取られていた。
「……っ! 道子ちゃん……」
そうだ、道子ちゃんは?
どこだ、ここはどこだ、道子ちゃんを探しに行かないと……!
というかその前に金さんは?
あのオッサンは……
「……金さん! 金さんー!」
名前を読んでみるも、私の声は空しく夜の森の中へと消える。
夜の森は不気味だ。というか焚火……むしろ危なくないか? 獣が火を怖がるというのは、結構あやふやらしいし、むしろ私の居場所を知らせているような物だから、クマとか来たら絶対私は美味しく食べられてしまう。駄目だ、クマがきたら絶対助からない。焚火は消した方が……
いやおちつけ、これが無いと絶対凍死する、夜の森の中に身一つ投げ出されて、一体何時間生きていられるのか。
「わん!」
「ひゃあ!」
すると突然、わんこの泣き声が真後ろから。
って、柴犬? なんか少しぽっちゃり目の柴犬が、私の目の前に居た。首輪をしている。誰かの飼い犬だろうか。
「え、なんで……?」
「フンっ」
まるで落ち着け、とワンコが言っているようだった。
そのまま柴犬は私のスーツの袖を咥えて引っ張ってくる。座れと言っているのか?
言われるがまま? に座る私。
するとワンコは私の膝へと寝そべってきて、そのまま体をくっつけてきた。
あぁ、なんだコレ……暖かい。
やさしいワンコ……
「道子ちゃん……待ってて、絶対助けるから……」
悪いが金さんを探している暇はない。
私は生き残る、金さんは凍死してるかもしれないが、私は生き残って道子ちゃんを助ける。
金さん、今までお世話しました。
どうか地獄から私を見守っててください。




