1-10 教会の到着と塩の値段
「……実に素晴らしいと思いますよ」
「そ、そうですか?」
「文章から、危機感といい訴求力といい、ともかく伝わってきますし、事実関係も的確だ」
書き上げた報告書を、貴族地領行政官のベルリッチに見せると、丸くふくよかな彼は温和に笑った。
忌憚なき意見が欲しいと言ったので、この評価は本心だろう。
ようやく、終わった。
その作品、もとい報告書を返してもらった時に涙が出そうになった。
執務室に行き、安堵と肩の荷が下りた反動でとうとう泣きながら封蝋をした直後だった。
「あれ泣いてるんすか?大丈夫です?」
「……これは汗だ」
あっさり部屋に入り込まれたハルーシルに目撃されたが、まあ後輩のことなので適当にいなしておく。
「いいならいいですけど。意外とせんぱ、執政官は真面目だから」
「……言いにくかったら人目がなければ好きに呼べよ。あと意外とは余計だ」
「ほんとに大丈夫そうですねー。えっと、来客です」
「は?来客?」
町の住人だろうか。
正直しばらく頭が真っ白の状態の抜け殻だった。
けれど、来客の相手はしなければならない。
準備させていた早馬に報告書を渡してから、その来客とやらに会いに行く。
疲労を理由に素直にハルーシルを同席させて、少し気分が晴れる報告を受け、4日ぶりに微笑んだ。
「これからお願いします、スミオール大司祭」
「ええ、よろしくお願いしますハーク執政官」
教会から、司祭と、支援がやってきた。
ルベルドたちがメンディズークに来たときにも支援物資は馬車に乗せて牽いてきた。けれど、最終報告の人口の1日分だけだった。それ以上は不可能で、次の日から国の指示で商会や商人たちのかき集めてきた物資を送ってもらっている。だが、数千人分の物資となると追いつかないのが現状だった。
4日目。予想通り物資が底をついたとき、狙ったかのように教会の大司祭が到着した。さすがにわざとそんな舞台劇のようなタイミングを狙えるとは思えないが。
「ですが、教会の建物の方は……」
「ええ、聞いております。修復は力を合わせて行いましょう」
大司祭は見た目、とても感じのいい青年だった。ただし、教会の人物ではある。
メンディズークの教会支部となる建物は安全上アシスの町に作ることになったが、何も教会側は準備しておらず、代官着任後にここがいい、と大きな家屋を勝手に指定し、壊れたところは『領事館と共同で』直すことに決定した、とのたまった。
それを疑問に思っていない年若い大司祭だ。
スミオール大司祭……教会では名字は名乗らないらしい……は、にこにことルベルドと握手している。
褪せた金髪を長く伸ばし、青い目は温和だった。背が高いが痩せているくらいで、教会の白地に黒の模様が入ったローブがだぼついている。
おそらく歳はルベルドの少し上で、27、8といったところか。大司祭という地位のわりには若い。
……と思ったら、ルベルドとほぼ同じ事情らしい。
つまり、僻地に強制的に送られた貧乏くじ、あるいは体のいい生贄。
「神の思し召しでしょう、私にこの地の飢える肉体と憂える魂を救えと……!」
ただし、どうやらルベルドと違って意図は通じていない。
(やる気があることはいいことだ)
貧乏くじをひいた哀れな司祭が、心折れることがないように祈ろう。
しばらく教会予定の建物は使えないので、教会の御一行は領事館に滞在してもらうことにした。
「申し訳ありませんが、これから会議に向かわねばなりません。ご用事などありましたら、館の者や文官に声をかけていただければ」
「分かりました」
「では、失礼します」
会議は遅刻したが、みんな忙しいため出たり入ったりは普通である。
着席したルベルドに、財務官が少しばかり笑顔を見せた。
「教会が到着したとのことで」
「はい。あちらの物資も滞りなく」
教会独自で救済という名の配給をしてくれるらしい。
詳細の報告はもらったので、ちょうどこの会議に出す。
「……少なめかと」
「予想範囲内です。王国でも物資は買い取っているので競合した可能性もある」
あちらの予算組みなどは分からない。ただ量が少なくても支援は途切れないようにと契約を結んだので、そうそう阿漕な真似はしないだろう。
「少しは安心できますな」
「そういえば、王宮への報告書の早馬が出立したとか」
「ああ。……これで、序盤はうまくいったでしょう」
初動でつまずかなかったのは本当に良かった。
――これからが本番だ。
ドランダントをちらりと見たが、いつものように表情は暗いが、おとなしく席に座り資料を読んでいる。
(大丈夫かね)
環境も変わったし、負担に感じていたらことだ。
エミリオからは特段の報告は受けていない。
(進めよう)
必要な資料は、ともたついたところにハルーシルがさっと出してくれて助かった。自覚はしているが、本当に寝不足が祟っている。
「……盗賊の襲撃があったのか」
3日前。着任2日目か。
「盗賊側は代官着任のことはおそらく知らなかったでしょう。急行させていた傭兵団が仕事をしてくれました」
先行させていたハルーシルたちと同様に、騎士分隊と傭兵を着任前後で町村に配備していた。
「損壊は……傭兵に怪我が3人。盗賊は数名殺害のち、撃退……」
「さすが名高い『ダラダ傭兵団』」
これは盗賊が弱いわけではなく、たまたま強い傭兵団が雇われてくれただけなのである。
ダラダ傭兵団……どうやらスジェフス戦争にも参加した、大陸でも有数の傭兵団だとか。
どうしてそんな傭兵団がこんな僻地に、と驚いたのだが、ドランダントとの交流があったらしく、王宮からの依頼なのに一切応募がなくずっと残っているのを見かねて、半年ならと請け負ってくれたらしい。
その後もう一団、こちらは閑散期に仕事がなくてぼんやりするくらいならと、中堅の傭兵団がギリギリで名乗りを上げた。
最悪ゼロを考えていただけに、体裁は整い、出発前に胸を撫で下ろしたルベルドだった。
だが、盗賊は思った以上に強い。
「壊滅も捕縛もできなかったのが惜しいが」
「ダラダ相手に逃げおおせただけで、かなり厄介かと。村人にも傭兵にも被害は極小で良かった」
「……今後も襲撃は増えそうですね」
「戦力増強が必要では?」
第一騎士分隊長のマーダンが重々しく言った。
「繰り返し襲ってくると報告にもありました。兵たちもそう何度もぶつかれない」
「たしかに」
「ですが、これ以上兵は異動させられません。教会も来てしまいましたしそちらの護衛も……」
一瞬沈黙し、その隙にと行政事官が口を開いた。
「それと、暴動がありました」
「やはりか」
「時間がなく資料に記載できませんでしたが、リンヘーグ町とセンジ村です」
物資配給にともなう混乱で、予想はしていた。
今までほとんどなかった物が目の間に山と積まれてきたのだ、いくら冷静を呼びかけても空腹や必需品の切迫におとなしくいられるものは少数だろう。
「状況は?」
「けが人があったようですが、死者発生や深刻な事態には陥っていないと」
「ふむ?それはよかったが……」
「リンヘーグは町長に一言があり、混乱が始まった時に一喝したそうで」
「一喝」
「なんでも、つらいのは皆一緒だっただろう、物も一緒に分け合えないとは言わせない、と……」
「なかなかの人格者か」
感心したようにそれぞれ唸った。
「センジ村ですが、そのリンヘーグ町長が駆けつけ、村人と騎士団が揉めていたところを仲裁に入ったと」
「よし、仲裁官の名は彼に譲ろう」
「先輩……」
ハルーシルが呆れているが、無視。
「センジとリンヘーグは距離が近いのか?」
地理が頭に入っていなかった。特に笑いも怒りもせず、地図を示してくれた行政事官のメディンにはありがたい。
「ここがリンヘーグ、そしてこちらがセンジです。馬で飛ばせば、1時間くらいかと」
アシスから南西に3日ほどの町がリンヘーグで、さらに南に1時間、川沿いにある村がセンジだという。
「センジ、ハルパーク、ミング……この3つの村は戦時中にリンヘーグを頼り、そのまままとまっています」
行政官のメディンが地図の上でぐるりと指先で、リンヘーグを中心に円を描いた。
「アシスとはまた違った意味で大人しく理性的な一区画です。おかげで騎士団も守りやすいと」
「アシスも、周囲の村とは交流があったな?」
「はい。ですが関係性は不透明です」
「不透明?」
「そうなんです。例にリンヘーグ町とセンジ村などを取りますが、それらはわかりやすいです、言い方が悪いですが、しっかりしたリンヘーグに言うことを聞く小さな村々で、上下関係になってはいますが生産もほそぼそできているようで」
「……思い出した、センジは川沿いにあって健全に水が引けている唯一の村だったな」
いろいろ資料を見過ぎて記憶が迷子になっているようだ。
「リンヘーグと周辺村の関係は分かった。ではアシスと周辺村は?」
メディンとハルーシルがそろって首を振った。
「人の往来が多いのですが、理由が不明です。食糧を分けてもらいに来ているのかと思ったのですが……」
「アシスを出入りする商会がふたつありまして。そのふたつとも余裕があれば周辺村にも行っているようです。寒村ですから満足な取引ができていないのですが、それでも立ち寄っていて……」
それでいて、町へと人の往来があるという。
「結構無駄なことをしているな?」
困窮している割には。
(ハルーシルがおかしいと言っているのもこれがあるからか)
アシスもだし、周辺村も商会も、金銭的にも時間的にも無駄な行為をしている。
「配給の際に何かおかしなことは?」
「……何も問題がないですね」
「何も?物資を取り合ってけんかのひとつもないのか」
「はい」
「……」
いよいよおかしい。
300人以上いて、大人しすぎる。
「関係があるかわかりませんが、執政官が気にしていた塩の取引記録です」
「おお、ありがとう」
ハルーシルにこぼしていたら、調べてくれたらしい。
「塩ですと」
資料を読んでいた財務官が顔を上げた。
「ここに塩があるのですか」
「えっと、はい。料理に使われておりますので私も驚いて……」
塩についての反応がそれぞれ違っていて、それがなおさら全員で首をかしげることになった。
ともかく、ルベルドはたった数枚の羊皮紙だったので、さっと目を通すと……
「当たりかもしれないな」
「え?不審な点はなかったかと」
ハルーシルが首をかしげる。
「値段だ、値段がおかしい」
「拝見してもよろしいですか」
財務官に資料を回すと、はっきりと顔をしかめた。
「早急に商会を調べます」
「頼む」
「どういうことですか」
「値段が安すぎる」
「え?高いくらいじゃないですか?」
「塩は貴重品なのです」
財務官が自分の書記に資料を回している。複写させるつもりなのだろう。
「王国では2カ所の産地からの輸入に限定されます。隣国フェチェローのテク山の岩塩、島国クレムの日干し塩です。輸入ルートも決まっており、すべて国が管理しています。財務官は把握するのが義務であるほどの事項なのです。そして財務官としての名をかけますが……どのルートでどう販売しても、塩はこの価格でこの僻地には売れるはずがありません。断言します」
「え……」
「密輸、あるいはそれ以上におかしな方法で手に入れている可能性が高い」
「王都は最優先で量もルートも確保されていて、貨幣取引と決まっているから国の中でも価格は安いんだ。ろくに物資も購入できない僻地の小さな町が手に入れようとするなら、金と同等かそれ以上のレートだ」
「……そんなに」
物資担当の文官に説明され、ハルーシルがしょぼんと肩を落とす。
けれど知識不足だっただけで、ちゃんと抜かりなくルベルドの要望を叶えてくれたのだ、お手柄ですらある。
「いや、俺が報告書で手いっぱいだった横で、これを調べてくれて助かった」
「時間との戦いです。補佐官のおかげで迅速な対応ができます。素晴らしいことです」
「ありがとうございます。もっと努力します」
一瞬で立ち直ったハルーシル。
現金だが、ずっと落ち込まれるよりはマシだろう。
「しかし、盲点でした。出納は見ておりましたが、塩はないものと思い込んでおりました」
財務官が目頭を押さえながら唸った。どうやらどこかで該当資料が抜け落ちていたらしく、彼は見ていなかった。
「料理に入ってるって、執政官はよく気づきましたね」
「いや、味がしたし」
「……えっと?」
「え?味がするってことは調味料があるってことだろ?塩は代表だ」
「……そうなんですね」
「料理はからきしでして……情けない」
財務官がくっと悔しげに顔を伏せる。彼は子爵なので、そういう家政に疎いのは当たり前である。
やっとこれで全員かみ合わない反応の理由に思い当たった。
つまり。
塩の値段の重要性と、塩が本来どういう品物かという認識が噛み合ったのは唯一ルベルドだけだった。
ハルーシルは調味料には気づいていたけれど塩の値段は知らず。財務官は塩の重要性は知っていたが、品目という書類上の認識が強くて料理に使用する調味料のことには思い当たらなかった。
なんとなくドランダントを見る……彼はどちらだったのか顔色からはうかがえなかった。
「先輩自分で嫁も彼女もいない暦~って自虐してたっすよね」
「うるさいだまれ」
「どういうことですか?」
「自炊してるってことですよ、誰も作ってくれないので!」
これ以上聞くな、と丁寧な言い回しで言うと、ああ……と納得の顔がいっせいにこちらに向いた。それもなんだかむなしいのでやめてほしい。
それはそうと、やることがもうひとつ増えた。
「ともかく。アシスを出入りする商会の調べは、優先的かつ内密に。それと……」




