第15話:知らない自分
翌朝。
翼はほとんど眠れなかった。
管理局。
任務。
そして——雨宮レナ。
頭の中で何度整理しても、現実感が薄い。
夢だったと言われた方が、まだ納得できる。
けれど。
『橘翼。あなたは任務中に記憶障害を起こした』
あの声は、妙にリアルだった。
「……寝不足?」
拠点に入った瞬間、沙良が心配そうに聞いてきた。
「顔、ちょっと疲れてるよ」
「そんな分かりやすいか」
「少しね」
翔も近づいてくる。
「お前がぼーっとしてるの珍しいな」
「元からぼーっとしてる方だろ」
「いや、お前は“静か”なだけ」
「違いあるのか」
「なんとなく」
その“なんとなく”に、少しだけ昨日を思い出す。
「翼さん!」
ひよりが元気よく手を振った。
「今日も頑張りましょう!」
「朝から元気だな」
「元気担当なので!」
いつもの空気。
いつものやり取り。
なのに、今日はどこか遠く感じる。
榊が机に資料を置いた。
「今日は商店街の清掃だ」
「了解」
翼は反射的に答える。
榊の視線が、一瞬だけ止まった。
「……どうした」
「いや」
榊は小さく首を振る。
「少し雰囲気が違う」
その言葉に、翼の心臓がわずかに跳ねる。
「気のせいだろ」
「ならいい」
商店街へ向かう途中。
翔とひよりが前を歩き、沙良がその後ろ。
翼は少し離れて歩いていた。
その時。
ふと視界の端に、小さな機械が映る。
古びた防犯カメラ。
次の瞬間。
頭の中に、知らない情報が流れ込んできた。
「死角、東側二十度。侵入経路二つ——」
口が勝手に動いた。
「……え?」
自分で止まる。
沙良が振り返る。
「翼くん?」
「……なんでもない」
今のは何だ。
考えたわけじゃない。
見た瞬間、理解した。
まるで、体に染みついているみたいに。
商店街に着いてからも、違和感は続いた。
「翼、それ高いとこ頼む」
翔が言う。
「ああ」
脚立に乗る。
バランスを取る。
自然に体が動く。
「……身軽だな」
翔が感心する。
「前から思ってたけど」
翼自身も気づいていた。
運動神経がいい、というレベルじゃない。
知らない動きが、できる。
作業の途中。
榊が隣に来た。
「翼」
「なんだ」
榊は少しだけ周囲を見てから、小声で言う。
「……思い出し始めたか?」
空気が止まった気がした。
「何を」
翼が聞き返す。
榊は数秒黙り、
そして静かに言った。
「お前自身のことを、だ」
その目は、冗談を言っている目じゃなかった。
翼は榊を見る。
榊もまた、何かを知っている。
前からずっと。
「部長」
「今はまだ聞くな」
榊は視線を外した。
「中途半端な状態で知ると、お前は混乱する」
「もう十分混乱してる」
「だろうな」
短いやり取り。
でも、それだけで十分だった。
榊は確実に“未来”を知っている。
そして。
自分は、本当に普通じゃない。
夕方。
作業を終え、皆で帰る道。
翔とひよりの騒がしい声を聞きながら、翼は空を見上げた。
昨日までは、ただの日常だった。
でも今は違う。
この平和な時間の裏側で、
何か大きなものが動いている。




