↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人生2周目の俺、バブル前夜から投資無双 ~未来を知っているだけなのに、気づけば日本最大の財閥を築いていました~  作者: なまら呑兵衛
第2部「崩壊を止める少年」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/25

第20話 さよならの大納会

一九九二年十二月二十八日。

 東京証券取引所、年内最後の取引日。


 俺は、朝一番の列車で小樽に向かった。

 冬休みの初日だった。


 病室の祖父は、もうほとんど話せなくなっていた。

 十一月に入ってから、急に悪くなった。医者は、年は越せないかもしれない、と言った。


 母さんは、一週間前から病院に泊まり込んでいる。

 父さんも、仕事のあとに毎晩札幌から通ってきた。結衣は、祖父の手を握って、学校の話をして帰っていく。


 家族が、全員、祖父のそばにいた。

 前世の祖父は、一人で死んだ。母さんですら、間に合わなかったと聞いている。


 今度は、違う。



「……蓮か」


 病室に入ると、祖父がかすかに目を開けた。

 酸素のチューブが、鼻に通されている。


「来たよ、じいちゃん。今日は、大納会だよ」


 祖父の目が、わずかに動いた。

 枕元のラジオを、目で示す。


 俺は、ラジオのスイッチを入れた。

 ザーッという雑音の向こうから、アナウンサーの声が聞こえてきた。


『――東京株式市場は、本日が大納会。今年の日経平均は、八月に一万四千円台まで下げたあと、持ち直し――』


 母さんが、そっと病室を出ていった。

 父さんも、結衣の手を引いて、あとに続いた。


 二人きりにしてくれたのだと、分かった。



 前場が進む。

 ラジオが、株価を読み上げていく。


 一万六千八百円。一万六千九百円。


「……八月に、買ったな」


 祖父が、かすれた声で言った。

 一言話すたびに、胸が大きく上下する。


「うん。底から、二割近く戻ったよ」

「……悪くない、最後だ」


 祖父の口元が、わずかに緩んだ。


 窓の外は、雪だった。

 港も、船も、白い幕の向こうにかすんでいる。


「蓮」

「なに?」

「……もう一度、聞かせろ。お前の、未来の話を」


 俺は、ベッドの横の椅子に座り直した。

 祖父の、骨と皮だけになった手を握る。


「来年は、日本の政治が大きく変わる。それから、二年後の一九九四年に、日本の大型ロケットが、初めて打ち上げに成功する。H-IIっていうロケット」

「……日本の、ロケットか」

「うん。全部、日本の技術で作ったエンジン。俺は、前世でそのエンジンの資料を、何百回も読んだ」


 祖父は、目を閉じて聞いていた。


「その次の年には、ウィンドウズ95が出て、日本中の家にパソコンが入る。インターネットが始まる。窓の向こうの会社が、世界で一番大きな会社になる」

「……わしの、目は、正しかったな」

「じいちゃんが買ったんだよ。俺の言うことを、信じて」


 祖父の指が、かすかに、俺の手を握り返した。


「それから……それから、俺は会社を作る。ロケットの会社。沙月と、エレナと、父さんと。それから、もっとたくさんの人と」

「……」

「日本のロケットで、宇宙に行く。月にも行く。二〇六一年には、ハレー彗星を、宇宙船で見に行く。沙月と、約束したんだ」


 声が、震えた。

 それでも、俺は話し続けた。


「全部、見せたかった。全部、じいちゃんに見せたかったんだ」


 祖父の目が、ゆっくりと開いた。

 濁った目が、まっすぐに俺を見た。


「……見た、ぞ」


 かすれた、でもはっきりとした声だった。


「タカノ一号を、見た。……あれが、全部の始まりだ。始まりを見たなら、終わりは、もう見たのと同じだ」

「……じいちゃん」

「相場と同じだ。……底で買ったら、あとは、待つだけだ」


 祖父は、少しだけ笑った。



 午後三時。

 ラジオが、大引けを告げた。


『――本日の大納会、日経平均株価は、一万六千九百二十四円九十五銭で取引を終えました。年間では、二十六パーセントあまりの下落となり――』


 一万六千九百二十四円。

 三年前の大納会の、半分にも届かない。


 だが、祖父の顔は、穏やかだった。


「……三年前は、崖の手前で降りた。今年は、底で拾った」


 祖父は、ゆっくりと目を閉じた。


「いい、相場人生だった」


 それが、祖父の、相場についての最後の言葉になった。



 祖父が息を引き取ったのは、二日後の、十二月三十日の明け方だった。


 家族全員が、ベッドのそばにいた。

 母さんが、祖父の手を握っていた。父さんが、母さんの肩を抱いていた。結衣が、泣きながら祖父の名前を呼んでいた。


 俺は、祖父のもう片方の手を握っていた。


 最後に、祖父の唇が、かすかに動いた。

 声にはならなかった。


 だが、俺には分かった。

 口の形が、七年前の雨の日の、あの言葉と同じだった。


 ――話せ。全部だ。


 いや。違う。


 ――頼れ。


 祖父は、静かに、息を引き取った。

 窓の外で、雪がやんでいた。港の向こうから、薄く、朝日が差し始めていた。



 葬儀は、小樽の古い寺で行われた。


 思っていたよりも、ずっと多くの人が来た。

 山岸が、目を真っ赤にして焼香をした。北村社長が、工場の職人たちを連れてきた。

 東京から、商社の役員が駆けつけた。


 そして、喪服の列の一番後ろに、銀縁眼鏡の痩せた男が立っていた。


「……黒崎さん」

「高野さんには、父の代から世話になった」


 黒崎は、祭壇の遺影を見上げた。


「惜しい人を亡くした。あの人の忠告を、もっと早く省の上の連中が聞いていたら、と思うよ」


 黒崎は、俺の方を向いた。


「天城くん。高野さんの代わりに、とは言わない。だが、拓銀の数字は、これからも見続ける。約束は、守る」

「……ありがとうございます」

「それから――救急車の運転手の話は、まだ生きている。君が大人になったら、また話そう」


 黒崎は、それだけ言うと、一礼して去っていった。



 葬儀の翌日。

 母さんと二人で、祖父の家の書斎を片づけていた。


 古い相場の本。黄ばんだ名刺の束。何十年分の方眼紙のグラフ。

 祖父の人生が、そこに積み上がっていた。


「……あら」


 母さんが、書斎の机の引き出しから、一冊の黒い手帳を取り出した。


 ――あの手帳だ。


 前世の葬式の日に、泣き腫らした目で母さんが見せてくれた、古びた黒い手帳。

 表紙の裏に、祖母の写真が挟んである。


「お母さんの写真ね。……お父さん、ずっと持ってたんだ」


 母さんは、写真を手に取った。

 そして、その裏を見て、手を止めた。


「蓮。……これ、見て」


 母さんが、写真を俺に差し出した。


 写真の裏に、二行の文字があった。


 一行目は、古いインクで、少し滲んでいた。


『富美子、すまない。わしは間違っていなかった』


 前世の俺が知っている、あの言葉だ。


 そして、その下に。

 新しいインクで、震える、でも丁寧な楷書で、もう一行。


『富美子。わしは、間に合った』


 俺は、写真を握りしめた。


 視界が、滲んでいく。

 こらえようとした。契約書の、四つ目だ。正直に言うこと。泣くなとは、どこにも書いていない。


 ――じいちゃん。


 声を上げて、泣いた。

 この体になってから、初めてだった。七年前の四月の朝、父さんの手の温かさに泣いて以来、一度も泣かなかったのに。


 母さんが、黙って俺の背中を抱いた。

 母さんも、泣いていた。


 間に合った。

 この人は、間に合ったのだ。


 崖の手前で降りることにも。

 娘と和解することにも。

 孫のロケットを見ることにも。


 ――そして、一人で死ななかったことにも。



 一九九二年が、終わろうとしていた。


 俺は、十六歳。

 祖父から受け継いだものは、二億円の信託と、七年分の方眼紙と、半紙一枚の契約書。

 それから、頼っていい人たちの名前。


 未来ノートを開く。

 前世の記憶が書き込まれたページの、一番新しい余白に、俺は書いた。


『一九九二年十二月三十日 高野宗一郎、永眠』


 その下に、もう一行。


『じいちゃんは、間に合った。次は、俺の番だ』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。