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第2話 恋敵と利用規約

「どうしてあなたが碧くんの隣なんですか」


「昨日からの流れを見たら、私でしょ」


「昨日のあなたは、黒歴史にキスさせかけていただけです」


「私がさせたんじゃない!」


 返却班としての初出勤から、まだ十五分。


 私と高瀬澪は、早くも解散の危機を迎えていた。


 昨日の登録後、私はほとんど眠れなかった。六歳の私が誰へ何を書いたのか。映像の少年は碧なのか。キスの二センチ先に出るはずだった顔は誰だったのか。考えるたび布団を蹴り、午前三時には枕がベッドの下へ落ちた。


 そして放課後、誰より先にドームへ来たはずなのに、澪はすでに制御卓を磨き終え、必要書類へ付箋まで貼っていた。寝不足で前髪が決まらない私と、昨日と同じ角度で襟がそろっている澪。


 戦う前から、生活態度で負けている。


 原因は、ドームの制御卓前に並べられた三脚の椅子である。


 左、中央、右。


 碧は中央の椅子を一度見て、それから何も言わず左端へ座った。私は当然、その隣へ向かった。澪も当然の顔で同じ椅子の背に手を置いた。


 現在、私たちは一脚の椅子を挟み、向かい合っている。


「先着順」


「公共施設で恋愛に場所取りを導入しないでください」


「じゃんけんする?」


「勝ってもあなたが後出しだと言い張る未来が見えます」


「未来予知は禁止!」


「ORBITより精度は高いです」


 私たちが睨み合っている間に、碧が立った。


 空いた左端ではなく、中央の椅子へ移る。


「これなら公平」


 私と澪は、同時に左右の椅子へ座った。


 一秒後、同時に立った。


「真ん中に入って解決した顔しないで」


「便利な箱に入れられた気分です」


「箱?」


「私たちを『どちらも隣』の箱に入れました」


「じゃあ俺が端に戻る」


「そういう問題じゃない!」


 碧が本気で分からない顔をした。


 この人を好きな私たちの方が、何か重大な判断を間違えている気がしてくる。


「朝から元気だな」


 低い声がして、三人そろって振り向いた。


 工具ケースを持った男性が旧制御室から出てくる。目元は碧に似ているが、笑いじわが深い。伊藤湊さん。碧のお父さんで、このドームの主任技師だ。


「父さん。朝じゃない。もう四時」


「閉館作業をしてると、照明が同じで分からなくなる」


「労働環境から点検した方がよくないですか」


 澪が真顔で言う。湊さんは「監査担当は手厳しい」と笑い、工具ケースから三つの薄い端末を出した。


 黄色、青、赤。


 星を半分に割ったような形で、首から下げられるよう細い紐がついている。


「昨日は登録だけで終わった。今日から正式に、旧原本の返却作業を始める」


「その前に私の原本を返してください」


「北条は説明を聞け」


「昨日から同じことを言われてます」


「改善の兆しがありませんね」


「澪は今日から澪って呼ぶけど、敵なのは忘れてないから」


「許可した覚えはありません」


「昨日、長いから澪でいいって言った!」


「敵に記憶力がある。減点です」


「記憶力で!?」


 湊さんは咳払いを一つして、黄色の端末を私へ差し出した。


「北条は操作。碧は原本保管。高瀬さんは手順監査。それぞれの鍵だ」


「私が操作?」


 昨日、ボタンと見れば押そうとした私に、一番渡してはいけない権限ではないだろうか。


 澪も同じことを考えたらしい。


「人選に重大な瑕疵があります」


「過去に、一人の判断で再生と編集が進んだ。その反省で権限を分けた。三人がそろわない限り、原本は開かない」


 湊さんは私を見た。


「北条を一人にしないためでもある」


「監視ってことですか」


「あなたを一人にしないためです」


 答えたのは澪だった。


 赤い端末を首から下げ、金具の位置をきっちり中央へ直している。


 その言い方だけなら、優しい。


「私が勝手に消さないように?」


「それもあります。あなたは追い詰められると説明書より先に非常ボタンを押す顔をしています」


「顔で決めないで」


 碧が青い端末を持ち上げた。


「俺たちも、一人で決めないためだと思う」


「碧くんはどうして、たまに一番いいところを取るの」


「たまに?」


「自覚がないところも減点対象です」


 湊さんが制御卓の三つのくぼみを示した。


 私たちが同時に端末を置くと、床の暗がりへ三色の光が走った。黄色、青、赤。別々の線はドーム中央で触れ、星座みたいにつながっていく。


 光の中心から、半透明の画面が起き上がった。


《星屑郵便 返却手順を開始します》


「まず私のカード」


 表示された検索欄へ手を伸ばす。


 ぱしん。


 澪に手の甲を叩かれた。


「痛い!」


「説明を飛ばす人には、物理的なしおりが必要です」


「しおりは本を叩かないよ!」


「北条」


 碧が私の手を取ろうとして、澪の赤いペンがその間へ入った。


「治療目的ですか」


「叩いた本人が聞く?」


「赤くなってるから見ようと思っただけ」


「……見ていい」


「治療目的として許可します」


「なんで澪が許可するの」


 碧の指先が、私の手の甲へ触れる。


 痛みは大したことがない。問題は、触れられた場所だけ熱を持ち始めたことだ。


「赤い」


「叩かれたからね」


「違う。北条の顔」


「手を見て!」


 澪が制御卓へ何かを入力した。


「規約第一条。返却作業中、私情による接触は禁止」


「今のは治療って自分で言った!」


「第二条。碧くんの『赤い』『似合う』『かわいい』には、恋愛上の証拠能力を認めない」


「まだ、かわいいとは言ってない」


 碧が律儀に訂正する。


「今後言う予定は?」


 思わず聞いた。


 碧は私の黄色い端末と、同じ色のヘアピンを見比べた。


「今日のは似合ってると思う」


 澪の赤ペンが、端末を叩いた。


「第二条、制定前に違反」


「待って。今のは私の得点でしょ?」


「証拠能力なしです」


「私は規約に同意してない!」


「多数決なら二対一」


「碧くん、いつ賛成したの?」


「黄色、似合ってるに?」


「規約に!」


 湊さんがもう一度、今度はさっきより大きく咳払いした。


「恋愛の規約はあとで作れ。原本の規約が先だ」


 半透明の画面に、四つの言葉が並ぶ。


《届ける》


《非公開で保管する》


《削除する》


《今は決めない》


「本人確認ができたあと、原本の持ち主がこの中から選ぶ」


 湊さんは言った。


「返却班は、本人の代わりに選べない。三人で意見が一致してもだ」


「私のなら、私が削除を選べばいいんですよね」


「おまえのカードが、おまえのものだと索引で確認できればな」


「声も顔も私でした」


「ORBITの映像は本人確認に使えない。原本の記録と、現在の本人を照合する必要がある」


「面倒……」


 口ではそう言ったけれど、四つの選択肢から目を離せなかった。


 私は昨日まで、返してもらうことと消すことを同じだと思っていた。自分の手紙なのだから、取り戻したら即座に無かったことにする。それ以外の道なんて考えていなかった。


 でも《非公開で保管する》と《今は決めない》は、消すこととも、誰かへ届けることとも違う。


 十年前の私が書いた言葉を、十六歳の私が今すぐ処刑しなくてもいい。そう考えると少しだけ楽になり、同時に腹も立った。こんな当たり前の逃げ道を、昨日の上映画面は一つも見せてくれなかった。


 映像が提示したのは、少年を追う私と、キスしそうな未来だけだ。まるで、昔書いた一行には、恋を続ける以外の結末がないみたいに。


「面倒だから、勝手に決められないんです」


 澪が画面を見たまま言う。


 昨日、私の映像を止めてくれた指が、赤い端末の上に置かれている。


 碧が好きな恋敵。


 でも、嫌いになるには、正しいことを言いすぎる。


「試験用に、索引が比較的残っている一通を選んだ」


 湊さんが旧式のレバーを倒す。


 ドームの中央へ、小さな星が一つ降りてきた。


《件名――名前を呼ばなかった君へ》


「恋文ですね」


 澪が即答した。


「どうして分かるの」


「名前を呼べなかった相手へ、十年も残す手紙です。恋以外なら、借金の催促でしょう」


「その二択、振れ幅が大きい」


 碧が星へ手をかざす。


「再生していい?」


「誰に聞いてるの?」


「二人に。三人の仕事だから」


 さっき湊さんが言ったことを、もう自分の言葉にしている。


 澪が頷き、私も慌てて「いい」と返した。


 三つの端末が光る。


 星がほどけ、暗いドームに小さな店が現れた。


 ショーケースには苺のケーキ。テーブルには二人分のフォーク。一つの椅子へ、赤いマフラーを巻いた誰かが座っている。


『ごめんね』


 女の人の声だった。


『ちゃんと名前を呼べばよかった。あなたが、私と同じ顔でも』


 赤いマフラーの人物が立ち上がる。


 向かいから走ってきた少女を、強く抱きしめた。


 恋人同士に見えた。


 けれど二人が横を向いた瞬間、私たちはそろって息を止めた。


 同じ顔だった。


 同じ泣きぼくろ。同じ髪の長さ。鏡の中と外みたいに、そっくりな二人。


 上映が消えても、甘い苺の匂いが残っている気がした。もちろん、映像に匂いまで入っているはずはない。赤いマフラーの人が泣くのをこらえ、フォークを一本だけ握りしめていたせいだ。映っていない十年分を、私の頭が勝手に足している。


 これがORBITの怖さなのかもしれない。


 事実を全部見せなくても、見た側が勝手に物語を完成させる。


 昨日、碧の顔が現れそうだと思ったのも、私がそう見たかったからだろうか。


 横を見ると、碧は消えた二人の位置をまだ見ていた。澪も赤ペンを止めている。さっきまで椅子一脚で争っていた三人が、今だけ同じ疑問の前に並んでいた。


「双子?」


 私がつぶやく。


 映像が止まり、床の星座が別の形へ組み替わった。


《公共移管まで――最終選択、三十通》


「三十?」


 真壁さんの声が、空の客席から答えた。


「旧システムには、開設時から数年前までに登録され、未返却の原本が九十九通残っている」


 真壁さんは、百近い光点を指でなぞった。


「市が保管予算を執行するには、そのうち三十件の利用意思確認が必要だ。これは閉館前から決まっていた条件で、会社にも変えられない。二十日後までに三十件へ届かなければ、最終上映の契約が優先されます」


「公共アーカイブへ移ったら、手紙も公開されるんですか」


「移るのは原本の管理権限です。本文を公開するか、保管するか、消すか、まだ決めないかは、さっきの四択で本人が決める」


 私のカードも。


 今の双子らしい手紙も。


 あと二十日で、知らない観客の前へ出される。


 三十という数字が、急に重くなる。私一人の黒歴史だけを奪い返せばいいのではない。顔も名前も知らない二十九人以上に会い、それぞれが届けるのか、隠すのか、消すのかを決めるまで待たなければならない。


 急げば間に合う、とは簡単に言えなかった。


 だって、私自身がまだ、自分の手紙をどうしたいのか分かっていない。


 澪が赤ペンを回し、私を見た。


「恋敵と協力する覚悟は?」


「ない」


「奇遇ですね。私もです」


 碧が二人の間で、静かに星を見上げた。


「でも、やるしかない」


 また、一番いいところだけ持っていく。


 私と澪は顔を見合わせた。


「今のは証拠能力なし」


「規約第二条を拡張しましょう」


 意見が一致した。


 不本意ながら、返却班の最初の決定だった。


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