143.ファラロン(後) ~誤算~
突入したゲート【天界への扉】は、ゲートとエクストラ・ダンジョンが融合したような見たこともない領域であった。
だが私の横には真龍アンデッドとしての真の力を具現化させたギュスターヴもいる。なんら気にすることなどない。
私は知っている。
ギュスターヴは1000年前にクオリアに敗れ死したことを屈辱に感じていることを。
無駄に誇り高い戦士だと自認するあやつにとって、あのような無様な敗北は──文字通り『死んでも受け入れられない』のだ。戦士というのは実に難儀な存在だと思う。
事実、ギュスターヴはアンデッド化してから最初500年近く、敗北を受け入れられずに錯乱し、自分を見失っていた。
あまりに暴れ回りすぎて、大陸一つが地形を変えてしまったくらいだ。
500年前にプロフが鎮めることでなんとか自我を取り戻したが、以降ギュスターヴは己の乱心を恥じ、あまり言葉を口にしなくなったものだ。……何とも難儀な性格だと思う。
とはいえ、こうして横に立つ分には心強い。
せいぜいマリスが【悪魔】に融合されるまで、十分に暴れてもらいたいものだ。
『来たぞ』
「うむ」
ゲートの中にある回廊型ダンジョン──【天界への道】。
その道中に巣食っている魔法王国の亡者たち──数十万の【悪魔】が一気に襲いかかってきた。
なるほど、どうやらやつらはここを根城にしていたらしい。
『ここを我の、最期の晴れ舞台としようぞ──邪神め、この我の魂すべてもやし尽くしても滅ぼしてくれるわっ!!』
──ドゴォォォォォォォオォォォォォォォォォッ‼︎
ギュスターヴの放った山をも消し去るほどの【龍の咆哮】が、戦闘開始の合図となった。
汚染された【根源の魔塊】──【悪魔】の力を宿した亡者たちは、簡単には滅することができない。
とはいえ私の吸血魔術やギュスターヴのブレスに当てられて完全に無事でいられるわけではない。
規格外の抵抗力により効果は大幅に削減されるが、それでも少しずつ亡者どもを削り取ることに成功している。
だが、こんなものはまだ準備運動に過ぎない。
なぜなら──このままあいつが黙っているはずがないから。
自分が守るべき存在が消されることを、あいつが黙って受け入れるわけがないのだ。
──ズズ……──ズズズッ──。
『──ワタシハ……マモル──』
「来たなっ!」
回廊全体が蠢くようにして、激しく揺れだす。
私は極限の場面だというのに、心躍るのを自覚していた。
なぜなら──およそ500年ぶりに、最愛の人物に再会できるのだから。
『……テキ……ユルサナイ……』
「っ!?」
だが──数十万の亡者を引き連れて出現したクオリアは、500年前に見た姿と比べて劇的な変化を遂げていた。
背中に生えた黒い翼は8枚に増え、身にまとわりつく亡者たちは、禍々しき黒いドレスのように蠢く。
美しかった顔や肌には様々な魔法陣が刻まれ、眼は光を失い、髪は暗く黒く輝く。
──暗黒の女神。
──悪魔の女王。
究極の──邪神。
私の脳裏に、そんな単語が浮かんでは消えてゆく。
それでもやはり──。
間違いなく彼女は──私が愛した女だった。
『GURAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAーーーッッ!!』
ギュスターヴが吼える。
狂ったようにブレスを吐きながら、邪神クオリアへと突入していく。
それを全身全霊を以て迎え撃とうとするクオリア。
ついに──待ちわびていた時は来た。
「マリス、征くぞ!」
「は、はい!」
「今こそ、天界への回廊を抜ける時だ!」
マリスは──私の言葉を信じている。
彼女にはずっと言い聞かせてきた。その身体は、邪神の魂の依代であり、肉体を邪神に明け渡すことで、その存在を浄化することができるのだと。
しかし魂は違う。肉体を捨てたのちのマリスの魂こそが、次の聖母神となるのだと。
魂だけ抜け出したのち、神へと至る道を登ってゆく。
そうすれば──マリスが次の聖母神になれると。
……もちろん、全部ウソだ。
だが私のもっともらしいウソを、マリスはすべて信じた。
実際は──肉体どころか魂までもが消滅してしまうとも知らずに。
ギュスターヴとクオリアが激闘を繰り広げる中、私とマリスは回廊を突き進む。
そのとき──クオリアがマリスの存在に気づいた。
ギュスターヴに亡者の大半を叩きつけると、分離した数万の亡者たちを引き連れて一気にマリスに襲いかかってくる。
『ワタシガ……マモル…………』
「きゃーーーっ!?」
──来た。
クオリアと亡者たちは、マリスを攻撃するではなく、体に取り付いて包み込もうとする。
そう、【悪魔】は──敵対しないものを取り込もうとするのだ。
理由はおそらく、クオリアの行動原理である『人々を救う』ため。
この狂った邪神は、人々を悪魔に取り込むことこそが『救い』であると信じて行動しているのだ。
『ダレモ……ウシナワナイ…………』
「いやぁぁぁぁっ!?」
ついに、マリスへの浸食が始まった。
マリスの体が、クオリアや亡者に取り付かれ、徐々に黒く染まっていく。
だが、そこでクオリアの動きが止まった。
『……モウヒトリ……ワタシガ…………』
「うぅぅうぅ……」
マリスを取り込もうとして、違和感に気づいたのだろう。クオリアがまじまじとマリスを見つめる。
向かい合う、同じ顔をした二人。
だが戸惑うような様子を見せるクオリアを無視して、亡者たちが一気にマリスへと深く浸食していった。
「あああーーーっ?!」
『なんだこれは──』『人に作られし──人形か……』『人形であろうと関係ない……』『取り込んでしまえ──』『我らの仲間に──』『ともに無間地獄を──』
「違う! わたしは──人形なんかじゃない!」
必死に抵抗するマリス。
だが無駄だろう。いくら【超越者】とはいえ、ただの15歳の小娘。
1000年の怨念が籠った悪魔を追い払うことなど──。
『我らが神を……取り戻せ……一緒に……行こう…………』
「い、いやだーーー!! わたしは、わたしは──」
──ずくん。
そのときだ。
私の中で、とうの昔に失われたはずの何かが蠢いた。
……何を考えている、ファラロン。
これは千載一遇の機会であるぞ。
予想通り、悪魔どもはマリスに喰らいつくことに夢中になっている。
クオリアは今までで一番無防備な状況になりつつある。このままマリスを侵食し続ければ──決定的な機会がやってくるだろう。
そのときにクオリアを亡者から引き離し、輪廻の輪に戻せば良いのだ。悪魔たちはしばらくはマリスを喰らうことに夢中になっているだろう。
私の仕掛けは、完璧に嵌っていた。
なのに──。
「わたしは、マリス! わたしは──わたしなんだぁあーー!!」
マリスが見せる決死の抵抗。
何も知らない、偽りを信じ抗う姿は──。
なぜか──これまで助けられなかったものたちに重なっていた。
クオリア。
エルマーリヤ。
二度も──救えなかった。
そしてマリス。
──三度目も?
「わたしは、あなたたちなんかに負けない! あたしは──あぁぁぁぁっ!」
マリスが勝てるはずなんてない。それほどならクオリアの『願い』は圧倒的だ。
あの大聖女エルマーリヤですら屠ったものを相手に、造られた存在であるマリスが抗えるはずもないのだ。
私がクオリアを分離したあと、そう長く持つこともなくマリスの魂は完全に取り込まれ、消滅することだろう。
だがその後に待ち構えているのは──形を保てなくなった【根源の魔塊】の崩壊。
数十万の魔法王国の亡者たちとともにこの世界から消え去る。それがせめてもの情けだと、そう思っていた。
だが──。
目の前に輝く強い意志は。
紛れもなく今を生きているものの強い意志の力ではないのか?
私はこれまで、同じ力を見てきた。
クオリア、エルマーリヤ。そしてマリス。
私はマリスを、今でも作られたものと思っているのか?
共に旅してきた日々、本当にそう思って過ごしていたのか?
「姫様って呼ぶのはやめてください、恥ずかしいですから」
はにかむ表情。
「ありがとうファラロン」
無邪気に微笑む笑顔。
私は──。
私は──。
わ た し は ────。
──気がつくと私は。
マリスを……。
亡者たちから奪い取るようにして抱きしめていた。
◆
「……ファラロン?」
「……ッチ」
私は何をしているのだ?
こんなことをしては、これまでの行動が全て水の泡ではないか。
事実、突然に餌を奪い取られた亡者たちが怒り狂っている。
世界中を敵に回してもいい。
たとえ自分の魂がどうなろうと構わない。
クオリアをあのクソッタレどもから引き剥がし、輪廻の輪に叩き返し、1000年前に始まった過ちを全て終わらせる。
そのためなら、どんなことだってすると決めていたというのに……。
全て分かっていたはずだ。
すべて受け入れていたはずだ。
覚悟を──決めていたはずだった。
なのに──。
なぜか出来なかった。
この私に──。
まだ『情』などというものが、残されていたというのか?
『……カエセ……』
マリスという矛先を失った悪魔たちはクオリアと一体となり、怒りを抑え切れないといった様子で私の胸に抱かれたマリスに牙を剥いて襲いかかってくる。
亡者たちがクオリアの腕と融合して黒い剣となる。
大聖女の命を奪った、邪神の魔剣だ。
あれを喰らっては、マリスはおろかこの私ですら危険だ。
「くっ!」
動揺して反応が遅れる。
そのとき私は──。
気がつくと無意識のうちに──。
……ドンっ。
「あっ……」
マリスを──突き飛ばしていた。
……ずむんっ。
「ぐはっ!」
「ファラロン!?」
クオリアの剣は、私の胸の真ん中を貫く。
久しく感じたことのない激痛が、存在すらも奪い取ろうとする邪神の呪いが、私の全身を突き抜ける。
胸深く埋まった亡者の剣を眺めながら、私は自問自答する。
本当に私は何をしているのだ?
ここにきてなぜ──マリスを庇う。
なぜ──マリスを護る。
これが感傷だというのなら。
これが感情だというのなら──。
「……くだらないな」
私は吐き捨てる。
最後の最後で自分の過ちに気づくとは、本当に愚かだ。
私は一番大事なところで……。
マリスを、人形として切り捨てることが出来なかったのだ。
「……ぐふっ」
全体が崩れ去れば、作戦は全て崩壊する。
私は暴走するクオリアによって一気に襲い掛かられ、亡者たちに身体中に穴を開けられ、ズタズタに引き裂かれようとしていた。
作戦は──完全に失敗だった。
これが……人の命を弄んだものの末路か。
だとすると……実に愚かで下らないものだな。
これでは、全ての人々を幸せにすると言って失敗したクオリアのことを笑えない。
結局私は、誰一人救えなかったのだ。
クオリアも。
エルマーリヤも。
そして……マリスも?
わずかに視界に映ったのは、大粒の涙を流しながら私を見つめるマリスの姿。
「マリス……」
「ファラロン!?」
全身亡者に取り憑かれ、消滅へと突き進む私に声をかけられ、マリスは震える声を出す。
ああ、よく見ると全然クオリアとは別人じゃないか。
人形なんかじゃない、紛れもない──マリスという『個』。
私は──今まで何を見てきたんだろうな。
まさかこんな時になって、初めて気づくとはな。
「逃げ……ろ……」
「いやぁぁ、ファラロン!? 死なないでっ!!」
「おまえは……生きろ」
口にした瞬間、私は全てを理解する。
あぁ……私の本当の願いは、そうだったのだな。
私は──本当はマリスを犠牲になどしたくなかったのだ。
なのに、ずっと己の心に蓋をして、誤魔化して……。
だが最後の最後、決定的な場面で本当の願いが吹き出して……。
ははっ、本当に私は愚かだな。
このまま滅びて当然の存在だ。
誤算と呼ぶには、あまりにもお粗末なもの。
なにせ、己の本当の気持ちに──全く気づいていなかったのだから。
あまりに無様な自分自身に冷笑を向けながらも、私は最後の力を振り絞ろうと歯を食いしばる。
ああ、そうだとも。
愚か者の報いとして、せいぜい最後の足掻きとしてクオリアやこの亡者どもと心中してやろうではないか。
だが──せめてマリスは。
マリスだけは──。
このままではマリスは──死んでしまう。
「誰か──マリスを──」
お願いだ──。
誰でもいいから──。
「マリスを、救ってくれ──」
〝──それが、あなたの願いですか──″
そのときだ。
私の耳に、どこからともなく声が届く。
なんだ、今の声は?
今際の際の幻聴か?
〝──幻聴などではありません──″
いや、間違いなく聞こえている。
それが、滅びかけている私を惑わそうとしているものなのか、それとも別の何かなのか、わからない。
〝──力が、欲しいですか──″
欲しい。
欲しいに決まっている。
この状況を打破できるのなら──。
そのためなら──何を捧げたっていい。
〝──その言葉に、二言はありませんか──?″
ただ、この声には──間違い無い。聞き覚えがある。
澄んだ鈴の音色のようなこの声の主は──。
〝──あなたのすべてを、私に捧げますか──?″
「……ユリィシア・アルベルト?」
なぜだ?
なぜこの場で、ユリィシア・アルベルトの声が聞こえる?
だが悩んでいる余裕などなかった。
「マリスを救えるのなら……たとえ何であろうと、この魂を──」
──捧げる。
〝──ここに、契約は成立しました──″
ユリィシア・アルベルトの声が私にそう告げる。
なんだ、契約とは?
彼女はいったいどこにいるのだ?
『救いを求める子羊よ──』
だが代わりに答えたのは、全く別人の声。
だがこの声は──。
──なぜだ。
なぜ、お前がここにいる!?
白銀色の美しい髪に彩られた、天から愛されし美しき少女。
『……今度こそ、約束を果たしに──あなたの救いを求める声に応えて、やってまいりましたわ』
「──エルマーリヤ・ライトジューダス!」
私が彼女の名を呼ぶと、エルマーリヤは──500年前と同じ笑顔を浮かべて語り掛けてきた。
【微笑みのエルマーリヤ】と呼ばれていた、あのときと同じ笑顔で──。




