できることをやってみた
結子は玄関に向かった。
彼らはキスを交わしていない。
恋人同士でもない。
結子には理解できない。
理解できないけれど、こんな形の関係もあるのかもしれない。
結子は玄関の扉に手を当てた。
手のひらに扉の面が当たる感覚はある。
だが明らかに、身体に擦れる感覚もなく、この部屋に入ってきた時とまったく同様に、すり抜けられる感覚だけがあった。
実際結子の身体は扉をすり抜けた。
出た瞬間、同じフロアの住人らしい親子が扉の向こうを歩いていて、明らかに結子にぶつかった!…
はずだったが何も起こることなく、結子をすり抜けた親子は何事もなかったように二つ隣の部屋の扉の鍵を開けて中に入って行った。
結子はもう一度、自分が出てきた部屋の扉をすり抜けた。
試したいことがあったからだ。
「ああ、それだけは許してください。」
「ここまできて、お互いに身につけてるのは、お前のパンツが足首にひっかってるだけだろう。
この状況で納得できると思うか?」
男女の会話に、今で見てきた記憶で結子の脳裏には2人の身体が想像できた。
拒んだ。
どの具合の拒否なのか。
一度試してみよう。
結子は、扉のロックは結子の手に、物体としての存在感を示した。
そっと回してみる。
回る。
チェーンロックも…触れて…動かせる。
チェーンロックをかけられる。
何が触れて、何が触ってもすり抜けるのか。
ジャッジメントの基準がわからない。
今はそれより、突き当たりのリビングから聞こえる、強くはないが抗う女性の声。
彼女の理性か本音か、最後の砦を守っているようだ。
男性はその抵抗も楽しんでいるように余裕がある。
「まあまあ、そう言わずに。
今頃になって気持ちが変わりましたか?
その抵抗もそそられるなぁ。」
結子の背筋に強烈な悪寒が走った。
合意か、覚悟の上の行動か、身体も受け入れに向かって反応して動いていた。
「く、口で。許してください。」
リビングから聞こえた女性の声の後、結子の頭の中で、別の誰か若い女性の声で言葉が響いた。
「く、口で。するので許してください。」
接待行為を強要したのは、その経済組織会の代表を務める地元では大手のゼネコン企業の役員親族で、もう一人が例の国会議員の息子だったという話。
退職せざるを得なくさせられた金融機関の女子行員が、接待行為の強要に対して懇願した言葉が
「口で。するので許してください。」だったと、結子がこの事件を聞いた話の中の一つにあった。
あの事件で、議員親のコネ在職していた地元企業内での居場所を、対外的なケジメとして追われた息子は、自分の息子、つまり議員の孫、大学事件の首謀者を住まわせている、隣県の同じ企業支社に転勤した。
この男、あれか?
結子の胸に重いものが積もる。
やれることをやってみるか。
結子がスマートフォンのカメラ機能を立ち上げて、奥のリビングに向けてパシャっと写真を撮ってみた。
フラッシュが光り、リビングの扉のガラス部分に反射した。
男女の押し殺した淫な問答が止まって
「誰だ?息子が帰ってくるなんて聞いてないのに。」
立ち上がってリビングの扉に男性が向かってくる足音がした。
結子はカチンと大きな音を立てて、玄関ドアのロックを回してドアをすり抜けた。
玄関ドアの向こうで男が、リビングの扉を開けたところで言っているのだろう。
「なんで?誰もいない。今何が光ったんだ?」
遠いところでしていた声が、玄関ドアの近くまで来て
「俺、鍵閉めなかったか?」と言って、一旦鍵を掛け直して羽織るものを取りにリビングにでも戻ったようだ。
足音が遠ざかった。
しばらくして白いガウンをまとった男性が。玄関ドアを開けて顔をのぞかせて外を見た。
ドアを閉めて鍵をかけて、首を傾げながらリビングに戻る。
カチャリ。
再び結子が内側からドアロックを回した。
音に気づいた男性が
「え?」と驚く。
それはそうだ。今閉めたロックが開いたのだ。
流石に外に出て周りを見渡した。
誰もいない。
誰かが隠れそうなところを見てみるが誰もいない。
不思議だろう。
カチャリ。
内側から鍵がかかった。
男性は慌てた。
外を見るだけで鍵を持って出る意識もなく、まさか締め出されるとは思っていなかったのだろう。
「おい!ふざけるな、開けろ!」
中の女性に声をかける。ドアフォンを押して女性を呼ぶ。
当然ながら、女性は何が起きているのかわからない。
が、逃げ出せるチャンスだと本能的に悟ったのだろう。
ショーツを履き直して、ブラウスを乱雑ながら羽織りボタンも3つとめて、スカートを履いてブラウスの裾を押し込んで、ジャケットを羽織った。
荷物をまとめ、ソファーに落とされたブラジャーをカバンに押し込むと、リビングから出て、玄関入ってすぐの部屋に入って息を潜めて事態を見守るようだ。
女性のその姿を確認して、結子は内側からドアロックを回した。




