幽言部屋 その16
「了也さんって、貴仁さんとは幼馴染みなの?」
「幼稚園から」
夜の闇から住人を守るように照明が光る団地の外廊下、少しだけ緊張を含んだ声の富良永来利の問いに、温度を感じさせない声で飯田了也は短く答える。
「そんなちっちゃい頃からなんだ。あ、歳も同じだよね? 優子ちゃんと1つちがいってきいたよ」
「年次は。俺は誕生日来たから二十歳だけど」
「え、了也さん誕生日っていつ?」
「5月7日。タカトは9月14」
声に温度が感じられなくとも冷たさもなく、内容に無駄は無くとも最低限と言うわけでもない了也の返答に、来利は、会話を嫌がっているわけではないのだと感じ、その話し方に少しの微笑ましさも覚えていた。
「えー、最近だったんだ! ケーキ食べりした?」
「タカトが買ってきて」
「仲いいんだー。ってゆーか、そっか、一緒に住んでるんだっけ。優子ちゃんと3人で」
手すり壁に腕を乗せつつ、笑顔で喋る来利に、了也は無表情で頷いた。
「来利さんと紬さんも。こんな時間まで手伝ってるし」
「あはは、紬はぼんやりしたとこあって危なっかしいから……」
来利の笑顔に、微かに蔭が射した。
嘘を言ったつもりはない。ただ、全てを語ったわけでもない。
ああ、早く次の話題を振ろう、そう来利が考えたとき、
「……あの依頼人は、信用して良い、と思う」
了也の方から口を開いた。
「うんー、アタシも、そうかなって思ってきた」
「ただ、口は軽そう」
「あははは、あるかも。……了也さん?」
話ながら、了也は205号室のドア正面へ移動していた。そして来利に対しては近付くことを手で制する。
「でも、紬さんの味方だと思っていいはず。あと、うちの社長も」
ドアを見据えながらも、変わらぬ調子で話を続ける了也に、来利が戸惑っていると、205号室のドアが荒く開いた。
そうたくん、みぃこちゃんを床に置き、鞄からもう1つ、なおとくんを取り出した。
いおくんに、りくねちゃん、そしてこの、なおとくん。その“最初の三人”は、お母さんが“想い”を込めてくれたもの。
電気も消して暗い部屋、だけどみんなと一緒にいれば、大丈夫。
静かに呼吸を整えて、感覚を研ぎ澄ます。
いつそれが来るか判らない。その時をちゃんととらえないと。
待つ。
外では誰かの話し声。来利ちゃんと了也さんかな。
隣の部屋から音がする。これは205号室。
しばらくしたら、ドアの開く音。少しの間をおき閉まる音。
そしてしばらく間があって、ドアがまた開きそして閉まる。
話し声。
来利ちゃんの明るい声。「貴仁さん」と言ってたような。
少しの間の後、小さく聞こえるブザー音は、203。
御堂さんと誰かの話し声。
待つ。
と、うっかりしていた事に気付いた。
ずっと正座をしていたから、足が痺れてきてしまった。
もし今何かが起きたとしても、すぐに駆け出すことができない。
足を崩そうと体を浮かせば、そういう時に何故か来るもの。
気温が、下がった。
わたしはすぐに、みぃこちゃんの眼を借りる。
玄関に何かが生み出される。
少しずつ浮かぶ輪郭は、小さな子供のように見える。
さらに眼を凝らして気付いたけど、これは生み出されているわけじゃない。
まるで孔。
そこから何かが出ようとしている。
でもそれは、何かにもがいているようで、中々はっきり姿を見せない。
その理由を探るため、なおとくんを握りしめる。
音ならざる音を聞く、なおとくんのもつ力なら、もがく声が聞こえるはず。
『やあだ! まだここにいたい!』
『だめぇ! かえらないとだめなの!』
男の子が駄々をこね、女の子が困ってる。
男女は声で判るのでなく、ただただそうだと感じるもの。
『やだ! おうち、やあだ!』
孔の先のどこかから、この“おうち”へと帰るのを、男の子が嫌がっている?
『だめなの! お母さんがだめだって!』
『どうしていじわるするの!』
男の子の声からは、何かを怖がる心を感じる。だけど段々それに加えて、怒りを含んだ気配になる。
会話、思考、そして変化。
それはまるで人のよう。
わたしのわずかな経験では、初めて出会う複雑な霊。
だけどそれが今目の前で、悪霊へと進んでいるかも。
だからこれはきっと危険。
だけどわたしは意を決し、できる限りの優しさをこめ、こう言った。
「おかえりなさい」
御堂司は、一人リビングで、隣室の音に耳を澄ませていた。
来利と共に外にいることも考えたが、外で声が聞こえるものなのかも分からない。それに、あの飯田了也という男に対しては、少し苦手意識も芽生えていた。
むしろ、言ってしまえば、依頼人を自室とは言え独り置き、外に出てしまった来利こそ、探偵助手としてどうなのかという話だが、多少なり警戒している男の部屋で、二人きりになることを避けるのは理解できる。
そんなわけで、多少の疎外感を覚えつつも納得しながら、司は隣室の壁にグラスを挟んで耳を付けていたのだが、一向に動きはない。
或いは、先生なる人物と、電話で会話する声でも聞こえないかとも思ったが、204からは一切話し声があがらない。
これは「出る」まで動きがないか、と、耳を離し休んでいると、玄関のブザーが鳴った。
「はいはいはい、どうかしたの?」
来利かと、小走りに玄関へ行きドアを開けると、そこに立っていたのは、長身の男だった。
「こんばんは。わたくし、91探偵社の有川貴仁と申します。誠に勝手で申し訳ございませんが、先程までこちらに居りました、飯田了也と交代いたしましたので、その旨のご連絡と、自己紹介をと思いまして」
長身で少なくとも華奢とは言い難い体躯とは長身引き締まった裏腹に、柔らかな物腰で名刺を差し出す男に、司は一瞬、面食らったが、その姿と名前には覚えがあった。
「ああ、ああ、あの昨日お店にいたウェイターの人」
「よく覚えておいでですね」
そう言って見せる笑顔も柔らかく、大男にドアを塞がれている状況ながら、威圧感を覚えることはなかった。
「ああ、ぃや、さっき飯田さんから話に上がってたんで。…ええっと、中、入ります?」
「よろしければ、失礼させていただきます」
一礼して横を見る貴仁の視線の先では、来利が笑顔で頷いていた。
「コーヒーでも入れますね」
「いえ、申し訳御座いませんが、仕事中は飲食物は受け取らないようにしておりますので」
「あれ、了也さんはご飯食べてたよー。アタシが買ってきたやつ」
「ああ、社で決まってるんじゃなく、俺のやり方だから」
貴仁は、来利の言葉に笑顔でそう返し、司の方を向いて続けた。
「そういうわけですので、お気遣いなさらず」
「ああ、はい、はい。あのところで、その、こういうのも不躾なのかもしれませんけど、そんな固いしゃべり方じゃなくていいですよ。俺の方が年下でしょうし」
物腰の柔らかさから、固さはあまり感じないものの、貴仁の慇懃さに少し居心地の悪さを感じていた司は、来利への言葉選びとの差を見てそう告げた。すると来利の方から、司にとっては意外な返答が返ってきた
「え、貴仁さんのが年下ですよ」
「え」
「今年で二十歳になります」
「ええ」
大人びた顔立ちで顔立ちで分かりにくいが、確かに言われてみれば、20歳前後にも見えなくもない。だが、表情や物腰から20代後半以上と思っていた司は、自身を省みて自信を無くすよううな垂れる。
「でも、お言葉に甘えさせていただいて、多少崩させてもらいます」
そう言いながら姿勢も楽にした貴仁の懐から、スマホのくぐもった振動音が着信を告げた。




