第1話:ボラサーに行こう!
冷たい。
雨に濡れているはずなのに、その手は妙に温度を持っていた。
「……行くぞ」
榊 伸介はそれだけ言って、歩き出す。
迷いがない。
振り返りもしない。
橘 翼は、一瞬だけ立ち止まる。
このままついて行っていいのか。
何も分からない相手だ。
信用できる根拠もない。
それでも。
他に、行く場所がない。
「……は」
小さく息を吐く。
考えるだけ無駄だと、どこかで分かっている。
今の自分には、選択肢がない。
翼は歩き出す。
榊の背中を追うように。
雨は、少しだけ弱くなっていた。
だが、空気は重いままだ。
無言の時間が続く。
足音と、雨音だけが響く。
「……なあ」
何か話さなければと思い口を開いた。
「なんで俺なんだ」
榊は、すぐには答えなかった。
数歩分の沈黙。
「さっきも言っただろ」
淡々とした声。
「なんとなく、だ」
「……それ、信じろって?」
「信じなくていい」
即答だった。
少しだけ、足が止まりそうになる。
だが榊は構わず歩き続ける。
「ただ、今のお前に必要なのは」
前を向いたまま、言う。
「“場所”だろ」
言葉が刺さる。
否定できない。
完全に、その通りだった。
「……」
何も言えなくなる。
しばらくして、街の明かりが増えてきた。
人通りも、少しずつ戻ってくる。
普通の夜の景色。
なのに。
どこか、違う。
「……なあ」
また、声を出す。
「俺、前にもここ来たことあるか?」
自分でも、変な質問だと思う。
初めて来たはずなのに。
なのに——
“知っている気がする”。
榊の足が、ほんのわずかに止まった。
「……さあな」
短い返答。
だが、その間が長かった。
「覚えてないなら、ないんだろ」
それ以上は言わない。
話を切るように、また歩き出す。
違和感が残る。
だが、追及できるほどの材料はない。
やがて、一つの建物の前で足が止まる。
小さな看板。
古い建物。
特別な場所には見えない。
「ここだ」
榊が言う。
「……ここが?」
「ボラサーの拠点」
あまりにも普通だ。
拍子抜けするくらいに。
だが、入口を見た瞬間。
翼の中で、何かが引っかかった。
見たことがある。
そんなはずはないのに。
「……っ」
頭の奥がざわつく。
断片が、浮かびかける。
崩れた壁。
割れた窓。
静まり返った空間。
「どうした」
榊の声で、意識が戻る。
「……いや」
首を振る。
「なんでもない」
ただ、ドアに手をかける。
「入るぞ」
その一言で、
何かが切り替わる気がした。
橘 翼は、一瞬だけ躊躇してから——
その後に続いた。
ドアが開く。
中から、明るい声が漏れている。




