第12話:磯部ひより!
磯部 ひよりが入ってから三日。
ボラサーの空気は、目に見えて変わっていた。
「おはようございます!!」
ドアが開く音と同時に、元気な声が響く。
「朝から声量でかいな」
翼が言うと、ひよりは敬礼した。
「本日も絶好調です!」
「何の報告だ」
「おはよう、ひよりちゃん」
沙良が笑って手を振る。
「今日も早いね」
「はい!三十分前に来て掃除してました!」
「えらい!」
「俺も来てたぞ」
翔が言う。
「寝てただけでしょ」
智の一言で片づいた。
ひよりはすっかり馴染んでいた。
誰とでも話し、誰にでも懐く。
空気を読まない時もあるが、悪気がないので怒りにくい。
「翼先輩!」
「先輩じゃない」
「翼さん!」
「修正早いな」
「これ差し入れです!」
ひよりが袋を差し出してくる。
「パン?」
「駅前の新作です!二個買ったので一個どうぞ!」
「なんで俺に」
「なんとなくです!」
その答え方に、少しだけ誰かを思い出した。
榊の「なんとなく、だ」。
似ているようで、全然違う。
「もらっとけよ」
翔がにやにやしながら言う。
「後輩からの人気ってやつだな」
「違うと思う」
沙良が即答する。
その日の活動は、地域センターのイベント準備だった。
机運び、資料並べ、飾りつけ。
地味だが人数がいると助かる仕事だ。
「翼、これ持てるか」
榊が長机を指さす。
「一人でもいける」
「じゃあ俺見てるわ」
翔が言う。
「お前も持て」
翼と翔で机を運び、沙良とひよりが飾りつけをする。
智は無言で配線を整えていた。
「智先輩、器用ですね!」
「先輩じゃない」
「全員に言われるなそれ」
翼が笑う。
ひよりは風船を膨らませながら言った。
「こういうの楽しいですね!」
「まだ準備だけどな」
「準備から楽しいです!」
「いい性格してるな」
しばらくして、ひよりが翼の近くへ来た。
「翼さんって、前からここにいたんですか?」
「いや、そんなに長くない」
「でもみんなと自然に話してるので、ずっといた人みたいです」
「……そう見えるのか」
「見えます!」
その言葉が、妙に胸に残る。
ずっといた人みたい。
記憶のない自分にとって、それは少し不思議で、少し嬉しい言葉だった。
「翼ー!」
翔が遠くから叫ぶ。
「黄昏れてる暇あったらこっち来い!」
「人使い荒いな」
「副部長だからな!」
「今決まっただろそれ」
作業が終わる頃には、会場はかなり形になっていた。
机が並び、飾りがつき、人を迎える準備が整っている。
「お疲れさま!」
沙良が拍手する。
「みんな頑張ったね」
「私はまだ動けます!」
ひよりが拳を握る。
「元気分けてほしい」
翔が床に座り込む。
帰り道。
夕焼けが街を赤く染めていた。
ひよりは翔と前を歩きながら、ずっと喋っている。
翔も珍しく押され気味だった。
「……賑やかだな」
翼がぽつりと言う。
「嫌?」
隣を歩く沙良が聞く。
「いや」
少し考えて答える。
「……悪くない」
沙良はふっと笑った。
「だと思った」
拠点に戻ると、榊が短く言った。
「人が増えると面倒も増える」
「部長、それ本人の前で言わない方がいいですよ!」
ひよりが即座に返す。
一瞬静まり、次の瞬間、部屋に笑いが広がった。




