第8話 好きな人は、秘密の管理人
私は青い鍵を碧の目の前に掲げた。
「三秒で説明。四秒目から勝手に悪い想像をする」
「三秒は短い」
「一」
「父さんの鍵だった」
「二」
「父さんはORBITの技師で、俺も昔から記録庫に入れた」
「三」
「兄さんが真壁青斗」
「はい時間切れ――待って。最後の何?」
悪い想像を始める前に、現実が想像を追い越した。
閉館ドームの非常灯の下で、碧がまっすぐ私を見る。
「TomorrowWorksのプロデューサー。真壁青斗は、俺の兄」
「名字、違うよね」
「兄さんは母さんの名字。俺は父さんの名字」
「碧くんのお兄さんが、青斗くん?」
「うん」
「私が十年前に手紙を送ろうとした、あおとくん?」
「たぶん」
「たぶんで実兄を紹介しないで!」
声がドームに反響した。
反響が消えるまで、碧は言い訳をしなかった。その沈黙が余計に腹立たしい。
「いつから知ってたの」
「兄さんが宛先かもしれないと考えたのは、最初の上映のあと」
「私のカードのことは?」
「もっと前から。名前は見てない。子どもの声が入った、宛先不明のカードがあるってことだけ」
「じゃあ、私だって分かってから今日まで、ずっと黙ってた?」
「言えば、北条が自分の気持ちまで決められたと思うかもしれないから」
「私の気持ちを決めないために、私へ判断材料を渡さなかったの?」
碧の口が閉じる。
「それ、すごく上手に矛盾してるよ」
「……分かってる」
「今、分かった顔をしないで。私は今、初めて知ったの」
碧の左手が右手首をつかむ。困った時の癖だ。そんなことを知っている自分にも腹が立った。
隣で、澪の赤ペンがかちりと鳴る。
「陽葵。もう一つ、あります」
「この夜、追加告白が多すぎない?」
「私は、中学の時に湊さんから兄弟のことを聞いていました」
怒りの向き先が、きれいに二つへ割れた。
「澪も知ってたの?」
「はい」
「それだけ?」
「あなたのカードの送信者索引を、一日だけ非表示にしました」
「それだけじゃなかった!」
澪は赤ペンを握ったまま、背筋を伸ばしている。正しい姿勢で告白すれば罪が薄まる制度はない。
「なぜ?」
「青斗さんが宛先だと確定すれば、あなたが碧くんへ近づく理由がなくなると思いました」
「私を守るためじゃなく?」
「私のために隠しました。そこは訂正します」
即答だった。
碧よりずっと潔い。だから許せる、とはならない。
「二人とも、私のためって顔で、私の知らない会議をしないで」
「俺は――」
「碧くんは、何が怖かったの」
碧は目を伏せた。
「北条が兄さんを好きだったって分かること」
「それで?」
「俺が、兄さんの代わりだったって分かること」
ようやく、彼の言葉の主語が私から碧へ戻った。
「俺も、自分が怖かった」
「最初から主語を自分にして」
私は息を吐いた。
「澪のこと、今は許せない」
「はい」
「碧くんも。次に大事なことを黙ったら、私はこのチームを抜ける」
碧の顔から色が引いた。
「分かった」
「でも、今は帰らない」
「……え」
「青い鍵で何が見られるの。全部見せて」
澪が一度だけ強くまばたきをした。
その時、通路の照明が点いた。
紙袋を抱えた湊さんが立っている。泊まり込み組への朝食を持ってきたらしい。袋からパンの匂いがした。
「話は聞こえた」
「どこからですか」
「三秒で説明、のあたりから」
「ほぼ全部!」
湊さんは碧の青い鍵を受け取り、裏面の番号を確かめた。
「これはお父さんに貸与された保守鍵。事故後に返却された記録になっていた」
「父さんの机に残ってた。閉館が決まった日に持ってきた」
「持ち出しを知っていたんですか」
澪の問いに、湊さんは首を横へ振る。
「知らなかった。大人の管理ミスだよ。碧一人へ背負わせる話じゃない」
「でも、使ったのは俺です」
「そうやって何でも自分の責任にする癖、お父さんに似たね」
碧が黙る。
湊さんは私へ向き直った。
「原始ログには、映像へ映った全員の過去が入っている。見るなら、あなた自身の記録だけに範囲を絞る。途中で嫌になったら止めていい」
大人に全部預けて帰れば、少しは楽だったかもしれない。
けれど、私について隠されたことを、また別の誰かだけが確認するのは嫌だった。
「見ます。決めるところまで、ここにいます」
湊さんはしばらく私たち三人を見た。それから青い鍵を碧へ返す。
「じゃあ私は操作記録の立会人になる。答えは代わりに決めない」
紙袋を制御卓へ置いた。
「ただし、空腹で十年前と戦わないこと。あんパンとクリームパン、選んで」
「今ですか?」
「今。過去は逃げないけど、クリームは傷む」
怒りと緊張でいっぱいだったのに、三人そろってパンへ手を伸ばした。全員、クリームパンだった。
「そこまで競合しなくてもよくない?」
「公平に三等分します」
「形が崩れる」
「碧くん、食べ物の形にだけ繊細ですね」
少しだけ、いつもの三人へ戻れた。
◇ 高瀬澪視点 ◇
陽葵に嫌われる準備なら、できていた。
隠した日から、毎日少しずつしていた。
怒鳴られる。軽蔑される。二度と名前を呼ばれない。それでも碧くんの隣を譲らないと決めていた。
けれど、「許せない。でも帰らない」は想定していなかった。
許されるより苦しい。
陽葵は私を切り捨てず、怒る責任だけを私に返した。
礼を言えば、きっとまた違うと言われる。
だから私は、初めて何も言わずに頷いた。
◇ 北条陽葵視点 ◇
碧が青い鍵を旧投影卓へ挿した。
《保守用原始ログ。個人情報を含みます》
「原始ログって?」
「AIが映像を整える前の、館内カメラと機械の記録」
「編集前の十年前が見られるってこと?」
「見たい範囲を指定すれば」
碧の左手首を見た。
「事故の日」
彼が小さく頷く。
ドームの天井いっぱいに、色の薄い映像が広がった。
十年前の星屑郵便館。
受付台は今より低く、床には星の矢印が貼られている。その上を、小さな女の子が両手を広げて走っていた。
映像の端に、当時の日付と機器番号が固定表示されている。加工された未来映像と違って、音は割れ、画面もときどき白く飛ぶ。きれいではない分、そこに本当にあった時間だと思えた。
『宇宙船、出発!』
「あれ、私?」
「床を宇宙船にする発想が陽葵です」
「昔から設備の使用目的を守らない」
「二人とも今は黙って」
小さな私は、星型カードを胸に抱えている。
その後ろから、今の碧をそのまま縮めたような男の子が追いかけてきた。無表情で、でも必死だ。
『そこで走ると危ない』
『宇宙船だから走ってないもん。飛んでるの』
「十年前から会話が成立してない」
「北条は成長してない」
「碧くんだけ十年前の味方をするの禁止」
映像の奥に、もう一人いた。
中学生くらいの少年。脚立に乗り、壊れた星型カードの読取部を開けている。
今より幼いのに、笑い方は同じだった。
『青斗、勝手に触るな』
映像の外から、大人の声が飛ぶ。
『父さんが戻るまでに直すだけ。ほら、碧、そっちの工具』
青斗は作業の合間にも、小さな私へ笑いかけていた。紙の星を折り、壊れた読み取り機の上へ並べる。私は一つもらうたび、カードの封筒へ詰め込んでいく。
幼い碧は会話へ入らず、落ちた工具を拾い続けていた。
兄は人の視線を集めるのが上手で、弟は誰も見ていない物を拾う。
十年前から、二人はまるで違う。
なのに私は、名前の音が似ているだけで、二人を同じ宛先へ重ねかけていた。
幼い碧が素直に工具箱を運ぶ。
青斗は編集卓ではなく、カード読取部の配線を手で戻していた。画面の時刻は、私たちが見つけた現代の企業演出ログより十年も前だ。
「兄さんは、この時は映像を触ってない」
碧が言う。
「カードを直してるだけ」
「うん」
事実は事実だ。怒っているからといって、罪まで盛るつもりはない。
幼い私が回転床の中央へ乗った。
次の瞬間、警告音が鳴る。
『床から降りて!』
青斗が叫んだ。
回転床が急に動き、私の小さな体が傾く。
幼い碧が停止レバーへ走った。届かない。だから進路を変え、転びかけた私へ飛びついた。
二人で床へ倒れる。
鈍い音。
碧の左手首が、不自然な向きに曲がった。
「これ……」
隣の碧が、今の左手首を押さえていた。
「覚えてたの?」
「床が回ったことと、痛かったことは」
「私をかばったことは?」
「あとで父さんに聞いた」
「どうして言わなかったの」
「恩に着せるみたいだから」
「それも碧くんが嫌だったから、でしょ」
彼は少し驚き、それから頷いた。
「うん。俺が嫌だった」
今度は主語を間違えなかった。
私はまだ怒っている。それでも、その小さな進歩に胸がほどけそうになるのが悔しい。
映像の中で、青斗が二人のもとへ駆け寄る。小さな私を抱き起こし、碧の腕を見て顔を青くした。
『救急箱――いや、動かさない方がいい。父さん!』
混乱の中、私の星型カードが床へ落ちた。
青斗がそれを拾う。
小さな私は泣きながら、青斗の袖をつかんだ。
『それ、なおる?』
『直す。ちゃんと戻すから』
『青斗くん、直ったら、いっしょに見ようね』
映像が止まった。
呼ばれたのは、青斗くん。
私をかばって手首を傷めた、隣の幼い碧じゃなかった。
現在の碧が、私からそっと目をそらした。




