129.聖女の祝福
ここは、神都フィーリアの大教会の一角にある『枢機卿』専用の執務室。
机に座って書類にサインをしているのは、仮面をつけた青年──【仮面聖者】ファラロン・エルドラド。
その前に立っていたのは、侍女服を着たネビュラである。
ファラロンの勧誘に従い、彼の配下となったネビュラ。
既にユリィシアがかけた呪いのほとんどは解除されていたものの、〝女装化″の呪いだけは強固で解除出来なかった。
「……どれだけ強力な呪いなんだ。魔法王国でもみたことがないぞ」
ファラロンが思わず呆れ声を漏らすほどである。
とはいえ、ネビュラが女装していた方が都合の良いこともある。その一つが、マリスのお守りである。
枢機卿となったファラロンはそれなりに多忙となっており、また聖女となったマリスをサポートする人材が必要となっていた。
そこで、見た目は女性であるネビュラに白羽の矢が立ったのである。
「ではお前には、姫様の侍女を務めてもらおう」
「……はぁ」
こうしてマリス付きの侍女となったネビュラは、日々マリスの様子をファラロンに報告しに来るようになったのである。
「今日の姫様の様子はどうだ?」
「聖女としての訓練で日々追われております。真面目に取り組んでいらっしゃるようです」
「そうか。囚われのお前の以前の仲間たちはどうしてる?」
「ギュスターヴ殿が日々鍛えてるようでございます」
「……ふん、道楽だな」
「放置していてよろしいのですか?」
「放っておけ。それでギュスターヴが満足なら構わんさ」
ギュスターヴとファラロンは一枚岩ではないことは、初めて会ったときからネビュラは感じていた。
あの二人の関係はいったい何で繋がっているのか。未だにネビュラには見えてこない。
それよりも気になることを、ネビュラは口にする。
「……ユリィシアは来ますかね?」
「来るさ。それともお前はかつての主人を疑ってるのか?」
「そ、それは……」
無条件に信じるにはユリィシアの前科が多すぎる。
あの方は、必要なければ配下など簡単に見捨てるだろう。
……本当に?
ユリィシアは、『いにしえの大聖女』に襲われたとき、全力で仲間たちを守ろうとしていたではないか。
アナスタシアを守るために、わざわざ帝国まで出向いていたではないか。
そんな彼女が──自分たちを見捨てる?
戸惑う様子を見せるネビュラを面白そうに眺めながら、ファラロンは笑みを漏らす。
「くくく……まぁいいさ、あと少しすれば全ての結果が判明するであろう。であれば、そろそろ私も準備を始めるとするかな」
「準備──でございますか?」
「ああ。もうすぐ──その時が来るからな」
◆◆
聖母教会によるユリィシア・アルベルトの異端認定に端を発した今回の騒動は、またたくまに世界中に広がっていった。
ユリィシア・アルベルトの聖母教会の総本山である大教会への出没。
教会側は捕縛を試みるも失敗し、ユリィシアはそのまま逃亡。
しかし身代わりとなった彼女の従者2名を捕縛。
これら一連の出来事は、大教会にさらなる大きなうねりをもたらした。
ユリィシア・アルベルト逃亡に関連して、彼女の逃亡をほう助したとして──教皇イノケンティウス15世が執務停止となったと発表されたのである。
発表のとおり、教皇イノケンティウス15世は執務室において軟禁状態に置かれていた。
教皇の軟禁を指示したのは、現在の筆頭枢機卿である【 黄金猊下 】エルマイヤー・ロンデウム・サウサプトン。
その二人がいま、教皇の軟禁部屋で面と向かって対峙していた。
「よもや教皇がこのような暴挙をなさるとは。到底信じられませんなぁ」
「……何が言いたいんじゃ? サウサプトン卿」
「それはもちろん、教皇には責任を取っていただく必要があるということですよ」
サウサプトン卿エルマイヤーの背後にゆらりとドス黒いオーラのようなものが揺れる。
「責任とは……退任せよということか?」
「ふぁふぁふぁ、それが一番じゃと思いますなぁ」
「サウサプトン卿よ、たしかにおぬしは以前から俗物ではあったが……最近の行動は目に余るぞ?」
「いやなぁに、人は死にかけると考え方が変わるものでしてな」
「死にかけた?」
思いがけない発言に、思わず教皇が目を見張る。
サウサプトン卿は目下の隈の濃さを深くしながら語り続ける。
「わしはですなぁ、実は……不治の病に侵されておったのですよ。黒腫瘍病で──余命数ヶ月と言われておった」
「なんと!」
黒腫瘍病は身体や内臓に黒い腫瘍が出来る病である。たとえ切除しても、治癒魔法を用いても治療は不可能。ゆえに不治の病と言われていた。
「じゃがな、その病を救ってくれたのが──マリス様じゃった」
「マリス……エルドラド卿が推薦してきた聖女じゃな。そのような素晴らしい力をお持ちじゃったのか」
「うむ。エルドラド卿に紹介され、わしは《 聖女の奇跡 》を施された。するとこの通り──完治したどころか、以前よりも元気なくらいじゃ。がっはっは!」
もし黒腫瘍病を治癒できるのであれば、それは奇跡としか言いようがない。マリスを聖女認定するのも頷けるというものだ。
だが──なぜか教皇は得体の知れない恐怖のようなものを感じていた。
その原因は、目の前にいるサウサプトン卿から発される不気味な気配にあった。
なんというか──元気すぎるのだ。
「そんなことが……起こりうるのか……?」
「起こるんじゃよ。そしてわしは理解した。この世界についに──〝癒しの乙女″が生まれたんじゃとな」
「〝癒しの乙女″……聖母神様のお告げにある人物のことじゃな。おんしはマリスがその人物じゃというのか?」
「大聖女様を呼び捨てにするでないっ! 教皇よ、もはやあなたはただの用無しの老体。大聖女様の〝真の使徒″にもならんわ!」
「真の使徒? おぬし、なにを……言っておる?」
「くっくっく。わしはなぁ──大聖女様に選ばれたんじゃよ。見るがいい、この溢れ出る力を!」」
ずずず──。
エルマイヤーの全身から溢れ出るドス黒い魔力が、彼の姿を徐々に変化させてゆく。
最初の変化は、真っ白だったエルマイヤーの髪の毛が金色の輝きを取り戻していったことだ。
続けて──これまで小太りだった初老の肉体が、少しずつ痩せていくとともに、肌のしわがどんどん無くなっていく。
「ば、バカな……」
「ふははははっ!! これこそ奇跡! これぞ──《 聖女の祝福 》じゃ!!」
教皇は完全に言葉を失ってしまう。
なぜならば、エルマイヤーは──完全に若返っていたからだ。
今では20代半ばほどの青年へと大きく姿を変貌させている。
だが、その身体を包み込むように取り巻くドス黒いオーラは──。
「そ、そのオーラ、まさか──サウサプトン卿、おぬしそれは──」
教皇は見たことがあった。
サウサプトン卿が放つ黒きものと似たオーラを。
それは──聖母教会にとっての天敵。
いや、人類のとっての禁忌。
「それは──悪魔の力ではないのかっ!?」
「なにを愚かなことを言う、教皇よ。これは《 聖女の祝福 》だと言っておるじゃろう。……やはりおぬしも異端であったか」
「いかん、すぐにでも悪魔払いを──」
「問答無用」
──ザクッ。
鈍い音が、教皇の私室に響き渡る。
「ば、ばかなことを……ぐふっ」
「さようならだ、教皇イノケンティウス15世」
教皇の口から、血がしたたり落ちる。
教皇の腹部には──鋭い短剣が吸い込まれていた。
◆
「大変だーーー!!」
「教皇様が、刺されたぞぉぉお!!」
「犯人は誰だ?!」
「それが──捕えていた【異端者】ユリィシア・アルベルトの従者であるらしい!」
マリスがその声を聞いたのは、枢機卿の一人である【 規律模範 】エメラルダス・ソラーレに聖女の教義を受けていた時であった。
間が悪いことに、今は侍女のネビュラも席を外している。
何が起こったのかを確認しようと席を立ち上がりかけたとき、部屋の扉が開いてファラロンが顔を出す。
「ファラロン、いったい何が──?」
「姫様、教皇様が刺された。しかも《 呪い 》がかかっているようで治癒魔法を受け付けない」
「えっ!?」
衝撃的なニュースに驚きの声を漏らしたのはエメラルダス・ソラーレ。
だが一方で、意外にもマリスは落ち着きを払っていた。
「時が──来たのですね」
「ええ。姫様の真の力を発揮する時が来たのです」
「わかりました、参りましょう」
二人は呆然と立ち尽くす枢機卿エメラルダス・ソラーレを置き去りにして部屋を出る。
道中、マリスがファラロンに問いかける。
「ところで、教皇様を害した犯人は……」
「いまはそのことよりも、治療のことに専念してください」
有無を言わせぬファラロンの口調に、マリスはそれ以上問いかけることができなかった。
連れてこられた教皇の寝室では、教皇がベッドに寝かしつけられ、何人もの聖職者たちが治癒魔法を施していた。だが、なぜか治癒魔法を受け付けている様子はない。
教皇は完全に意識を失い、荒い息は今にも尽きてしまいそうである。
「エルドラド卿、やっときたか!」
出迎えたのは枢機卿の一人、【 黄金猊下 】エルマイヤー・ロンデウム・サウサプトン。
もちろん、初老の外見だ。
心なしか顔色が悪く見えるのは、やはり教皇が心配だからであろうかとマリスは考える。
事実、教皇は完全に意識を失っており、いまだに血が流れ続けていた。今にも息が絶えそうである。
治癒魔法を受け付けない状況も、事態を深刻にしていた。
「姫様、今こそ──《祝福の右手》を」
「ええ、分かりましたわ」
マリスが教皇の傷の上に右手を差し出す。
「まいります──《 聖女の祝福 》」
ふんわりと、柔らかい光が教皇を包み込む。
すると──みるみるうちに腹部の血が止まり、傷が癒えてゆくではないか。
「なっ!?」
「こ、これは……」
「奇跡か? 奇跡を目にしているのかっ!?」
だが奇跡はそれだけでは終わらない。
完全に意識を失っていた教皇がぱっちりと目を覚まし、むっくりと起き上がったのだ。
「きょ、教皇様!?」
「ご、ご無事でっ!?」
だが支えようとする信徒たちの手を振り払うと、ベッドから立ち上がる。
そのまま──マリスの前に跪いた。
「うむ、この方こそ──真の聖女じゃ! 〝祝福を受けし癒しの乙女″に違いない!!」
「おおっ!!」
「なんとっ!!」
そのときには、教皇が危篤と聞いて駆けつけてきた枢機卿たちも揃っていた。
七人の枢機卿たちを前にして、傷が完治した教皇は目を輝かせながら堂々と宣言する。
「今ここに──【大聖女】マリスの誕生を宣言する! 神託の乙女は、ついにこの地に舞い降りたのじゃ!」
だが──この場にいたものたちはファラロンとエルマイヤーを除いて気づいていない。
教皇の全身から、黒い色をしたオーラが漏れていたことを。
◆
その日、世界中を揺るがす重大な発表が聖母教会からなされた。
教皇の暗殺未遂発生。
その犯人は、なんと──【異端者】ユリィシア・アルベルトの従者であったという。
犯人はすぐさま捕らえられたものの、教皇は瀕死の重傷を負って危篤となってしまう。
だが教皇は、【治癒乙女】マリス・ステラ・ラニアケアによって一命を取り留める。
これら一連の騒動を受けて、聖母教会の本部『大教会』は、大きく三つの発表をする。
一つ。
マリス・ステラ・ラニアケアを公式に二人目の『大聖女』に認定すること。
二つ。
教皇暗殺未遂の実行犯であるウルフェ、アミティの両名を、10日後に処刑すること。
そして三つ目は──。
『教皇暗殺未遂事件』の主犯として、ユリィシア・アルベルトを全世界に指名手配すること。
同時に、彼女を確保したものへの賞金額も発表される。
ユリィシア・アルベルトに課せられた賞金額は、なんと──『1億エル』もの大金であった。




