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人生2周目の俺、バブル前夜から投資無双 ~未来を知っているだけなのに、気づけば日本最大の財閥を築いていました~  作者: なまら呑兵衛
第2部「崩壊を止める少年」

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19/25

第19話 祖父の遺言

一九九二年四月。

 俺と沙月は、札幌の進学校に合格した。


 入学式の日、校門の桜はまだ蕾だった。

 北海道の春は遅い。桜が咲くのは、五月の連休の頃だ。


「同じクラスじゃなかったね」


 掲示板の前で、沙月が少しだけ残念そうに言った。

 詰め襟の制服は、今度はちゃんと体に合っていた。この三年で、俺の背は二十センチ近く伸びた。


「でも、科学部は一緒でしょ。高校にはロケットのクラブがないから、作らなきゃ」

「作るの?」

「作るの。部員集めは、私がやる。蓮は、先生を説得して」


 沙月は、当然のように役割を割り振った。

 中学の三年間で、彼女はすっかり「計画を立てる人」になっていた。


 前世の彼女も、きっとそうだったのだろう。

 ただ、俺がそれを知らなかっただけで。



 五月。

 祖父は、小樽の病院に入院した。


 個室の窓からは、港が見えた。

 祖父の家の縁側から見えたのと、同じ港だ。


「家の盆栽は、春子が水をやっておる。……あれは、存外、手入れが上手い」


 ベッドの上で、祖父が言った。

 母さんは、週に三日、札幌から小樽に通っていた。


 七年前に初めて祖父の家を訪ねた時、母さんの声は震えていた。

 今は、病室で祖父の体を拭き、髪を梳かし、他愛のない話をして帰っていく。


 祖父は、いつも少し照れくさそうな顔で、それを受け入れていた。


「蓮。今日は、大事な話がある」


 祖父は、枕元の引き出しから、分厚い封筒を取り出した。


「遺言だ。弁護士と、山岸に立ち会わせて作った」


 俺は、息を呑んだ。


「そんな顔をするな。準備をしておかんと、残された者が困る。……読み上げるから、聞いておけ」


 祖父は、封筒から書類を取り出した。


「わしの財産は、今、四億円ほどある。アメリカの株が、思った以上に増えた。お前の言う、窓の向こうの会社のおかげだ」


 マイクロソフトの株は、買った時から二倍以上になっていた。


「そのうち半分は、約束通りお前のものだ。だが、お前はまだ十六だ。二十歳になるまでは、信託という形で預ける。管理するのは、山岸だ」

「山岸さんが?」

「あれは、去年の春に証券会社を辞めた。上の不正に付き合わされるのが嫌になったそうだ。今は、小さな投資顧問の会社を一人でやっておる。……わしが恩を売った男の中で、一番まともな男だ」


 祖父は、書類をめくった。


「残りの半分のうち、北斗精工の株は、天城くん――お前の父親に譲る。あの会社は、あの男の腕でできている。わしが持っているより、ふさわしい」

「……父さんに」

「残りの金は、春子に。それから、結衣の学費の分も、別に分けてある」


 祖父は、書類を置いた。


「春子には、金の出どころを話した。相場で増やした、とだけな。お前のことは、話しておらん。契約書の、三つ目だ」

「家族には、時が来るまで話さぬこと」

「そうだ。……時が来たら、お前の口から話せ」


 祖父は、もう一枚、別の封筒を取り出した。

 こちらは薄く、表に何も書かれていなかった。


「これは、お前にだけだ」


 中に入っていたのは、二枚の紙だった。


 一枚は、七年前の半紙。

 四か条の契約書。端に、俺の小さな拇印と、祖父の署名。


 もう一枚は、方眼紙だった。

 一九八五年九月から、昨日までの、祖父と俺の資産の推移。

 几帳面な字で、一か月ごとに数字が書き込まれ、一本の線でつながれている。


 線の下に、祖父の字で、小さな書き込みがいくつもあった。


『円急騰。蓮の予言、的中』

『NTT売却。頭と尻尾はくれてやった』

『暴落の日。蓮が怖いと言った。信じて買う』

『大納会。崖の手前で降りた』

『タカノ一号、三一八米』


 最後の書き込みは、資産の数字とは何の関係もなかった。


「……じいちゃん、これ」

「わしの、七年分の相場日記だ」


 祖父は、窓の外の港を見た。


「四十年、相場の世界にいた。だが、わしの人生で一番いい相場は、この七年だった。お前と張った、この七年だ」


 俺は、方眼紙を握りしめた。

 紙の端が、くしゃりと皺になった。


「泣くなと言っておるだろう」

「……泣いてない」

「嘘をつけ。契約違反だぞ。四つ目だ」


 祖父は笑った。

 それから、少しだけ真面目な顔になった。


「蓮。わしがいなくなったあとのことを、言っておく」

「……うん」

「お前は、これから大きくなる。金も、力も、人も、どんどん集まってくる。そうなると、人は二つに分かれる。お前の金を見る者と、お前を見る者だ」


 祖父は、骨張った指で、俺の胸を軽く叩いた。


「お前を見る者を、大事にしろ。沙月という娘。お前の両親。山岸。黒崎。商社の男。……それから、海の向こうの技術者たちもな」

「……うん」

「それと、もう一つ」


 祖父は、少しだけ言い淀んだ。


「全部を、一人で背負うな。お前は、五十を過ぎた男の頭を持っている。だから、何でも自分でやろうとする。わしも、そうだった。だから、会社でも家でも、一人になった」

「……」

「頼れ。頼っていい人間を、ちゃんと作れ。わしは、最後の七年で、ようやくそれを覚えた」


 窓の外で、カモメが鳴いた。

 港に、大きな貨物船がゆっくりと入ってくるところだった。



 六月の初め。

 病室に、一通の手紙が届いた。


 東京の商社の、あの役員からだった。

 中には、ロシア語の手紙と、その日本語訳が入っていた。


『天城蓮様


 モスクワ航空大学のエレナ・ヴォルコワと申します。

 貴殿よりの奨学金のご厚意を、モスクワ支店の方から伺いました。


 正直に申し上げると、初めは信じられませんでした。今のモスクワでは、誰もが自分の生活で精一杯で、見知らぬ学生に手を差し伸べる人などいません。まして、遠い日本から。


 私の研究室は、この冬、暖房が止まりました。教授は三か月給料を受け取っておらず、先輩たちは次々とアメリカへ渡っています。私も、研究をやめて働こうと考えていました。


 ご厚意に、心から感謝いたします。研究を続けます。いつか、燃焼の研究で、きっと結果を出します。


 一つだけ、お聞きしたいことがあります。

 なぜ、私だったのでしょうか。


 いつか、直接お会いして、その理由を伺える日を楽しみにしております。


           エレナ・ヴォルコワ』


 俺は、その手紙を祖父に読み聞かせた。

 祖父は、目を閉じて聞いていた。


「……届いたな」


 祖父が、小さく言った。


「お前の手が、海の向こうに、届いた」

「うん」

「なぜ私だったのか、か。……いつか、ちゃんと答えてやれ」

「いつか、ね。たぶん、すごく先になるけど」

「構わん」


 祖父は、目を開けた。


「いい買い物の答えは、何年も先に出るものだ」



 八月十八日。

 日経平均は、一万四千三百九円まで落ちた。


 大納会の三万八千九百十五円から、六割以上の下落。

 ニュースは連日、「底が見えない」と繰り返していた。


「今日が、底だ」


 病室で、俺は祖父に言った。

 祖父は、ベッドの上でラジオを聞いていた。


「本当の底は、まだ十年以上先だけど。この数年では、今日が一番低い。ここから、しばらくは戻る」

「……買うか」

「じいちゃんが決めて。最後の判断は、じいちゃんだよ」


 祖父は、しばらく黙っていた。

 それから、枕元の電話を指さした。


「山岸を呼べ」


 電話がつながると、祖父は、細くなった声で、一つずつ銘柄を挙げていった。


 それが、祖父の、最後の注文になった。



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