1-1 驚きと不安と謎の内示
狭くもなく広くもない、こざっぱりしているが整った一室。
ルベルドは黒ずくめの敵に囲まれていた。
自分一人だけでなく、すぐそばに英雄と呼ばれる男がいるのだけは僥倖だった。
問題は山積み、けれどこんなはずではなかったのに。
何よりもまずはこの危機から脱しなければ。
周囲にいる黒ずくめたちがじりじりと近づいてくる。
ダンッ、と強い音がした。
どうやら英雄――ドランダントが足で目の前にあったテーブルを蹴ったか乗せたらしい。
びく、と黒ずくめたちが一度動きを止めた。
「何をしている――」
黒ローブの焦る声と、目の前の、震える英雄の体。
(ああ、そうか)
なんとなく、彼の気持ちが分かってしまった。
「なあ、あんたが何を考えてるか、感じてるかは少しはわかる」
びくり、とドランダントは肩を跳ねさせた。
「だが、後悔を、今はすべき時じゃないと思わないか?」
すべきことができる人間だ、英雄ドランダントは。
今まで彼を見ていて、それは感じ取れた。
何らかの理由で、勇気が引っ込んでしまっただけだ。
「後悔はあとからやってくるもんだ、頭を抱えてのたうち回るのは、あとからでもできるんだ、なあ?」
まだ、英雄はやれる。
じゃ、と、何かが擦れる音がして、ドランダントが、動いた。
ルベルド・ハークはしがない王宮勤めの文官である。
どこにでもいる普通の男である。特徴といえば目尻がつり上がって赤みがかった黒い瞳が小さめで、鼻がちょっと尖っているくらいだ。クリーム色がかった白い髪は切りっぱなしで、文官らしくややずぼらな感じは受けるが、まだ若いうえに独り身なのでそこは大目に見てほしい。
多少勤勉な方だったので、内務大臣室付きの書記官の次席という、王宮勤めとしては中の上程度という中途半端な立場であることも、まだ伸び代があるのだと思ってほしい。
さて、ルベルドは今、直属の上司に呼ばれて応接室にいる。
「先ほどの件、うまくいったようだな」
内務大臣は頭の切れる中年の貴族で、侯爵という偉い方である。ルベルドのような下っ端にもこうやって声をかけてくださるので、かなり実直な人だろう。
「はい。これでしばらくあの案件は戻ってこないでしょう」
ややこしい外部からの件だった。が、ルベルドが上手いこと言いくるめて持ち帰らせた。
元は自分とは関係がない案件で、別部署と揉めていた。数日しつこかったので、自分のひとつ上の位の書記官主席がルベルドに泣きついてきたのだ。
ルベルドがしたのは、その揉め事を解決することだけで、案件の中身には直接関わっていない。
ルベルドはなぜか、そういったトラブルやら問題やらの解決に駆り出されることが多い。
無理難題やら部門間や人の間で揉め事があると、「あいつに頼め」と暗黙の了解ができている。
それなりに解決するので、ルベルドのあだ名は『仲裁官』である。
もちろん、そんな役職はない。
ルベルド本人もそう呼ばれていることは知ってはいるが、どうにも箔がつかない響きだ、とちょっと不満ではある。
「そうやって、何度もお前に助けられたな……」
なぜか遠い目をして内務大臣はぽつりとこぼす。
なにやら、言いたげな雰囲気だが……
「あの、そのように感慨深そうにおっしゃられるのは、何が」
「……ルベルド・ハーク書記官次席」
フルネームで呼ばれ、思わず姿勢を正す。
「はい」
「貴官に異動の辞令が下った」
「……は」
驚いたものの、まあそういうこともあるよな、とルベルドは素直に受け止めた。
これで王宮に来てから2回の配置換えだ。文官の配属先なんてちょっと内部で何かあれば、数人から数十人がくるくると入れ替わる。ただ下っ端は拝命するのみ。
「これが内示だ。正式なものは1カ月以内に出るだろう」
「拝見します」
手渡された羊皮紙の大きさが思った以上で、おっかなびっくり受け取って読み進めると……ルベルドの心臓以外は、すべて一度動きを止めた。
そこに書いてあることが信じられず、3回読み返して、
「…………………はい?」
「お前ほどの文官を手放すのが正直惜しいが……これほどの大任を受けるものが私のところから出るのも栄誉ではあるか」
「……栄誉でしょうか……?」
ともかく驚きが先に来た。
内容が頭に入ってこないので、栄誉かどうかわからない。
『英雄マテオ・ドランダント殿付き補佐官への配属決定』
マテオ・ドランダントは、10年続いた隣国との戦争を勝利に導いた英雄である。
2年ほど前に王都へ凱旋した、その時には国中が彼の噂で持ちきりだった。
そんな人間のもとにつくのなら、かなりの栄転である。
それに、個人的に、その英雄について思い入れがある。信奉者とはいわないが、それなりに。
けれど、喜べない続きがあった――
『――および、ドランダント殿の代官派遣に伴い、メンディズーク領への執政官として赴任せよ』
もう一度読み返し、ルベルドは引きつった顔で内務大臣へと問いかける。
「……決定でしょうか」
「ああ」
重々しく頷く上司に、ルベルドはがくりと肩を落とす。
どうやら英雄に与えられた領地の代官という役割に、ルベルドはついていかなければならないらしい。
メンディズーク領。
戦争で主戦場だった、今は荒廃した土地である。
(なんで!?)
自分で言うのもなんだが、文官の能力としては並である。現在就いている書記官はただ言われたことを書いたり写したり調べたりするだけで、物書き特化ではあるがほぼ雑用係だ。
そんな地位にいた若手が執政官……政治に関わり、ときに自らも法案や事案を取り扱わなければならない上級官となるには、まだまだ足りない。
現状からだと栄転も栄転、5段階ほど駆け足に出世したようなものだ。
(いやいやいや無理だって)
英雄に補佐としてつき、領地運営。
なにか知らずにやらかして、その罰だとしか思えないのである。
自分に突如降りかかった出来事が大きすぎて混乱する。
(落ち着け……ここは王宮だぞ……)
しかも目の前に上司がいる。
無理やり頭を切り替え、驚きと困惑を押しのけると、残ったのは喜びと疑問だ。
喜びの方は、置いておくとして――
「……いくつか、お聞きしてもよろしいでしょうか」
冷や汗に額を冷たくしながら聞くと、もちろんだと頷かれた。
「まず、今になってドランダント殿に領地を与えられる理由は?」
英雄と名高いドランダントに領地のひとつも与えなければ、このクンシストファー王国としての体面は保たれないだろう。
けれど、終戦から2年近く経っている。国からの報奨としてもタイミングとしては遅い。
今までそんな話はなかったのか、今になった理由も不明だ。
内務大臣は少しばかり考えて、
「さまざまな理由が重なっている。そしてそれは現段階でルベルドには明かせぬと」
「……どういった意味でしょうか?」
「ドランダント殿の意向と、王家の事情である。それと……この件は失策となる可能性が高い」
「ああ、なるほど、私が耳にするには時期尚早といったところですか。……ああ、そして、だから私だということですね」
おそらくメンディズーク領地の政策のことは失敗する目算が高いと国は見ているのだ。
正式にドランダントが領地をもらうのはその領地政策の結果が出てからだということ、それをもってこんなに受領が遅れた理由もわかるのだろう。
そして、失敗も計算に入っているということは……現役で執政官としての地位にある人間が任に就いた場合、玉瑕となる可能性があるということだ。
その点、ルベルドの今の地位ならば、突然分不相応に出世し、失敗しようが経歴としては傷は浅い。むしろそれを原因として、英雄の傷にはしないつもりまであるかもしれない。
大まかには納得した。
内務大臣は少し渋い顔をした。
「お前の今後に影響があるかもしれんが」
「極小でしょう。幸い、私に出世欲はございませんので。最悪の場合でも今程度の立場は保証されると予測しているのですが」
「……なにかしら見返りはあると思って良いとのことだ」
「それで十分です」
失敗しても王宮に戻れると言質をもらった。
それでいい。そもそも成り行きで文官になったルベルドにはこれくらいがちょうどいい。
「ほとんど疑問はお答えいただいたようなものですね。……ああ、もうひとつだけ」
「ああ」
「英雄殿は今までどうお過ごしだったのですか?」
終戦後の戦勝式典以降、英雄ドランダントの噂はぱったりと聞かない。
自分がそれほど熱心に英雄のことを聞いて回ったわけではないからもあるだろうけれど、それにしても今までひとつも耳に入らないのは少しおかしいのではないだろうか。
「……それについては、近く英雄殿との面会もある。そのときに知るだろう」
「?分かりました。では、今後どう動けば……」
「このあと担当の行政官と財務官が面会に来る。具体的には彼らと私、財務大臣との話し合いになる」
「了解しました」
なかなかに大事だ。
これからのことを思うと、気が遠くなりそうだが――たったひとつ、いいことがある。
(さらば『仲裁官』)
これで微妙なあだ名とはおさらばだ。




