16.ジェイコブと兄弟
咎める様な厳しい目付きで父は重々しく言った。
確証が無いのか、早く答えろと無言の圧力がかけられる。
「噂でしょう?」
薄く笑んで首を傾げて見せると、母は安堵した様に強張った身体から力を抜くのが分かった。
父は、疑り深くまだ俺を睨んでいる。
「馬車に、マルティーナ嬢のものではない頭髪が落ちていた」
「はは、彼女の友人を前乗せまして。一緒に階段を降りているときに落ちて足を捻りまして。彼女が自分のせいだから送ってあげて、と」
「ふん、どうだかな」
母は事態が芳しくない事に気が付いたらしく、顔を引きつらせていた。
俺もマルティーナに表情が剥き出しだと何度か言われた事があるが、母譲りなのだろう。
その発言に対し、マルティーナへ『お前は人形みたいだ』と返した事は覚えている。
「この婚約の意味をお前は理解しているのか?」
「伯爵家との繋がりを作るものでしょう?別に私じゃなくても良かった」
「伯爵家が指定したのはお前だ」
此方はお前じゃなく長男を指定した、と父は荒々しく吐き出す。
そう、俺は父から見限られている。
マルティーナよりも弱く、マルティーナよりも頭の悪い俺を。
マルティーナと比べる事がおかしいと言うのに、誰も気が付いていない。
俺だけしか。
それに、長男が俺より優れているかと言うと微妙だ。
身体は弱く、気も小さい。
気が付いた時には遠縁の親戚の家で療養していた。正直、顔も覚えてはいない。
今は随分と良くなったらしいが、戻ってくる気配はない。それでもブロード家は長男が継ぐ。
何故長男ではなく、家を継げない次男を指定したのか、両親も知らない。
一度、マルティーナときちんと話し合うべきなのかも知れない。いや、話さなくてはならない。
マルティーナが拒んでも、俺は、知らなくてはいけないのだと思う。
「いいか、マルティーナ嬢を大事にしろ。何故かお前の言う事は素直に聞くからな」
その当て付けに俺の心は圧し折られるが。
勿論口には出さない。出したところで答えは見えている。
『お前の努力が足りない』と言われるだけだ。
もう辟易していた。
貴族のしがらみなど捨ててエリザベスと駆け落ちでもしてしまいたい。
学園を卒業して文官になって、家を出て小さな家を借りて慎ましくも幸せな家庭を築こう。
そんな妄想をするだけで心が少し救われた。
両親はもういいと部屋から俺を追い出した。
廊下の角に、小さな影が見えた。
俺はそこまで歩いて行き、しゃがみ込んで目を合わせる。
「おいで、デニス」
「兄様!」
まだ幼い弟は、俺が広げた腕の中に飛び込んできた。
甘えたい盛りのデニスは俺に抱き付いて嬉しそうに声を上げていた。
そして、丸い瞳に俺を写す。
「兄様、大丈夫?お顔、暗い」
「大丈夫。お前は優しいな、デニス」
「えへへ」
小さな頭を撫でると顔をくしゃくしゃにしてデニスは喜んだ。
デニスを抱き上げ、自室に向かう。
部屋についてからデニスを下ろすと、俺のベッドに飛び込んで跳ねていた。
まだ四歳のデニスと俺は十一歳離れている。弟と言うよりも、親戚の子供みたいな感覚だ。
「兄様、妖精って信じてる?」
曇りない純粋な瞳が俺を見据える。
この質問には覚えがある。
婚約してから少し経った頃、マルティーナが同じ質問をした。俺は居る訳が無いと否定したが、デニスの質問には、黙り込んでしまった。
信じている訳ではない。だが、デニスの夢を壊したく無い。
「妖精、か…。どうだろうな」
「妖精はいるんだよ!」
曖昧な返事しかできなかった俺に対し、デニスは目を輝かせ、反論した。
デニスが信じているのなら、夢が覚めるまでは信じたままでいさせよう。
「そうか」
「信じてないでしょ兄様!僕見たんだ!」
「見た?」
妖精は遥か遠い昔に滅んだはずではないのか?
詳しく話を聞こうとデニスに顔を寄せる。
「妖精はいるのか?」
「いるよ!森のね、一番大きな木の根本に扉があってね、そこから妖精の国にいけるの」
「森に行ったのか?一人で?」
「違うよ、アイリも一緒」
アイリはブロード家の侍女だ。
話を聞いていくと、散歩をしに屋敷を出たデニスとアイリは街中を歩いていたが、森に立ち寄った。なんでも、デニスは森が気になったらしい。
森についてからアイリと入り口付近を歩いていたがいつの間にか逸れてしまい、気がつくと森の一番大きな木の前にデニスはいたらしい。
そして、その木の根本に妖精界への扉があり、気になって飛び込んだ。
「そこで妖精に会ったんだな」
「うん!ティナ姉様もいた」
「…ティナ?あぁ、マルティーナか」
マルティーナの愛称に一瞬首を傾げてしまうが、すぐに思い出す。
まともに親交を深めなかったので、互いに愛称で呼ぶ事は無い。
デニスの話を聞いて薄々勘付いてはいたが、矢張りマルティーナは妖精が見えるらしい。
昔、妖精が見えるか聞いてきたのは、自分と同じか確かめたかったのかも知れない。
「ティナ姉様と仲直りしないの?」
「…仲直りはもう出来ない」
「悲しくなる前に話したほうがいいよ」
デニスは、俺とマルティーナが喧嘩している所しか見ていない。
まだ幼い弟は、眉尻を下げて、切実に訴えていた。
小さな手を握り、俺は言い様の無い悲しさで胸が詰まっていた。
「ティナ姉様がかえるまで、時間はないんだって」
デニスは真剣な表情で俺を見つめた。
伝えたい事は分からなかったが、早めにマルティーナと話す必要があるみたいだ。
ブロード家の長男についてはいつか書くと思います。




