第5話 恋敵の告白、上映します
「途中でキスしたら停止するから」
私は非常停止ボタンの前で宣言した。
高瀬澪は白い星形カードを手にしたまま、冷ややかにこちらを見る。
「映像に嫉妬する人、初めて見ました」
「嫉妬じゃない。安全管理」
「何から何を守るんですか」
「私の精神を、碧くんの唇から」
「順番が逆では?」
「二人とも」
当の碧が、私たちの間で困った顔をした。
「俺の唇は危険物?」
「今は黙って」
「危険物には発言権がありません」
「俺の話なのに」
昨日、床から現れた百通目のカード。
送信者は澪。宛先は碧。
中学時代の音声テストで録り、削除したはずの告白だという。
旧原本ではないから、公共移管に必要な三十通には数えられない。それでも最終上映の候補には入る。つまり放っておけば、十七日後、澪の告白まで知らない観客に見られる。
先に本人へ返す。それが返却班の仕事だ。
分かっている。
分かっているけれど、好きな人と恋敵が結ばれる未来を、自分の手で再生する仕事まで引き受けた覚えはない。
「陽葵」
澪が初めて、許可していない呼び方をした。
「嫌なら、あなたは外にいてもいいですよ」
「嫌だからいる」
「論理が逆です」
「見ないで想像する方が嫌なの。澪が何を言って、ORBITが何を映して、碧くんがどんな顔をするのか。知らないままの方が、ずっと勝手に悪く考える」
昨日、自分で決めた線だ。
逃げれば、映像にも澪にも負けたことになる。
「最後まで見る」
私は黄色い鍵を制御卓へ置いた。
「私も、勝手に止めない。澪が止めてって言うまでは」
澪は少しだけ目を見開き、それから赤い鍵を隣へ置いた。
「では、見届けてください。私がどれだけ趣味のいい恋をしているか」
「その評価は上映後」
「負け惜しみは上映中でも受け付けます」
碧が青い鍵を持ったまま、まだ動かなかった。
「澪。本当にいい?」
「昨日も聞きました」
「昨日と今日で、答えが変わるかもしれない」
澪の強がりが、一瞬だけ止まる。
それでも彼女は頷いた。
「変わっていません。再生してください」
三つ目の鍵が置かれた。
床の三色が一つにつながる。
私たちは試写台を囲むように立っていた。
澪は赤い鍵の前。碧は青。私は黄色。
三色の光は同じ距離で星へ伸びているのに、誰と誰が近いかを決める線に見えてしまう。澪と碧の間だけが短い気がして、私はこっそり半歩前へ出た。
澪も半歩出る。
碧が二人を見比べた。
「鍵の位置は動かないよ」
「知ってる」
「床の傾きを確認しただけです」
「二人とも同じ方向へ傾いた」
「今はそういう観察力いらない!」
笑えるうちに笑っておきたかった。
星が開けば、しばらく笑えなくなると分かっていたから。
《送信者・高瀬澪。宛先・伊藤碧》
《未送信メッセージを再生します》
白い星が開いた。
『碧くんへ』
今より少し高い澪の声が、暗いドームへ降ってくる。
『好きです』
たった一言だった。
もっと完璧な文章を想像していた。
碧の性格を分析し、過去の思い出を並べ、私が入る隙なんて一ミリもない告白。
でも、十三歳の澪の声は震えていた。
『案内用の星を全部落とした日、碧くんは、大丈夫とも、手伝うとも言いませんでした。ただ隣に座って、一緒に拾ってくれました』
ドームの床へ、小さな紙の星が広がる。
中学生の澪が一人でしゃがみ込み、その隣へ同じ制服の碧が座る。彼は慰めない。事情も聞かない。ただ、青い星を一枚拾って箱へ戻す。
『私が一人でできるふりをしたまま、一人にしなかった』
今の澪が、隣で息を止める。
『だから好きです。いつか、私がちゃんと自分の仕事を選べる人になったら、あなたの隣にいたいです』
告白が終わる。
ORBITの星空が、未来へ変わった。
閉館するはずのドームに、新しい看板がかかる。
《セレスティア星見ドーム 再開館》
大人になった澪が、満員の客席へ案内をしている。赤いペンは胸ポケット。言葉は今より柔らかいのに、迷いがない。
投影室には碧がいた。
少し伸びた黒髪。機械へ向かう横顔。澪がドアを開けると、彼は自然に椅子を半分空ける。
澪が隣へ座る。
上映を終えた二人は、客席の最後列へ降りた。
満天の星の下で、手が触れる。
指が重なり、碧から握り返す。
あまりにも自然だった。
大人の澪は、今より少し短い髪を耳へかけ、碧の肩に頭を預ける。映像の碧は驚かない。何年もそうしてきた人のように、彼女が楽な角度へ肩を傾ける。
観客のいないドームで、二人だけが同じ星を見ている。
派手な台詞はない。運命だとも、永遠だとも言わない。
だからこそ本物に見えた。
私が碧と話す時は、いつも一つの返事に一喜一憂し、触れそうになれば澪の赤ペンが飛んでくる。映像の二人には、そんな騒がしさがない。積み重ねた時間が、沈黙まで二人のものにしていた。
澪が望んだ未来だと分かっていても、胸は理屈どおりに動いてくれない。
私が入り込む隙間なんて、最初からどこにもなかったみたいに。
胸の中が、ゆっくり冷えていく。
非常停止ボタンへ手を伸ばす。
押せば消える。
澪が望んだ未来も、碧が澪だけを見る顔も、私の前から消せる。
指先がボタンへ触れる直前、止めた。
これは澪の手紙だ。
澪が止めてと言うまでは、私が終わらせてはいけない。
昨日の私は、自分の映像を勝手に流されて怒った。その私が、見たくないという理由で他人の映像を切ったら、何も変わらない。
手を下ろす。
その瞬間、映像の碧が澪へ顔を寄せた。
「ちょっと待って、そこまであるの!?」
「停止」
私より先に、澪の声が響いた。
星空が、二人の唇の間で切れた。
◇ 高瀬澪視点 ◇
私は、自分がこの未来を望んだことを知っていた。
碧と二人でドームを再開する。並んで働く。客のいなくなった夜、言葉にしなくても手をつなぐ。
何度も想像した。だから映像になった。
幸せそうだった。
陽葵が息を詰めたのも分かった。あと一秒見せれば、恋敵の心を折れるかもしれない。碧も、あれほど自然な未来を見れば、自分たちは似合うと思うかもしれない。
そんな期待が、一瞬だけ浮かんだ。
だから、私は止めた。
正しいからではない。
この映像で勝ったら、陽葵にではなく、自分の弱さに負けると思った。
停止ボタンを押した指が震える。
平気な顔を作ろうとしたが、うまく口角が上がらなかった。
◇ 北条陽葵視点 ◇
「幸せそうでしょ、未来の私」
暗転したドームで、澪が言った。
いつもの笑い方に戻れていない。
「腹が立つくらい」
私は正直に答えた。
「そうでしょうね」
「最後まで見なくてよかったの?」
「よくありません」
澪は停止ボタンから手を離す。
「見たかった。続きを。碧くんが私を選ぶところを」
「じゃあ、どうして」
「私が望んだ台本を、碧くんの答えにしたくないからです」
澪が碧を見た。
「これは私の告白です。未来映像は、あなたの返事ではありません」
碧は消えた星空を見上げたまま、ゆっくり頷いた。
「うん。これは澪の未来で、俺の返事じゃない」
澪の肩がほんの少し下がる。
私は安心しかけて、すぐに止まった。
「じゃあ、碧くんの返事は?」
碧がこちらを見る。
「今、答えるの?」
「今じゃなきゃ、いつ?」
「待って」
「何を?」
「ちゃんと考える」
「それ、いつまで?」
碧は答えられなかった。
澪が先に視線を外す。
「陽葵。追い詰めなくて結構です」
「でも」
「今、映像を拒否した直後に返事を求めたら、今度は私たちが映像の続きを碧くんへ演じさせることになります」
正しい。
また正しい。
でも、澪の顔は正しいことを言えた人の顔ではなかった。
碧も、答えなくて済んでほっとしたようには見えない。言えない自分に、いちばん傷ついているようだった。
「二人とも、俺の未来を勝手に消さないで」
碧が言った。
私と澪は同時に彼を見る。
「だったら今しゃべって」
「しゃべってください」
「同時に言わないで」
「意見が一致したので一点」
「敵から点はいらない」
澪の口元が、やっと少しだけ戻った。
「規約へ追加します」
赤い端末を開く。
「第三条。未来映像を、本人の返事にしない」
「異議なし」
私も黄色い端末へ承認を入れる。
碧だけが、青い端末の上で指を止めていた。
「俺にも適用される?」
「特に碧くんへ適用します」
「映像で答えたことにして、逃げる可能性が一番高いから」
「信用がない」
「今から作って」
碧はしばらく私たちを見ていた。
それから、承認を押した。
「作る」
短い一言だった。
告白の返事ではない。
でも、何も言わずに逃げないという約束には聞こえた。
上映が終わり、白いカードが澪の手元へ戻る。
澪は《削除》へ触れかけ、止めた。
「今は決めない、にします」
「どうして?」
「今日の私は、負けないために消すかもしれないからです。処分は、明日の私に任せます」
「じゃあ、届けるのも保留?」
問いながら、届ける相手が隣にいることへ気づく。
碧はすでに全部聞いた。郵便としては、もう届いている。
それでも画面上の《届ける》は選ばれていない。送信記録にして残すのか、自分だけの記録に戻すのか、消すのか。それは、告白を聞いた碧にも決められない。
「はい。言えたことと、保存することは別です」
澪は白いカードを胸元へ引き寄せた。
「それに、今日の私は映像に少し負けています。そんな状態で最終決定をしたくありません」
「澪でも負けるんだ」
「今、好感度が上がりましたか?」
「ちょっとだけ」
「下げておいてください。競争に支障が出ます」
「それは無理」
私たちは同時に碧を見た。
碧は自分へ向いた二つの視線に気づき、わずかに後ろへ下がった。
「俺が何か言うところ?」
「言えるなら」
「期限つきでお願いします」
「二人とも、急に厳しい」
「今日の教材を見ていたら当然です」
さっきまで痛かった空気が、少しだけほどける。
四つ目の選択肢が、逃げではなく時間を取り戻すためのものだと、初めて分かった気がした。
澪が赤い鍵を外す。
私も黄色い鍵へ手を伸ばす前に、彼女へ赤ペンを差し出した。
上映前に床へ落としたまま、客席の下まで転がっていたものだ。
「これ」
「拾っていたんですか」
「敵の武器がないと、勝っても張り合いがないから」
澪は受け取った。
「百点には遠いですが、加点しておきます」
「何点?」
「秘密です」
聞かなかった。
今は、それでよかった。
◇
三人がドームを出たあとも、制御室の灯りは消えなかった。
真壁は、無人になった客席を背に、観覧ログを開く。
陽葵が停止へ手を伸ばした瞬間。
澪が自分で映像を切った瞬間。
碧が返事を求められ、沈黙した瞬間。
反応値のグラフは、その三か所で鋭く跳ねていた。
「届く形に、整えるだけだ」
真壁は演出設定を一つ変更した。
《STORY BOOST:ON》
《三角関係反応値を学習》
確認ボタンを押す。
画面の下に、新しい処理が走った。
《北条陽葵カード――管理複製を作成》




