1-18 思うままに
ルベルドは苦笑した。
「いえ、大したことはないのです、王宮勤めのさがといいますか……もうひとつ、あるにはあるのですが、ただの理由として聞いてください。私は、あなたに命を救われました」
ずん、と両肩と頭を押さえつけられた気がした。
ただの理由です、とルベルドが重ねて言った。その表情が、どうしてか見えない。
正面に座っているのに。
「5年ほど前でしょうか、メンディズークの戦線が一度スジェフスの外縁領まで上がったことがありましたよね」
覚えている。
それは突然の好機だった。
王国からはのらりくらりと支援を断られ、領地全体がじりじりと疲弊しつつあり、それまで防戦一方だった。
ひょんなことから川を越えて敵の陣地を奪えた。
鬱憤が溜まっていたソタム伯爵軍が異様な興奮状態になってしまい、脇目も振らず前進し、隣国スジェフスを侵攻したようなかたちになってしまった。
結局はそれほどかからず隙を突かれて押し戻されたが。
「その急な前線の遡上で、しばらく情報が錯綜しました。民間の人間は隣領にいてすら侵攻されていたことを知らなかったんです」
そのせいで逃げ遅れた人々も多かった。
さらに迷惑を被ったのが旅人だった。
出稼ぎに移動するものや、旅行者に冒険者。
彼らは戦場のまっただ中に向かっていくことすらあった。
「私が当時下働きだったヒーニテア国の商会もそうでした。商会長が率いる商団が、戦場のすれすれまで来ていたことに気づかず取り残されてしまった」
「……下働き?」
「え?ああ、そうなんです。俺はもともとは他国の商会の丁稚……下働きをしていました。主人が……会長がいい人で、のちにクンシストファーにコネができたから、お前なら王宮に行けると、官僚試験の手配をしてくださって」
ようやく、少し照れたようなルベルドの顔が見えるようになった。
「まあ、それは置いておいて。ともかくいつの間にか商団は戦地近くで立ち往生していた。むしろ戦闘が始まっていたなら荷物を置いてでも逃げたでしょうが、状況がわからず戸惑っているうちに……副次物に悩まされたのですね」
「……略奪か」
「はい。正規軍ではなく、それについてきたり勝手に荒らし回り始めた賊のたぐいだったのでしょう」
商団が襲われ、もうダメかと思ったその時に――救世主が現れた。
「それが貴方とお仲間でした」
「……」
「覚えていないでしょう?あんなことはあのとき多発していたでしょうし、俺は貴方の姿を遠目に見ているだけでした。直接会話したのは主人でしたし、本当にわずかな間のことでした。けれど、命を救われたのはたしかなことです」
「俺は……」
「俺は自分や主人を助けてくださった貴方に恩義を感じずにはいられませんでしたし、それは貴方にはどうでもいいことであるはずです」
「は……?」
ルベルドは肩をすくめた。
「貴方が窮地に陥った人間を助けたのは善性でしょうが、傭兵団が行軍中に、偶然以外のなにものでもないでしょう?」
それはそうだろうが。
なんだか、それでいいのか?と逆に肩透かしを食らったような気がした。
「ですから、俺が、……こほん、私が貴方に親身になっていると感じるのであれば、恩を感じているのが理由ではありますが、それを貴方が何か思う必要はないです。勝手にやっていることです」
「勝手に?」
「はい。おあつらえ向きに補佐官ですし。ああ、執政官についたのは私の意思ではありません、純然たる偶然、問答無用の命令ですのでご心配なく」
「……そうなのか」
「ええ。突然令状が手渡されて……つまり、ただの私的な理由にすぎないということです」
ルベルドは両腕をかるく広げてみせた。
「私の職務はこの領地の復興と行政執行。それ以上をする意味はありません。そのうえで代官を支えるのは業務です」
「業務……」
ルベルドはうなずき、今はテーブルの上に置かれた封筒を手で軽く押さえた。
「ですから、話は戻りますが、この町長の呼び出しには代官として来ていただくのは必要だと、執政官として判断しました。大変でしょうが何卒よろしくお願い申し上げます」
「……もし、断ったら」
もちろん――代官を引き受けたからには、最低限でもその責務は請け負えるよう、するつもりだ。
だが、その最低限が、ルベルドたちはどれほどを考えているのだろうか。
英雄として顔を売れ、代官として名乗れというなら、それは、無理だ。
ルベルドは、けれど一度瞬きして肩をすくめた。
「仕方ありません、一人で行きます」
「ひとり、で?」
「ええ、呼ばれているのが我々だけですので、ドランダント殿が無理なら必然的に」
「ふがいないと、怒らないのか」
ルベルドの顔色は変わらなかった。
「誰しも嫌なことはあります、どうしようもない」
「もし、もしもだ、俺が、代官を辞めると言ったら――」
「そのようになさるがよろしいかと」
あっさりと、なんの感情もなくルベルドは返した。
「貴方が嫌ならそのように。私は貴方の補佐です、そう命じられました」
マテオは目を見張った。
そんな重要なことを、どうして何でもないように口にできるのだろう、この男は。
「――、……分かった」
気がつけば、口が勝手に動いていた。
いや、もとから言うつもりだった返事だ、不都合はない。
「……ありがとうございます!」
けれど、ルベルドが一転嬉しげに笑って、なんとなくほっとした。
ドランダントの部屋を出て、十数歩歩き、
「はぁぁあああぁ」
「……ど、どうされました!?」
壁に手をついて、体中から全部息を吐き出すと、ついてきてくれていたエミリオがぎょっとした。
「いや……結構ギリギリだったんだよな、この交渉……」
「え?」
手を差し出してくれるエミリオには断って姿勢を正す。
「ここでドランダント殿に来ていただかないと……計画が怪しくて」
「ああ……」
エミリオは申し訳なさそうな顔になった。彼は壁のところに邪魔しないようにいてくれて、内容は聞いている。
「だからよかった。本当に……」
安堵して泣きそうだが、こらえて気合を入れなおす。
エミリオには戻るように言って、ルベルドはひとり静かな廊下を歩き出した。
心なしか来た時よりも足取りが軽い。
(よし、よし……!)
思わず拳を握る。
思った以上にドランダントは好感触だった。
『もし』代官をやめるなら、だなんて、今はその気はないと言っているようなものだ。
なら、こちらもそのように動こうではないか。
やめられても、その補佐をするというのは本心だが、けれど彼にはもっと活躍してほしいのも――いや、これはルベルドの願望だ。
こんなところで終わっていい人間ではない、マテオ・ドランダントは。
これは、自分のためだ、決して彼のためではない。
自分勝手な、ただの独りよがり、それでも。




