第3話 偽装デートは三人一組
「今から偽装デートをしてください」
放課後のケーキ店で、高瀬澪は私と碧を二人席へ押し込んだ。
「手をつないだら調査。照れたら私情。勝手に胸を高鳴らせたら規約違反です」
「最後のは制御できないでしょ!」
「努力義務です」
「なんの調査なの、これ」
「昨日の映像再現です。二人分のフォーク、向かい合わせの椅子、苺のケーキ。座る人間の感情が変われば、見落とした情報に気づく可能性があります」
澪はそう言うと、隣の四人席へ一人で座った。
タブレット、ノート、赤ペンを横一列に並べる姿は、恋敵というより試験監督だ。
「だったら澪が碧くんと座ってもいいよね」
「構いませんが、あなたは私たちのデートを正面から観察できますか?」
「席、替わらなくて大丈夫です」
「即答。素直でよろしい」
やられた。
昨日映ったケーキ箱には、店名が残っていなかった。けれど苺の切り方と、薄い水色の皿、窓に映った金色の文字から、候補は駅前の《ルミエール》に絞られた。
ここまで来るのにも、三人で一時間も揉めた。
私は「赤いマフラーを市内検索すれば早い」と主張し、澪に「冬の星見市に何人いると思っているんですか」と却下された。碧はケーキ箱の角に残ったクリームの跡を見て「箱が少し小さい」と言い、澪が市内十二店の箱サイズを比較した。最後に私が、ガラスへ映った金色の光を店名だと気づいた。
三人とも、一人ではここへ来られなかった。
それを認めると、返却班らしくなった気がして少しうれしい。隣の席をめぐって三分で解散しかけた事実は、いったん忘れる。
問題は、映像と同じ窓際席が二人掛けだったことだ。
仕方なく座った。あくまで調査である。
向かいには碧がいる。
近い。
教室では一つ隣の席なのに、テーブルを挟むと距離の意味が変わる。彼がメニューへ落としたまつ毛まで見える。私は紙ナプキンの位置を直すふりをして、三度目の深呼吸をした。
「北条」
「な、なに」
「心拍、速い?」
「駅から歩いたから」
「三分前から座ってる」
「店が私の方へ走ってきたの」
「今日は建物がよく動くね」
昨日と同じ顔で受け入れられた。
澪が隣の席から赤ペンを上げる。
「虚偽申告、一点」
「恋敵に心拍を採点される人生、想定してなかった」
「私も、好きな人とのデートを恋敵に譲って監督する人生は想定外です」
「……澪も嫌なんだ」
「当然でしょう。私は有能ですが、無感情ではありません」
赤ペンの先だけが、少し強くノートを押していた。
余裕の塊みたいに見える澪も、私と同じように嫌で、怖くて、それでもここへ来た。
それが分かると、勝ちたい気持ちは少しも減らないのに、嫌いになる理由だけがまた一つ減った。
「二人とも、同じケーキでいい?」
碧が聞く。
「映像と同じ苺のショートケーキ」
「私は別のにします」
澪が言った。
「どうして?」
「二人と同じものを一人で食べるほど、自虐の趣味はありません」
「じゃあ三人で同じにしようよ」
口にしてから、自分でも驚いた。
澪も一度だけ目を見開く。
「調査だから」
言い訳を足す。
「三皿あれば、フォークの向きも三通り試せるし」
「理屈が後から走ってきましたね」
「採用?」
「採用です」
ケーキが三つ届いた。
白いクリームに赤い苺。薄い水色の皿。映像と同じだ。
私は右利きだからフォークを右へ置く。碧も右。澪は一度左へ置いてから、写真に撮った。
「昨日の映像、赤いマフラーの人は右手でフォークを握っていました。でも、向かいの空席に置かれたフォークも右向きだった」
「店員さんが置いたんじゃない?」
「映像では、本人が置き直しています」
澪が静止画を拡大する。
二本のフォークは、どちらも同じ向き。向かい合う二人が使うなら、片方からは持ちにくい。
「向かいの相手に食べさせるつもりがなかった?」
私が言うと、碧は窓を見た。
「最初から、来ないと思ってたのかも」
その言葉で、昨日の映像が少し違って見えた。
二人分のケーキは再会の準備ではない。来ない相手の席を、空いたままにしないためのものだったのかもしれない。
私は慌てて自分のケーキへフォークを入れた。
クリームが想像より柔らかく、苺の酸味が強い。
「北条、口」
碧が私を見て言った。
フォークが止まる。
「告白は、まだ早い」
「クリームです」
澪の声が飛んできた。
「告白より先に鏡を見てください」
「分かってた! 今のは調査用の反応確認!」
碧が紙ナプキンを一枚抜いた。
「自分で取れる?」
「取れる!」
「さっきから位置がずれてる」
「取れてないなら早く言って!」
「言った。口って」
「情報が少なすぎる!」
碧が身を乗り出しかける。
澪の靴が、テーブルの下で彼の靴を踏んだ。
「澪、今踏んだ?」
「未来予報です」
「未来なのにもう痛い」
私は鏡を探して窓を見た。
ガラスに映る自分の口元、その横に金色の店名が反転している。
LUMIERE。
昨日の静止画にも同じ文字があった。ただし、反転していなかった。
「待って」
タブレットを引き寄せる。
「この文字、窓に映った店名じゃない。外側から撮った看板だ」
画像を回転させると、金色の文字の下に小さな星印と数字が見えた。
《創業二十五周年 宮下姉妹》
店の壁へ目をやる。古い写真が何枚も飾られ、その一枚に赤いマフラーを巻いた双子の少女がいた。
「見つけた」
私たちは同時に立ち上がった。
店の奥から、白髪の店主が目を丸くする。
◇
双子の名前は、宮下真帆と美帆。
店主の姪で、十年前は高校二年生だった。
いつも同じ服を着せられ、同じ髪型で、周囲からは「宮下さん」「双子ちゃん」とまとめて呼ばれた。真帆はそれが嫌で、美帆は二人でいる方が安心だった。
進路をめぐる喧嘩の夜、姉の真帆は家を出た。
残った星屑郵便は、姉から妹へ送れなかった謝罪だった。
真帆は東京で製菓の仕事に就き、美帆は星見市に残った。連絡先は何度も変わり、冠婚葬祭で同じ場所にいても、親戚を間へ挟んでしか話さない。十年という時間は、喧嘩の理由を薄くする代わりに、最初の一言を重くしていた。
「仲直りさせたいなら、私たちが間に入る?」
店を出てから聞くと、澪は首を横に振った。
「私たちは郵便を返すだけです。仲直りまで成果に含めたら、本人が望まない結末を成功扱いします」
「でも、せっかく手紙があるのに」
「北条」
碧が静かに呼ぶ。
「手紙があるから、許さないといけないわけじゃない」
分かっている、と言いかけてやめた。
たぶん私は、まだ分かっていなかった。
「あの子、昔から大げさでねえ」
店主は連絡先を探しながら笑った。
「名前を呼べばよかった、なんて。双子なんだから、顔を見れば分かるでしょうに」
「今は笑えるんですね」
碧が言った。
声はいつもと同じ静かさだった。でも店主の笑いだけが止まった。
「でも、書いた時は違ったと思います」
碧は誰かを責める顔をしない。ただ、笑っていい感情と、まだ笑えない感情の境目を見失わない。
そういうところが好きだ、と改めて思った。
昔の約束でも、助けてもらった記憶でもない。
今、目の前で誰かの言葉を雑に扱わなかった碧を、私は好きなのだ。
店主が連絡を取り、翌日、真帆と美帆は別々にドームへ来た。
二人は同じ顔なのに、髪の長さも、服も、立つ位置も違った。真帆は入口に近く、美帆は一番奥の席。十年分の距離が、そのまま間に置かれているようだった。
三つの鍵で原本を開く。
『美帆へ』
音声はそこで途切れた。
ノイズ。子どもの泣き声みたいな機械音。
「壊れてるの?」
真帆が青ざめる。
碧は制御卓の波形を確認した。
「元の音は残っています。修復できると思う」
「じゃあ、今すぐ」
「でも、聞かない選択もあります」
碧は真帆ではなく、美帆へ向き直った。
「直して再生していいですか」
美帆の指が、膝の上で組み直される。
私なら、早く直してと急かしていた。
澪なら、手続きの正しさを先に整えただろう。
碧は、直せることと、直していいことを分けて聞いた。
長い沈黙のあと、美帆が頷く。
「聞きます。今度は、私の名前で」
修復された声が、ドームへ戻った。
『美帆。ごめん。私は、真帆として一人になりたかった。でも、美帆を一人にしたかったわけじゃない』
ORBITが星空を映す。
大人になった二人が、昔と同じ寝室で、一つのケーキを分けていた。恋人のように見えた抱擁は、姉妹が「もう一度、二人に戻りたい」と願った形だった。
未来の事実ではない。
真帆が十年前に、そうなってほしいと願った映像。
「美帆」
現実の真帆が、妹の名前を呼んだ。
「真帆」
美帆も返した。
「返事は、しなくていい」
真帆が続ける。声が震えていた。
「これは私が謝りたかっただけだから。許してもらうために呼んだんじゃない」
美帆はしばらく姉を見ていた。
「そういうところ、昔から嫌い」
真帆の肩が小さく揺れる。
「私の返事まで、先にいらないって決めるところ」
美帆は空席の一つへ置かれたケーキの映像を見上げた。
「私、毎年あの店で、同じケーキを二つ買ってた。来ないって分かってるのに。だから、映像を見た時、真帆が勝手に作った未来だってすぐ分かった」
「美帆……」
「今日は許すか決めない。でも、名前を呼ばれたことは受け取る」
三人とも、口を挟まなかった。
私なら、ここで何か言わなければ場が壊れると思っていたはずだ。澪なら手順を確認し、碧なら機械の状態を見るふりをしたかもしれない。
でも今は、二人の沈黙に私たちの言葉を足さない方がいいと分かった。
それだけだった。
抱き合わない。許したとも言わない。
けれど二人は、画面に示された《届ける》を一緒に選んだ。公開はしない。これは二人の間だけに届ける。
一つ目の星が、暗いドームの天井へ灯った。
帰り際、澪が私の隣へ立つ。
「今日の偽装デート、どうでした?」
「調査として有意義でした」
「恋愛としては?」
「規約違反の質問」
「答えられない、と記録します」
「澪は?」
「二人を向かい合わせたことを、少し後悔しています」
「少しなんだ」
「かなり、とは敵に言いません」
澪が先に歩き出す。
勝ちたい。でも、同じくらい、この子にだけは嘘で勝ちたくないと思った。
制御卓で、短い警告音が鳴る。
私の黄色い端末に、消えていた索引が一行だけ浮かんだ。
《北条陽葵 宛先候補――あおと》
姓も、漢字もない。
隣で画面を見た碧が、左の袖口を直した。
今度は、見間違えなかった。




