第17話 小さなロケット
「ノーズコーンを、金属で作りたい?」
六月の夜。
夕食のあと、父さんが俺の描いた図面を眺めて首をかしげた。
「模型ロケットってのは、紙とかプラスチックで作るもんじゃないのか」
「普通はね。でも、先端に少しだけ重さを持たせると、まっすぐ飛ぶんだ。重心を前に出すために」
「ああ、ペットボトルの時の、粘土の話か」
父さんは、図面を指でなぞった。
「アルミで、この形を削り出すのか。中は空洞にして、重さを調整……なるほどな。外側の曲線は、この数式の通りに?」
「うん。空気の抵抗が一番少なくなる形なんだ」
「ほう」
父さんの目つきが、職人のそれに変わった。
「――面白え。やってやるよ」
父さんは、図面を丁寧に畳んで、作業着のポケットにしまった。
「じいちゃんに見せるロケットなんだろ。だったら、半端なもんは作れねえ」
俺は、父さんの顔を見た。
父さんは、照れくさそうに頭をかいた。
「お義父さんには、借りがあるからな。工場も、俺も。……それに、言っただろ。蓮のロケットの部品は、父さんが削ってやるって」
五年前の、工場での約束。
父さんは、覚えていた。
七月。
理科室の机の上に、一本のロケットが横たわっていた。
全長、七十センチ。
白く塗った紙の筒に、三枚の羽根。先端には、父さんが削った銀色のノーズコーン。
胴体には、沙月が筆で書いた文字が入っている。
『タカノ一号』
「名前、勝手に決めちゃったけど、よかった?」
「……いいよ。すごく、いい」
沙月は、照れたように笑った。
「計算では、到達高度は三百二十メートル。頂点でパラシュートが開いて、ゆっくり降りてくる。風が弱ければ、打ち上げ場所から百メートル以内に落ちるはず」
「パラシュートが開かなかったら?」
「開く。三回、試験したもん」
沙月は、自信満々に胸を張った。
この四か月、彼女は受験勉強の合間に、何十枚もの計算用紙を埋めてきた。
前世の俺の部下にも、ここまで粘り強い技術者は何人もいなかった。
八月の第一日曜日。
石狩の、海に近い広い草原。
朝から、よく晴れていた。
風は、ほとんどない。
顧問の先生が、発射台を組み立てている。科学部の後輩たちが、安全のための立ち入り禁止のロープを張っている。
沙月は、何度も何度も、ロケットの点検を繰り返していた。
そして――。
「来たよ、蓮!」
沙月が、草原の入り口を指さした。
一台のタクシーが止まった。
後部座席から、母さんが降りてくる。続いて、父さんが、もう一人を支えながら降りてきた。
和服姿の、痩せた老人。
杖をつき、父さんの腕に掴まりながら、ゆっくりと草原を歩いてくる。
「……じいちゃん」
祖父は、俺の前で立ち止まった。
顔色は悪かった。息も、少し上がっている。
だが、その目だけは、昔と変わらず鋭かった。
「来たぞ。お前のロケットとやらを、見せてもらおう」
父さんが、折りたたみの椅子を広げた。
祖父はそこに腰を下ろし、発射台の上のロケットを見上げた。
「……タカノ一号、か」
「沙月が、名前をつけてくれたんだ」
祖父は、沙月の方を見た。
沙月は、緊張でカチコチになりながら、深々と頭を下げた。
「は、はじめまして! 白峰沙月です! あの、勝手に名前つけちゃって、すみません!」
祖父は、しばらく沙月を見つめていた。
それから、ふっと目を細めた。
「いい名だ。ありがとう、お嬢さん」
「カウントダウン、始めます!」
顧問の先生の声が、草原に響いた。
俺は、点火装置のスイッチを握りしめた。手のひらが、汗で湿っている。
前世で、何十回もロケットの打ち上げを見てきた。
巨大なエンジンの燃焼試験にも、何百回も立ち会った。
なのに、今日ほど緊張したことはなかった。
「十、九、八――」
沙月が、隣で両手を組んでいる。
父さんと母さんが、祖父の椅子の両脇に立っている。
「五、四、三――」
祖父が、杖を握りしめて、身を乗り出した。
「二、一――点火!」
スイッチを押す。
シュボッ、と乾いた音。
白い煙が、発射台を包んだ。
次の瞬間、タカノ一号は、空へ駆け上がった。
まっすぐに。
一本の白い線を、青い空に引きながら。
速い。
あっという間に、小さな点になる。
俺は、空を見上げたまま、息をするのも忘れていた。
点が、止まった。
頂点だ。
――開け。
小さな、オレンジ色の花が開いた。
パラシュートだ。
「開いた……!」
沙月が、叫んだ。
オレンジ色の小さな花が、夏の空をゆっくりと降りてくる。
その下で、銀色のノーズコーンが、太陽の光を反射してきらりと光った。
後輩たちが、歓声を上げて走り出す。
顧問の先生が、高度計の数字を読み上げた。
「到達高度、三百十八メートル!」
沙月の計算と、たった二メートル違い。
沙月が、その場で飛び跳ねた。
母さんが、拍手をしている。父さんが、拳を握りしめていた。
俺は、ゆっくりと振り返った。
祖父は、椅子に座ったまま、空を見上げていた。
オレンジ色のパラシュートが、草原に舞い降りるまで、ずっと。
「……じいちゃん」
祖父は、俺を見なかった。
ただ、空を見上げたまま、小さく言った。
「見えたぞ」
その声は、少しだけ震えていた。
「お前のロケットが、空へ昇っていくのが。……ちゃんと、見えた」
祖父の目の端から、一筋、涙がこぼれた。
祖父は、それを拭おうともしなかった。
「三百十八メートルか。……NTTの天井と、同じ数字だな」
思わず、吹き出した。
祖父も、つられて笑った。涙を流しながら、笑っていた。
「縁起がいいのか悪いのか、分からん数字だ」
「今度は、天井じゃないよ。始まりだよ」
「……そうだな」
祖父は、ようやく俺の方を向いた。
「蓮。次は、もっと高く飛ばせ。三百メートルの次は、三千メートル。その次は、三万メートル。……いつか、本当に宇宙まで」
「うん」
「わしは見られんが、空の上から見ておる」
「……そういうこと、言わないでよ」
「年寄りの特権だ」
祖父は笑い、杖をついて立ち上がった。
父さんが、慌てて腕を支える。
沙月が、回収したタカノ一号を抱えて、走って戻ってきた。
銀色のノーズコーンには、傷一つなかった。
その夜。
テレビのニュースが、遠い国の出来事を伝えていた。
『――ソビエト連邦で、保守派によるクーデターが発生しました。大統領は休暇先で軟禁されているとの情報があり――』
八月十九日。
世界最大の宇宙大国が、音を立てて崩れ始めていた。




