第6話 三人だけの恋愛誤配信
ドームの右半分では、私が碧の手を引いていた。
左半分では、澪が碧とプラネタリウムを再建していた。
「右を残して左を消して!」
「左を残して右を消してください!」
「俺はどっちを見ればいい?」
「正面!」
「床!」
「選択肢が増えた」
碧は本気で困っていた。
高瀬澪の告白上映から二日後。
私たちは返却作業前の動作確認で、三人だけの修羅場を迎えていた。
澪の白いカードは《今は決めない》のまま、本人以外には開けない保留庫へ入っている。あの未来をもう一度見ることはできない。だから私は、昨日一日かけて、頭の中の「碧と澪が手をつなぐ場面」を追い出そうとした。
失敗した。
授業中も、昼休みも、夢にまで出た。夢の中ではなぜか私が再開館の入場券を売っていて、二人へペア割引まで適用していた。自分の想像力に裏切られ、起きた時には枕を三回殴った。
そんな私の前へ、ORBITは映像そのものを左右二画面で再提出したのである。
右の映像では、制服姿の私が閉館ドームから碧を連れ出し、町の展望台へ走っている。左では、大人になった澪が再開館したドームで碧と肩を並べている。
どちらも見覚えがある。
右は、私のカードが最初に作った「あり得た未来」。左は、澪の告白から作られた未来だ。
別々のカードのはずなのに、同じドームへ同時に投影されていた。
右の私は、転びそうになりながら碧を引っ張る。左の澪は、碧の歩調へ自然に合わせている。
私の未来は騒がしく、澪の未来は静かだ。
どちらが碧に似合うかなんて、比べるまでもないように見える。それでも右の碧は、迷惑そうな顔をしながら私の手を離していなかった。
私の方へ手を伸ばした一瞬だけを拾えば、まだ勝ち目があると言い張れる。けれど、映像が作った勝敗なら、私は負けていた。
その負けを碧の答えへ変えかけた時、あの告白上映で決めた規約を思い出した。
未来映像を、本人の返事にしない。
ルールは、自分に都合の悪い時だけ守るものではない。
《推奨未来を比較表示します》
「推奨しないで!」
「比較を頼んだ覚えもありません」
澪が赤い鍵を外そうとする。ところが映像は消えない。
右の私は碧の手を強く握り、左の澪は碧へ穏やかに笑う。
自分の未来に負けるという、意味の分からない焦りが胸を締めつけた。
「碧くんは、どっちがいい?」
「映像の話?」
「ほかに何があるの」
「二人とも大切」
私と澪は同時に彼を見た。
「便利な箱に入れないで」
「意味のない中立です」
「足りない?」
「足りない」
「足りません」
また声が重なった。
けれど今回は笑えなかった。
澪は碧のそばで何年もドームを手伝ってきた。私は町へ戻ってからの半年しか、今の碧を知らない。同じ「大切」に並べられると安心するはずなのに、違いを考えてもらえていないみたいで苦しい。
澪も同じなのだろう。赤ペンを持つ指が、動かない。
「碧くん。便利な言葉で安全確認しないで」
「安全確認?」
「二人とも大切と言えば、どちらも失わずに済むと思ってる」
「そんなつもりは」
「なくても、そう聞こえます」
澪の敬語が、いつもより冷たい。
碧が何か言おうとした時、映像にノイズが走った。
左右の未来へ、知らない女の子が割り込む。
白いパーカー。銀色のイヤリング。スマホを掲げたまま笑っている。
『みんな、今日も来てくれてありがとう』
ドームの星空に、無数の配信画面が開いた。
コメント欄は空白だった。
女の子は笑顔のまま、スマホの電源を切る。
『もう、誰にも見られたくない』
右と左の恋愛未来が崩れ、暗い部屋で一人眠る彼女だけが残った。
「別のカードが混ざってる」
私は画面へ駆け寄る。
「白いパーカー、見たことがある」
澪が端末を検索し、すぐに一人の名前を表示した。
神谷凛。高校二年生。放課後配信で人気の動画投稿者。白い服と銀色の星イヤリングがトレードマーク。
「どうして神谷先輩の手紙が、私たちの映像に?」
「昨日までは、こんな混線はなかった」
碧が再生履歴を確認する。
画面の隅に、見慣れない表示が一瞬だけ出た。
《STORY BOOST》
触れる前に消える。
「今の、何?」
「演出補正だと思う」
碧の返事は短い。けれど眉間には、消えない線が残っていた。
◇
神谷先輩は、放課後の視聴覚室にいた。
三脚、照明、背景布。画面の中なら華やかな部屋も、外から見れば機材置き場に近い。
「星屑郵便?」
先輩は銀色のイヤリングへ触れた。
「中学の校外学習で録音した。忘れてたな」
「内容を、こちらで確認してしまいました」
澪が経緯を説明する。恋愛未来が二つ同時に出た部分だけ、できれば省略してほしかったが、監査担当は一字も省かなかった。
「伊藤くんを二人で取り合ってるんだ」
「取り合ってません。正当に競っています」
「違いが分からない」
先輩が笑う。
配信で見る笑顔と同じだった。でも笑い終わった直後、電源を切った画面みたいに表情が落ちる。
机には、今日の配信予定表があった。放課後四時、勉強配信。六時、コンビニ新作レビュー。九時、悩み相談。空いている時間は、編集、告知、返信という文字で埋まっている。
「休みの日、ないんですか」
「視聴者には毎日があるからね。私だけ休むと、置いていくみたいでしょ」
明るい声だった。
けれど白いパーカーの袖口には、何度も握った皺が残っていた。
「あの手紙、再生しないで消せる?」
「できます」
私は答えかけ、昨日までの自分を思い出した。
消したいと言う人へ、理由を聞く必要はない。でも、選択肢を知らないまま消すなら、それは返却班の仕事ではない。
「ただ、消す以外も選べます。誰にも見せず保管することも、今は決めないことも」
「今は決めない?」
「はい。期限のために、私たちが答えを急かすことはできません」
澪がこちらを見る。
褒めるでもなく、赤ペンで小さく丸を一つ書いた。
「配信をやめたいって思ったのは、本当」
神谷先輩は伏せたスマホを見た。
「でも、やめたいって言ったら、応援してくれた人を裏切る気がした。未来の私なら、うまくやめられると思って書いた」
「映像に、コメントが一つもなかった」
碧が言った。
「普通、配信に成功した未来なら、応援コメントを出すと思います。でも何もなかった。神谷先輩が望んだのは、成功じゃなくて、誰にも見られない時間だったんじゃないですか」
先輩の指が止まる。
碧は誰かの気持ちを言い当てた顔をしなかった。
「違ったら、違うと言ってください」
最後にそう足す。
「……違わない」
先輩は笑わなかった。
「一日だけ、誰にも見られずに寝たかった」
三人で先輩をドームへ連れていき、本人確認をする。
画面には四つの選択肢。
先輩は《今は決めない》を選んだ。
「これ、逃げじゃないんだ」
スマホの電源を切り、机へ伏せる。
「少なくとも、私たちは逃げとして扱いません」
澪が言った。
「ありがとうございます。明日一日、配信を休んでから考える」
「告知はどうするんですか」
私が聞くと、先輩はスマホを裏返した。
「休みます、だけ書く。理由は書かない」
「視聴者に心配されません?」
「されると思う。でも心配されないために休めないなら、それは休みじゃないから」
言い切ったあと、神谷先輩は少し不安そうに笑った。
「明日になったら、怖くなって配信するかもしれないけど」
「その時は、今日の選択が嘘になる?」
碧が聞く。
「ならないと思います。今日は休みたいと決めた。明日の気持ちは、明日決めていい」
先輩は伏せたスマホの上へ両手を置いた。
決めないことと、何も考えないことは違う。
ORBITの四択を見ていると、少しずつそれが分かってきた。
先輩が帰ると、ドームには三人だけが残った。
さっきの言葉が、まだ空気に引っかかっている。
二人とも大切。
碧が自分から口を開いた。
「さっきのは、逃げだった」
私と澪は黙って待つ。
「澪には、ずっと助けられてきた。俺が言わなくても分かってくれることに、甘えてた」
澪のまつ毛が下がる。
「陽葵には、怒られても近くにいてほしい」
「……それ、どういう」
「北条が走ってくる音、うるさいのに、来ると安心する」
「分け方が急にずるい!」
耳が熱くなる。
澪が赤ペンを持ち上げたが、いつもの速さで点数を書けなかった。
「私には感謝。陽葵には安心ですか」
「今、分かるところまで言った」
「返事ではない?」
「うん。まだ返事を出す時間がほしい。でも、そう言わずに二人とも大切でまとめたのは、俺が悪かった」
完全な答えではない。
それでも、同じ箱から出してもらえた。
うれしい。
けれど澪が「助けられてきた人」で、私が「怒っても近くにいてほしい人」だと言われた意味を、すぐ恋愛の優劣へ変えたくはなかった。
神谷先輩の休みたい気持ちを、成功か失敗かへ押し込めないと決めたばかりだ。
私に向けられた言葉にも、結論を急がない方がいい。
そう思うのに、胸の奥では小さな私が「今のは一歩リード」と旗を振っている。成長と恋心は、同じ速度では進んでくれない。
「告白ではないからね」
私は確認する。
「違う」
「違うんだ……」
「どちらを望んでいるんですか」
「確認しただけ!」
澪がようやく赤ペンを走らせる。
「言い直しに一点。無自覚な加点狙いでマイナス一点」
「合計ゼロ?」
「今日のところは」
碧は少し考えたあと、頷いた。
「次は、もう少しうまく言う」
「次がある前提なのが腹立つ」
「でも、逃げない前提でもあります」
澪の声は苦そうで、少しだけうれしそうだった。
制御卓を終了しようとした時、見慣れない管理画面が開いた。
《北条陽葵カード》
《原本 一》
《管理複製 二》
《合計 三》
「私のカード、三枚あるの?」
複製先を開く。
一つはドーム内の運用サーバー。
もう一つの接続先には、会社名が表示されていた。
《TomorrowWorks 外部サーバー》
碧の顔から、さっきまでの柔らかさが消えた。
「館外へ、持ち出されてる」




