1-2 出会いと衝撃、本当の理由
内示が下ってから、目まぐるしく時間が過ぎた。
まず向かう先のメンディズーク領の情報収集から、その赴任のための準備や根回し、そもそも代官や執政官とは何をするのか勉強も必要であり、それらは進めるたびにルベルドを……ありていに言えば絶望させた。
戦争後事実上放置された土地で、ともかくひどい。
これを治めろというのは、無茶振りというものだ。
やはり、罰なのだろうか。
そのうちに、英雄との面会の日になった。
緊張しながら、めったに袖を通さない一張羅に身を包んだ。
英雄と、会える。
いや、再会だろうか?
あちらは覚えていないだろうが――指定された王都の一角の屋敷に足を運ぶ。貴族の館とするにはこじんまりしていて、金持ちの家くらいだろうか。
ここに英雄ドランダントが住んでいるという。
2年前、戦場からの凱旋パレードで遠目にちらりと見た彼の姿を思い出せば、あまり浪費するような人物じゃなさそうだしな、と納得できる。彼の出自は平民だと広く知られているのも印象に影響しているかもしれないが。
戦場で身を立てた元傭兵だという。今は国の名のもと身分を保証され、好待遇であるという話だが……
期待のような、ものがあったのは否定できない。英雄と呼ばれるだけの人物なのだ、彼がいなければ、国は今でも戦争中か、あるいは領土を小さくしていたかもしれない。
マテオ・ドランダントの功績は、戦勝したという一点だ。
けれどその一点が計り知れない。
主戦場だったメンディズークが良質な農業地帯であり、隣国スジェフスとの要衝でもあったため、戦争が激化すると軒並み物価が上がり、また安全面でも不安定になりあちこちで小競り合いが勃発した。
毎日のように物品の値段を見てため息をつく王国民、出兵のために騒がしくなる王都に辟易する王都の住人の心労はかなりのものだった。
それを最前線で戦い続けて打ち止めにした英雄の人気は、推して知るべしだ。
会ってみて、愕然とした。
客間だろう、綺麗な部屋に、座っていた大柄な男。
どんよりと、暗雲を背負っているかのようだった。
赤い髪をうつむき加減に垂らし、表情すら見えない。服装も小綺麗だがが特段金がかかっているわけでもなく、なんなら薄給の自分の今の服より質素である。
がっしりとした体つきは、さすがに武人といったところだが……それに見合った覇気がない。
(……無気力!)
一瞬、別人かと思ったが、そんなことはないだろう、状況的に。
おかしい、パレードのときは堂々と馬の上で姿を見せていたのに。
その向かいの席に座らされ、メイドにお茶を出された際になんとなく気の毒そうな、心配そうな目で見られて……これは今に始まったことではないということを察した。
いったい、何が、彼に。
胸に心配と不安がこみ上げてきて、それを隠すのに必死だった。
なにせ、これから彼と一緒に僻地に向かうのだ。
……それに、英雄のこんな姿は見たくなかったのもある。
(落ち着け。動揺するな)
ここで王宮勤めで培った、冷静さを装うスキルをフル活用する。
「えー……本日はご多忙のなか、お時間をくださって恐縮です」
まずはともかく、意思疎通だ。
ここでまさかの『仲裁官』としてのスキルが生きた。ゴマすりではないが、相手にともかく好印象を残すのは基本だ。控えめに微笑み、軽く礼をする。
「改めて。私、王宮の文官で、内務大臣室付き書記官をしております、ルベルド・ハークと申します。今後、ドランダント殿付きとして、精一杯務めさせていただきますので、よろしくお願いします」
「……」
「……では、少しばかりお話をさせていただきます」
「……」
「……ええと、こちらの資料をご覧ください……」
無反応ここに極まれり。
けれど差し出した資料には手を伸ばしてくれたのでほっとした。
だが、ちらりと見えた、ドランダントの目。
暗く、光がない。
ルベルドは息を呑んだ。
およそ、英雄と呼ばれた人間の目ではない。
その目を、知っている。
(――絶望の目だ)
一切の希望が見えなくなった、生きる気力を失った目。
どうして彼がそんなことになったのか、ルベルドは知らない。
そんな外野の人間が訳知り顔で大丈夫か、どうしたんだ、なんて気休めは言えない。
「……まずは、貴殿とその補佐としての私の仕事内容になります」
あえて、事務的に話すことにした。
今やるべきことを最低限で。下手な干渉はむしろ状況を悪化させる。
「……以上です。ご質問等あれば」
「……」
「……ご質問は今後いつでも私宛にくだされば。今日のところは、よろしければ、こちらにサインを」
「……」
サインをするペンが、震えていた。
部屋を辞して、その外にすぐに待ち構えていた人間がいる。その身なりから執事だろう。
目配せされた。彼についていき、すこし廊下を行ってから別の部屋に入る。
「マテオ様の非礼をお許しください」
椅子に座るなり頭を下げられ、ルベルドはいちおう首を縦に振る。
個人的には心配のほうが勝って非礼だなんだはどうでもいい。だが、王宮の使いであるのでわかったという意思表示しかできない。
「その、ああなったのはどうして……」
「……口止めされておりますゆえ」
「……分かりました」
苦悩の表情の執事が、わざわざ「口止めされている」と明言しているのは、口止めしたのが主人であるドランダントではないからだ。
執事は使用人の代表だが、彼の様子を見る限り、ドランダントのことを慮っているのはよくわかった。
「このお屋敷にお住まいされたときからずっとあのように塞ぎ込まれています。我々も、せめてこのお屋敷では心穏やかに過ごしていただきたいと手を尽くしたのですが……」
「このお屋敷に来る前から、ということですか」
「はい、お会いしたときからずっと……我ら一同、メンディズークへはご一緒させていただきたく、マテオ様へは願い出ております。執政官様におかれましては、何卒、マテオ様をお見限りはなさることがありませんよう切にお願い申し上げます」
「いえ、そのようなことができる立場ではございません。王命に忠実にあるだけです」
「……お願い申しあげます」
「今日のところはこれで。近い内にまた来ますので、お願いします」
使用人たちが廊下に並び、不安げにこちらを見てくるものだからいたたまれない。
見限るつもりはないが、期待されても困る。
ともかくまずは……
「王宮へ」
迎えの馬車の御者に言って、馬車に乗り込み……ルベルドは盛大なため息をついた。体中から空気が抜けそうだ。
頭が痛い。
「そういうことか……!」
2年間聞かなかった英雄の噂。
言葉を濁した内務大臣。
つまり――英雄は使い物にならないのだ。
あまりの事実に、ルベルドはしばらく揺れる馬車の中で頭を抱え……それから、のろのろと首を振る
(失望は、してないと言ったら嘘になるが)
彼の英雄としての側面しか知らない、もともとよく知りもしない男のことである。勝手に想像して勝手に失望していては彼に失礼だろう。
それよりも、これからのことだ。
王宮に行き、担当の財務官に面会を申し込むとすぐに部屋に通された。
ルベルドが来ることを予測して、待ち構えていたに違いない。
担当の財務官、領地総括長官補佐のジス・ケーリエルは、50歳くらいの子爵位の貴族だ。着飾らないこざっぱりした身なりで、文官らしい細い印象だ。ただ目つきは鋭い。
財政部門は大まかに4つに分かれている。
それぞれ国庫、税務、調整部、貴族弊部と呼ばれており、さらにそのそれぞれのなかでもいくつも専門が分かれている。王宮でも特に細かい組織体系になっている。
その調整部は主に王宮外の財政に関わる事柄を扱う。領地総括長官がトップであり、このケーリエルはその次席なので、かなりの高官である。
彼が担当ということで、重要な案件だとは思っていたが……こういう方向に重要だとは。
「結局のところ、私の役割は何でしょうか」
英雄の状況をルベルドに知らせなかった理由はなんとなく分かる。まだ信用できない書記官ごときに国の機密をしゃべるわけにいかない。
英雄に会わせ、ルベルドの反応を試したのだ。
これで疑念を持ったり、拒否や命令に逆らうような真似をすれば、なにかしら罰があり、この件から外されただろう。
そんなことは恐ろしくてできないが、試されていたことには不愉快な気持ちがないわけでない。
ケーリエルは少し笑ったようだった。
「君の『仲裁官』と呼ばれるほどの、対人の交渉術……とでもいおうか。その能力で、英雄マテオ・ドランダント殿の窓口になってほしい。それが第一だ」
「……つまり、英雄殿に負担をかけずに活躍させたいと。そのための対処は私がするということですね」
もったいぶらずに教えて欲しかった。
事情が許さないのは分かるが。
つまり、あんな状態の男と言えど、英雄としての名を利用したいという思惑がどこかで動いたのだろう。
それが国王か、あるいは別のところか分からないし知る必要はない。時期が今である理由も分からないままだ。
けれど、その誰かのただの思いつきでここまで現実的な話にはならないだろう。相当な計画だ。
見方によっては英雄の帰還、そして再び彼の地を救うという英雄譚の第二章だ。
再び英雄ドランダントの名を世間に思い出させるには十分なシナリオだ。
そしてその計画の実行役が、ルベルドである。
気が重いったらない。
「第一といいますと、やはりドランダント殿が領地をいただくことになれば、その補佐は私であり、その……上は、英雄の状況改善を望まれているのですか」
「多少は。だが、今のところメンディズークの状況は聞くだに悪い。失敗の可能性がある以上、そこまで貴殿に責任を負わせることはない」
「失敗の可能性があるなら、英雄殿の代官派遣は賛成しかねます」
思わず、言ってしまった。
興味深そうにケーリエルは目で問いかけてきたので、ルベルドは息を吸って続けた。
「彼の精神状態は、はっきり申し上げますと非常に悪いです。心が折れた状態かと。何があったかは存じませんが、さらに『失敗』の事実を積み重ねれば、その重みに耐えかねて、本当に生きていけなくなります」
「……君は医者の知識もあるのかね」
「いえ。実体験と申しておきましょうか」
「不思議な男だな、君は」
どこか感心したような表情をされた。
それよりも、あまりにも状態が悪いドランダントのことだ。
「実のところ、私情になりますが、私も英雄殿に助けられた身です。むざむざ彼にこれ以上の負担を強いたくはございません」
「あの萎れたような英雄殿に失望はしなかったのか」
これも、試されているのか。
探るような目をするケーリエルをまっすぐ見返した。
「彼がこの10年、何をしてきたのか知っていれば」
戦争はもう終わったのだ、彼のおかげで。
彼が10年戦い、王国を救ったのは消えない事実だ。
ケーリエルは顎に手を当てて少し考えたあと、頷いた。
「……ふむ。君が選ばれた理由がわかる気がするな。分かった、上へはその意見を通しておこう。だが、私が聞くところによれば、ドランダント殿はこのメンディズーク行きの話を聞いてそう時間をかけず受諾したと」
「……え?」
「その点、また改めて聞いてこよう。今日はご苦労だった」
「……はい。失礼します」
まあ、自分の意見は通らないだろうなと思う。
なにか理由があり、英雄は領地へ赴くことを拒否できず、王家は決定事項としている。
(……俺は、命令に従うだけだ)
せめて期待通り英雄の窓口とやらを頑張るしかできない。
なんとも情けない気分だ。




