第10話:何気ない日々
朝から雨だった。
強くはないが、細かい雨が静かに降り続いている。
拠点の窓を打つ雨音を聞きながら、翼は机に頬杖をついていた。
「……眠い」
「珍しいな」
榊が書類を見たまま言う。
「お前がそういうこと言うの」
「雨の日はなんか眠くなる」
「分かる!」
森 翔が勢いよく割り込んできた。
「授業中とか特にな!」
「お前は晴れでも眠いだろ」
「否定できん!」
沙良が笑いながらタオルをたたむ。
「今日は外の活動なしでよかったね」
「雨の中ゴミ拾いとか地獄だからな」
「翔くんはすぐサボる前提で話すよね」
「効率重視と言ってほしい」
今日は雨のため、外での活動は中止。
代わりに拠点の清掃や資料整理になっていた。
地味だが、全員でやればそれなりに賑やかだ。
「翼、棚の上頼む」
榊に言われ、脚立に乗る。
高い場所の段ボールを下ろし、中身を確認する。
「古いチラシ、軍手、謎の置物……」
「謎の置物?」
智が珍しく反応した。
「なんだそれ」
「犬みたいな石像」
「翔の私物だな」
「なんで分かるんだよ!」
翔が慌てて駆け寄ってくる。
「それ大事なんだぞ!」
「何に使うんだ」
「雰囲気」
「いらないな」
そんなやり取りをしているうちに、あっという間に昼になった。
「雨やまないね」
沙良が窓の外を見る。
道路は濡れ、傘を差した人たちが足早に通り過ぎていく。
「今日はこのまま解散でいいだろ」
榊が言った。
「夕方からバイトなんだろ、翼」
「まあ」
「気をつけて行け」
「……了解」
拠点を出ると、空気はひんやりしていた。
傘を差し、駅前まで歩く。
雨の日の街は、いつもより静かに見える。
少し早く着いたので、Cafe Lumenの近くの屋根付き通路で時間を潰していると——
「お、翼くんじゃん」
声をかけられた。
振り向くと、白瀬 雫だった。
今日は仕事前らしく、コート姿でコンビニ袋を提げている。
「こんにちは」
「こんにちは。そんな堅くなくていいけど」
「癖で」
「真面目ね」
白瀬は隣に立ち、雨の通りを眺めた。
「雨の日、嫌い?」
「いや、別に」
「私は少し好き」
「そうなんですか」
「街が静かになるから」
意外だった。
白瀬はもっと、騒がしい場所でも平気そうに見える。
「でも店は忙しくなる」
「なんで」
「雨宿りの人が増えるから」
白瀬は少し笑った。
普段店で見る笑い方より、少し柔らかかった。
「翼くんって、不思議」
「急ですね」
「なんか、初めて会った時から落ち着いてるのに、たまにすごく迷子みたいな顔する」
「……そんな顔してます?」
「してる」
言い返せなかった。
たぶん、その通りだからだ。
「でも最近は減った」
「何がですか」
「迷子の顔」
雨音が少し強くなる。
白瀬の言葉が、なぜか胸に残った。
「ここに慣れてきたからかも」
翼が言う。
「サークルとか、店とか」
「いいことじゃない」
「……そうですね」
「じゃ、そろそろ行こっか」
白瀬が歩き出す。
「遅刻すると私が怒られるし」
「あなたが責任者では?」
「その通り。だから困るの」
店に入ると、蓮がカウンターでだらけていた。
「おっそ。俺一人で頑張ってたんだけど」
「寝てたでしょ」
白瀬が即答する。
「バレた?」
「バレる」
「翼、助けてくれ」
「無理です」
「冷たい新人だなぁ」
雨の日の店内は、確かにいつもより客が多かった。
濡れた傘。
温かいコーヒーの湯気。
窓を流れる雨粒。
忙しい中でも、不思議と嫌じゃない。
注文を運びながら、翼はふと思う。
記憶のない自分にとって、
こういう何気ない日々こそ、本当に大事なのかもしれないと。




