幽言部屋 その18
「……ぎ……むぎ」
来利ちゃんの声が聞こえる。
「紬っ! 起きて!」
「月乃木さん、聞こえてる?」
どうも呼ばれているようなので、重い目蓋を持ち上げる。
「紬! 良かったぁ……」
すぐ目の前には来利ちゃんと有川さん。二人の顔が近くって、思わず顔が紅潮する。
「あや、あやや、えとその……」
「紬、何があったの?」
まだ思考がまとまらない。
「部屋の様子が変わったようだったから、中を見てみたら、月乃木さん倒れてたんだよ。ああ、霊の気配は俺が感じる分には消えてるね」
「あやあや、そっか、なおとくんとみぃこちゃんで……」
有川さんの説明を聞き、倒れたときを思い出し、わたしはのそりと体を起こす。
その時わたしの頭の下に、何かが敷かれていたことに気付いた。
「あ、紬大丈夫? 無理しないで」
「うぅん、平気。力の使いすぎで倒れちゃっただけだと思う。ところでこれ……」
「心配させないでよぅ。あー、それ貴仁さんのスーツ。貴仁さんが頭に敷いたの」
気付けば有川さんは、スーツを脱いでワイシャツの姿。
あや、というか有川さんっていたんだっけ?
「あやあや、すみません」
「俺が勝手にやったんだから、謝ることじゃないよ。じゃ、依頼人を呼んでくるから、二人ともここで待ってて」
そう言って、有川さんは外へ出る。
「……えと、了也さんが有川さんに変身した?」
「うん、大体そんな感じー」
「そんな感じなの!?」
「えへへ。貴仁さんが来て、了也さんは用があったみたいで、すっごい勢いで帰ったよ」
来利ちゃんが笑顔を見せる。
そういえば、部屋で待っていたとき、「貴仁さん」って来利ちゃんの声がしたっけ。あの時かな。
と、その時外でどなり声。
来利ちゃんとわたしは二人、玄関へ視線を向けるもドアは閉じて外は見えない。
身を寄せあって黙っていたら、「はっ!」と気合いを入れる声。判りにくいけど貴仁さんかな?
ドアを開けたのは御堂さん。
「ああ、月乃木さん、無事で良かった」
「はいぃ、なんだかご心配かけちゃって」
そいえば一人、隣で待っていたのかな?
って今はそれよりさっきの声だと思ったら、先に来利ちゃんが質問する。
「あのー、今の声って、またお隣ですか?」
「ああ、うんうんうん、有川さんが制圧してくれたけど……大丈夫かな。あ、いや、相手がね」
そう言いながら、苦笑いする御堂さん。
「あー、貴仁さん、『俺じゃ、相手が無傷とはいかなかった』みたいなこと言ってたしね」
カッコつけるように聞こえる台詞が、有川さんとは重ならない。
「俺の技量じゃ、了也ほど巧くはやれないって意味ね」
そう思ったら、補足をしながら有川さんが入ってきた。
「取り敢えず玄関に寝かせてきました。骨折とかは無いはずですが、打撲はあるんで、もしかしたら、後々面倒をお掛けしたかもしれません。その時は連絡してください」
「あ、あー……いやいや、まあ、はい」
困ったように御堂さんは頭を掻くけど、そこに来利ちゃんが疑問を投げる。
「っていうか、起きたらまた暴れますよね?」
「それは多分大丈夫。憑き物は祓った……というか、消したと思うから」
さらりと言う有川さん。霊力が強いと思っていたけど、あれをあっさり消せるとしたら、除霊にかけてはわたしの比じゃない。
得意でない分野とは言え、なんだか自信がなくなってくる。
「え、貴仁さんって寺生まれだったの!?」
思わず吹き出す御堂さん。
それを見て、少し困惑の貴仁さん。
「? いや、普通の家庭。力業で吹っ飛ばしただけだよ。月乃木さんみたいに器用なことは、俺には全然出来ないからね」
フォローしてくれたんだろか。
それにしたって、むしろ霊力の高さを示すと言うものだけど。
「それで御堂さん、月乃木さんから話を聞くのは、そちらのお部屋でと言うことで構いませんか?」
「ああ、ああ、うん、もちろん」
「それじゃ、月乃木さん、立てる?」
貴仁さんは、座るわたしに手を伸ばす。
「あ、はいぃ」
こう言うのは気恥ずかしくて、その手を取らずに立とうとするも、よろけたところを来利ちゃんに支えてもらった。
「まだちょっと無理だね。抱え上げてもいいかな?」
「あや、あやや!?」
いきなりそんなことを言う。
「お姫様だっこでお願いします!」
いきなりそんなことを言う!
「……失礼するよ」
来利ちゃんに苦笑しつつも、片膝をつく有川さん。わたしは困惑している間に、あっさり抱き上げられてしまった。
長い腕に抱えられて触れたのは、服の上から見た印象より鍛えられた厚い胸板。
わたしの体は安定するけど、心の方は落ち着かない。
「紬いーなー。今度アタシにもしてください!」
それなら今すぐ変わろうよ!
って言っても、歩けないからこうなってるわけなんだけど。
「玄関狭いから、気を付けて」
だからとさらに抱き寄せられて、有川さんの首元に、頭を寄せる形になる。
男の人の匂いがした。
◇
「御堂さん、どうかしましたー?」
「いや、なんだかその、ものすごい敗北感というか……」
◇
戻ってきたのは203。
来利ちゃんとわたしは椅子に、御堂さんはゴミ箱に座り、有川さんは立っている。
色んな意味でふわふわしながら、さっきあった出来事を、一通り説明し終える。
「まってまって、つまり、ルネッタちゃんに男の子の霊が取り憑いてるってこと?」
単純に考えたなら、その考えになりそうだけど。
「うぅんと、それにしては、あの男の子は明るいですし、んんと……」
「部外者の立場からすみませんが、ちょっといいですか?」
纏まりそうで纏まらない考えに、言葉が詰まっていたところに、有川さんが口を開くと、御堂さんが手で促す。
「今日はもう出ないのなら、遅いし月乃木さんも疲れているし、一旦今日の調査は終了にしてはどうでしょう。月乃木さんにはゆっくり考えを纏めてもらい、明日なりに、また話をするなりルネッタという少女について調べるなりするということで」
「さんせー」
有川さんの提案に、伸びをしながら賛同を示す来利ちゃん。
「ああ、うんうん、ごめん。そうだね、明日にしよっか」
「あやあや、なんだかすみません」
「いやいやいや、そんな。あ、明日は204の調査は?」
言われて少し考える。
空の部屋は調べ尽くして、もし調べるならまた出たとき。
「わからないけど日中はないと思います」
「あ、じゃあ僕がそっちに行くんでいいかな? 何時に行けばいい?」
「あや、そんなご面倒を」
「いやいやいや、僕が行きたいだけだから」
204は調べなくても、聞き込みは、団地の人にするかもとも思ったけれど、こちらに来たいということだったらわざわざ断ることもない。
「んー明日かー。アタシムリかも……」
「ううん、今日はありがと。じゃあ御堂さん、14時に事務所……えと、喫茶店でいいでしょか」
「うんうんうん、14時ね」
そういうわけで、来利ちゃんと有川さん、そしてわたしの三人で、団地を後に、帰路へとついた。
◆
ここからは、電車で少しかかるのだけど、来利ちゃんとわたしは同じ駅。有川さんは2つ手前で、つまりはそこまで一緒になる。
この辺は、第3区では安全だけど、とはいえ地元と比べれば、小娘には危ない夜道。有川さんが一緒にいるのは正直とても心強い。
来利ちゃんも機嫌がよくて、鼻歌を歌ってる。しっとりとしたバラードの、確か最近のCMの曲。
「随分懐かしい曲だね」
「えへへ。アタシが生まれる前のだけど、ペンギンのCMに使われてたとかで、お父さんのペンギン好きのきっかけなんだって」
あや、懐かしい曲? お米バーガーのCMじゃないの?
「映画にもなってなかったっけ」
「そーそー! アタシもお父さんも観たことないんだけど。ってか貴仁さん詳しくない? もしかして30歳くらいサバ読んでたりしてー!」
「49歳はさすがにないかな」
「有川さんのお父さんくらいになっちゃうよぅ」
だけど5,6歳サバ読みしてても驚かないかも。仕事とかを考えたなら、二十歳未満と偽るなんて、マイナスにしかならなそうだけど。
「貴仁さんは――、甘い記憶とかってある?」
「どうかな。甘い時間は、記憶になると苦くなる気もするしね」
「なんだか歌の歌詞にありそですね。甘い時間も過ぎ去ったなら苦い思い出~みたいな感じ」
「紬ってたまにかっこいいこと言うよねー」
「あやや、かっこいいって言われたの初めてかも」
じゃれあって歩みの遅れるわたしたちから、今見えるのは有川さんの背中だけ。
だけど少しその背中には、哀しさが見えたような気がした。




