第7話 閉館ドームで午前零時
寝袋が二つしかなかった。
「碧くんは椅子。私と陽葵は別々の寝袋」
澪が即決した。
「待って。どうして碧くんだけ椅子なの」
「三人で二つを公平に分けた結果です」
「一人だけ布団がないの、公平じゃないよ」
「では、陽葵が椅子へ?」
「それも違う」
「北条は、どうしたいの」
碧に聞かれ、言葉が詰まる。
「三人とも椅子」
「解決策が全員不幸です」
館外へ持ち出された私の管理複製は、毎晩午前零時に外部サーバーへ接続する。
接続時の経路を調べるため、私たちは閉館ドームへ泊まり込むことになった。湊さんの許可つき、保護者への連絡済み、恋愛公平規約は夜間条項まで増補済み。
規約第七条。
《消灯後、告白・寝言・寝ぼけた接触は無効とする》
「寝言で告白したら無効です」
澪が念を押す。
「誰がするの」
「陽葵は起きていても半分くらい寝言」
碧が折り畳み椅子を三脚並べながら言った。
「今日の椅子、背もたれなしにするよ」
「北条が寝言で脅迫した」
「起きてる!」
結局、寝袋は緊急時用として壁際へ置き、三人とも客席で待機することにした。
午後十一時。
ドームには非常灯だけが点いている。投影されていない天井は、星空より広く、何もない。
紙コップのカップ麺を三つ並べる。
碧は醤油。私は味噌。澪は「匂いが残る」と抵抗した末、いちばん匂いの強い豚骨を選んだ。
「澪、選択と主張が矛盾してる」
「反対するなら、最も厳しい条件を体験してからです」
「カップ麺に監査精神を持ち込まないで」
湯気が暗い客席へ上がる。
午前零時を待つだけの時間は、思ったより静かだった。
右に碧。左に澪。
私の手紙を誰かが勝手に複製したせいで集まっているのに、三人で夜更かしするのが少し楽しい。そう感じたことへ罪悪感を覚え、麺を勢いよくすすってむせた。
碧が水を差し出す。
「ゆっくり食べて」
「私、急いでない」
「麺が証言してる」
「規約第八条、碧くんが陽葵だけを世話した場合、私にも同等の配慮を行う」
澪が紙コップを差し出す。
「熱いので冷ましてください」
「どうやって」
「ふーって」
「自分でできるでしょ!」
「陽葵には聞いていません」
「碧くんも困ってる!」
碧は澪のカップを受け取り、蓋を半分外した。
「少し置けば冷める」
「正解ですが、胸キュン点はゼロです」
「採点されてたんだ」
「私の水は一点?」
「自分から聞くと減点」
「厳しい」
食べ終わっても、まだ三十分ある。
澪が星座しりとりを提案した。
「オリオン座」
「座から始めるの?」
「ざ……座席」
「星座ではありません」
「じゃあオリオンの『ん』で終了」
「開始一手で詰ませましたね」
碧が暗い天井を見上げる。
「星がないと、星座って言いにくい」
「機械、つける?」
「今日はログを動かしたくない」
「そっか」
私は天井へ視線を戻した。
星がなくても、隣に誰がいるかは分かる。
碧の呼吸はゆっくりで、澪は眠気をごまかす時だけ赤ペンを回す。私はそれを知り始めている。
午前零時までの二十日間が終わったあとも、この癖を覚えていたいと思った。
そこまで考えて、首を振る。
澪の赤ペンが止まった。
「今、何を想像しました?」
「何も」
「顔に《閉館後》と出ています」
「出ない!」
午前零時。
制御卓が青く光った。
《外部サーバー接続》
同時に、旧記録庫の扉が開く音がした。
三人で立ち上がる。
廊下の奥を、黒い影が走った。
「誰!」
私が追う。
「陽葵、一人で行かない!」
澪の声。後ろから碧の足音。
旧通路は狭く、曲がり角が多い。私は影のパーカーをつかみかけ、金属箱につまずいた。
転ぶ前に、碧が腕を支える。
「走る時、前を見て」
「見てた。床が急に上がった」
「今度は床のせいですか」
澪が追いつく。
影は行き止まりの記録庫で止まった。
突き当たりには、まだ整理されていない星型カードの箱が積まれている。ひとつぶつければ、誰かの十年前が床へ散らばる。
私は足を止めた。
逃げ道を塞ぐより、カードを守る方を選んだ。その一瞬に、影は棚へ手を伸ばす。
碧が間へ入った。左手ではなく右手で棚を押さえ、相手をにらむ。
澪は来た道を背にして、唯一の出口を塞いだ。走る速さでは碧に負けても、相手がどこへ逃げるかは先に読んでいる。
三人で追う意味を、言葉にしなくても分かり始めていた。
同じ高校の制服。男子生徒。手には青い職員鍵がある。
「それを置いて」
澪が低く言う。
「警察へ連絡する前に、目的を聞きます」
「盗むつもりじゃない」
「鍵を無断使用して侵入した人の定型文です」
少年は棚の星形カードを見た。
「母さんのを探してるだけだ」
冬木奏太。一年上の高校生だった。
彼の母は三年前に亡くなっている。十年前、未来の息子へ星屑郵便を残したらしい。
カード番号は分かっていた。でも、正式な照合には本人と保護者の記録が要る。亡くなった差出人へ確認を取り直せず、手続きは保留のまま。企業移管の通知だけが先に届いたという。
奏太の手の甲には、細い切り傷がいくつもあった。記録庫の古い窓から入るため、金網を越えた跡だ。
「企業へ移ったら、一回再生するたび金がかかるって聞いた。閉館前に持って帰らないと、母さんの声なのに、俺が金を払って聞くことになる」
「だから盗む?」
「俺宛てなら、俺のものだろ」
その言葉に、すぐ反論できなかった。
私だって、自分の手紙なのに返してもらえないと怒った。
「再生には三人必要です」
私は黄色い鍵を見せた。
「盗むより、私たちを使って。本人確認ができれば、選べるから」
「信用できるかよ」
「できなくていい。三人そろってる時しか開けないから、一人を信用しなくて済む」
それは、奏太のためだけの説明ではなかった。
私たちも今夜、互いの言葉を全部は信じられていない。それでも三つの鍵を同時に使う。信頼できるから一緒にいるのではなく、一人で決めないために一緒にいる。
澪が私を見る。
「珍しく制度の説明が上手です」
「珍しくは余計」
奏太は迷った末、職員鍵を床へ置いた。
「先に言っておきます」
澪が鍵を靴先でこちらへ寄せた。
「再生したからといって、移管に同意したことにはなりません。見る、消す、残す、決めない。選ぶのはあなたです」
「俺が『消す』って言っても?」
「止めません」
「おまえら、集めた数が足りないんじゃないのか」
痛いところだった。公共移管に必要な三十通がそろわなければ、原本を市へ移せない。
でも、澪は一度も目をそらさなかった。
「足りなくなります」
「じゃあ困るだろ」
「困ることと、あなたの答えを奪うことは別です」
言い切った澪の横顔を、私は少しだけ見直した。
少しだけ、と心の中で三回強調する。
「北条」
碧が小声で呼ぶ。
「顔に《見直した》って出てる」
「出てない。あとで減点する予定」
「採点権は私にあります」
澪の耳がわずかに赤い。暗くても分かった。
奏太が私たちを順番に見て、力なく笑った。
「変な三人」
「知ってます」
返事だけは、きれいに重なった。
◇
本人確認を終えると、母親のカードが開いた。
ORBITが映したのは、星空ではない。
古い家の天井。子ども用の蛍光シール。誰かが隣で布団を叩く音。
編集補正がほとんどない映像だった。
『奏太。大人になったあなたに、これを聞いてほしい』
母親の声が流れた瞬間、奏太は停止を押した。
「聞かないの?」
「今日は、無理」
彼は唇を強く結ぶ。
「声を聞いたら、帰れなくなる」
碧が投影卓から手を離した。
「止めたままでも、選べる」
「聞いてない手紙を、残していいのか」
「聞く日のために残すのも、選択だから」
奏太は暗くなった天井を見上げた。光の消えた蛍光シールの位置だけが、目の奥に残っている。
「母さん、片づけ苦手だったんだ。星、まっすぐ貼れなくてさ」
今度は誰も笑わなかった。
家族の思い出は、きれいに編集しなくても、本人には星座になる。
奏太が選んだのは《非公開で保管する》だった。
私たちは何も言わなかった。
聞けることと、今日聞くことは違う。
彼が帰ったあと、外部接続の履歴を確認する。
奏太の侵入時刻とは一致しない。
管理複製は盗まれたものではなかった。TomorrowWorksの演出権限で、正式な手続きとして館外へ作られている。
「正式なら、消せないの?」
「私たちの鍵は原本用です」
澪が契約画面を読む。
「企業演出用の複製には届きません」
盗難なら犯人を止めればいい。
規則の中で持ち出されている方が、ずっと厄介だった。
碧が端末を閉じた時、制服の胸元から青いカードが落ちた。
床に置かれた奏太の職員鍵と、同じ形。
私は拾い上げる。
碧の顔が固まった。
「好きな人の秘密を盗むのは嫌」
青い鍵を、彼の前へ差し出す。
「だから今、本人に聞く。これ、何?」




