116.亡者
10万体以上の亡霊たちが飛び交う場の中心に、《黒百合》──いやユリィシアはいた。
もはやただの遺骸となった【奈落】の上に膝を抱え込むようにして座り込んでおり、頭には何故か【奈落】のトレードマークであった古き王国の王冠を被っている。
ウルフェたちはすぐに駆け寄ろうとしたものの、おびただしいまでの大量の亡者たちの濁流を前に思わず後退りする。
「なんという光景リュ! こんなの……見てるだけで気持ち悪くなるリュ! 近付いたらあの死者の渦に巻き込まれてしまいそうリュ!」
「なんというアンデッドの数……まるでお嬢様は〝亡者の女王″のようでございます!」
「おいおいネビュラ、なんて失礼なことを言ってるんだ」
「これは褒め言葉にございます!」
強い口調でネビュラに言われ一瞬うっとなったウルフェであったが、すぐに「褒めているのであれば、まあ良いか」と思い直して気にしないことにする。
そのとき──彼らの耳に誰かの声が飛び込んできた。
これは──間違いない、ユリィシアの声だ。
『どうせ私は……ボッチなんだ……』
──おぉぉおお……ぉぉおぉぉ──うぅうぅぅう──。
『私なんて……誰も受け入れてくれないんだ……』
────あああぁあぁぁぁ──うぅぅうぅ……ああぁああぁ──。
『友達もいない……嫌われ者の死霊術師……』
──わぉぉぉぉ──おぉぅぅぅぅぅぅう──うぅぅうぅ──。
「あれは……随分と凹んでるリュよ?」
「ぜんぶウルフェのせいでございますね」
「なっ!? お、俺のせいなのかっ!?」
「亡者たちもお嬢様のマイナス思考に呼応しているようです。……ということは、すべてウルフェが悪いんですね」
「ぐぇ」
ネビュラたちがユリィシアの異変の理由をウルフェに押し付けている横で、マリスは亡者の群れに対して異なる反応を見せていた。
「あれだけの亡者に囲まれながら、自我を保っているとは──さすがはユリィシア様、『魔を極めし夢幻の乙女』候補ですね」
──『魔を極めし夢幻の乙女』。
マリスの口から出た聴き慣れない単語に反応したのはネビュラだけであった。
聞いたことはないが、何か重要なキーワードであるに違いない。そう判断したネビュラは、いずれ確認しようと心に留める。
「それにしても、まるで──救いを求めるかのようにユリィシア様の周りを渦巻いていますわね」
「亡者どもが清く気高いお嬢様に救いを求めるのは至極当然のことでしょう」
なぜか胸を張るウルフェ。
「しかし、あんなに大量の亡者をどう対処したものか……マリス様は何か手立てをお持ちではありませんか?」
「うーん、できなくはないのですが……【暴走】されても困りますし」
「暴走?」
「ええ、実はわたくし──力を注ぐと、その対象が暴走してしまう傾向にあるんです」
「はぁ、そうなんですか?」
「はい、力を注いで今まで平気だったのはファラロンとギュスターヴくらいですかね。だから私が《奇跡の右手》のギフトを使うことには慎重になってるんです」
「はぁ、それは大変ですなぁ」
いやいや。力を注ぐと暴走するなど、とんでもないおおごとではないか。
マリスが《奇跡の右手》と呼ぶギフトに、どんな力があるというのか。
そもそも【終わりの四人】を従える彼女は──いったい何者なのか。
改めてネビュラの心に疑問が浮かぶものの、呑気なウルフェとは違い、ファラロンを気にして問いかけることが出来ずにいる。
……それにしても、ファラロンが静かである。
先ほどからマリスが際どい発言を連発しているが、これまでであればすかさず止めに入るファラロンが反応を示さないのだ。
気になったネビュラがこっそりと顔を覗き見ると──それまで無表情だったファラロンの整った顔立ちに、僅かな苛立ちが見える。
「チッ、あいつら──【魔法王国アイラ=デルトラ】の亡者たちじゃないか」
魔法王国アイラ=デルトラ。
またもや聞き覚えのない単語を、ネビュラの耳は確かに捉えていた。どうやらこのヴァンパイア・ロードは何かを知っているらしい。
とはいえ、支配者であるファラロンに対して下位の存在であるネビュラから尋ねることなど到底不可能である。
だが今度はマリスが聞きとがめ、ファラロンに尋ねる。
「魔法王国って、ファラロンがいつも口にしていた──退廃と聖母神に対する不敬によって滅びた王国のことですよね?」
「……ええ、そうです」
「でもファラロンならアンデッドの扱いは得意なのではなくて?」
「それが、あの亡者ども特別製でしてね。ギュスターヴ、姫様にお見せしてくれないか」
「ギャース」
ファラロンからの依頼に応じてギュスターヴが、マスクをわずかに持ち上げると──肉食獣のように鋭い歯が並んだ口が顕わになる。
その口元がパカッと開かれた、次の瞬間──。
──ドゴォォォォォォォオォォォォォォォォォッ‼︎
ギュスターヴの口から、周りの空気を振動させる程の凄まじい衝撃波が放たれた!
「なっ!? こ、これはっ!?」
「あれは──本物の《龍の咆哮》リュ!」
「なんて凄い!! あんなの喰らったら──山ですら吹き飛んでしまうでございます!」
人知を超えた強烈な咆哮に、驚愕するウルフェたち。
だが──その先にさらなる驚愕が待ち受けていた。
なんと──ネビュラが山をも崩すと評したブレスを、亡者の大軍たちはあっさりとかき消したのだ。
飛び交う亡者はわずかに数を減らしたものの……10万を超える亡者の前ではほぼ無意味である。
「えっ? ギュスターヴの攻撃が効きませんの?」
「ええ、そのとおりでございます姫様。奴らには物理攻撃や魔法攻撃はほぼ無効。おまけに《ターンアンデッド》や《アンデッドコントロール》も効果がない──厄介者どもですね」
あれだけの亡者に対して、ほとんどの攻撃が通じないというのか。しかも【終わりの四人】の力を持ってしてもこれでは──対処方法がないのではないか。
愕然とするウルフェたちを無視して、ファラロンが冷徹に言い放つ。
「ということで姫様。これ以上この場にいることはもはや時間の無駄です。早々に立ち去りませんか?」
「えっ!?」「なっ!?」
ファラロンの予想外の提案に驚くマリスとウルフェ。代わりにネビュラとアミティが極めて冷静に尋ねる。
「立ち去るということは……お嬢様を放置するということでございましょうか?」
「うむ、そうなるな」
「放置するとどうなるリュ?」
「さぁ?」
「さあって、そんなの無責任ではないか!」
ファラロンの発言に激昂するウルフェ。だがファラロンは何の感情も籠らない声であしらう。
「そんなこと知らんわ。私たちは姫様にのみ従っている。本気を出せばなんとかなるかもしれんが、姫様に危険が及ぶ可能性がある以上、危険は犯せない」
沈黙する一同。
だがその沈黙を破ったのは──マリスであった。
「ダメですわ。そんなの受け入れられません。ユリィシア様を救いましょう!」
マリスの凛とした発言に、ファラロンはやっぱりといった様子でため息を吐き、ギュスターヴは両手を上げる。
「姫様、わがままをおっしゃられるな。これは危険なのですぞ? それに──ユリィシアが何者なのか、ご存知なのですよね?」
「ええ、分かってるわ。だからこそよ!」
力強い視線でユリィシアを見つめる。
「なにせわたくしは──『祝福を受けし癒しの乙女』なのですから」
── 『祝福を受けし癒しの乙女』。
また新たなキーワードが出てきた。
ネビュラは、マリスが普通の存在ではないことに薄々気づいていた。
もっとも、【終わりの四人】のうちに2体を従えたこの少女が、ただの平凡な存在であるわけがない。
この少女は、なにか重要な秘密を持っている。
それを知ることが、今の自分に課せられた使命なのではないかと考えていた。
──使命。
その単語に、ネビュラは思わず苦笑いを浮かべる。
無理やり従えられ、こんなにもむごい目に合わせれているというのに、なぜ自分はユリィシアのために尽くしているのか……。
皮肉としか思えない今の現状ではあるものの、それでもネビュラは得体のしれない気持ちに後押しされ、少しでも情報を取ろうと試みる。
「マリス様。『祝福を受けし癒しの乙女』とは、そして『魔を極めし夢幻の乙女』とは──いったい何なのでございますか?」
ファラロンを恐れながらも、絞り出すように尋ねたネビュラの問いかけに、マリスは素晴らしい微笑みを浮かべながら答える。
「わたくしは──『祝福を受けし癒しの乙女』。次期の【聖母神】の候補なんですの」
──今、何と言ったか?
驚くネビュラに対して、マリスは少し照れ笑いを浮かべながら──さらに決定的なことを口にする。
「そして『魔を極めし夢幻の乙女』──すなわちユリィシア様は、わたくしが【聖母神】になるのを邪魔する存在になりますの。ライバル、というんですかね?」
◇◆
私は──眠っているのでしょうか。
ふわふわと、いいえどろどろとした空間で、私は一人ぼーっとしていました。
まるで、重く粘度の高い液体の中を揺蕩っているようです。
……それにしても、なんだか不快ですね。
なんとなくウルフェにムカつくことを言われたような気がするのですが……それよりも今は、この不快な空間を抜け出すことが先決です。
幸いにも──はるか向こう側に光のトンネルのようなものが見えます。あれは、ゲートでしょうか?
とりあえずこの空間を泳いで向かってみるとしましょう。
光り輝くトンネルの中を抜けていくと、そこは──。
「へい、らっしゃいらっしゃい! 新鮮な野菜が揃ってるよー!」
「新しい魔道具を揃えてるぜ! このエチカ社製のイオンキューティクルドライヤーなんて、売り切れ必至だぁ!」
「今日はアイテムカードが大安売りだよ! 野菜を日持ちさせるなら冷蔵庫よりもカード化か一番でさあ!」
なんとびっくり、とても繁盛した街のど真ん中にたどり着きました。
しかも、その街の光景が──どうにも普通ではないのです。
馬も居ないのに走る車。空を飛ぶ──見たこともない乗り物。
街行く人々は奇抜でオシャレな服を着こなしており、腕につけたブレスレットのようなものに向かって独り言を話しかけています。おそらくあれは──通信用の魔法道具なのでしょうか。
……そういえばたしか、稀にダンジョンで見つかるアイテムの中にあのようなアーティファクトがあったように記憶していますが……。
もしかして、ここは──。
私の疑問に答えるように、すぐ近くに立っていた衛兵と思しき男性が、大きな声で叫びます。
「旅人たちよ、魔法王国アイラ=デルトラへようこそ!」




