第十章 火界王アウロ
六つの印のうち、最初に燃え上がったのは火だった。
未完の中枢の奥に浮かんだ六つの印――火、風、土、水、光、闇。そのうち、太陽のような円と炎の舌を重ねた印が、白い頁の闇の中でゆっくり赤く染まった。赤はすぐに金へ変わり、金はさらに白に近い輝きとなって、セイたちの足元へ一本の道を伸ばしてきた。
道、といっても石畳ではない。
燃えている紙だった。
黒く焦げた頁の上を、金色の火が端から端へ走っている。だが、頁は燃え尽きない。炎は文字の形を取りながら、次々に新しい行を生み出していた。火の字、太陽の字、黄金の字、再生の字、破壊の字。読めないはずなのに、意味だけが胸へ入ってくる。
セイは、胸元に結びつけた金の首輪へ手を当てた。
ファティマの首輪。
さっきまで床に落ちていたそれを、アズィーザが革紐でセイの胸元に結んでくれた。形見にするには早すぎる、と彼女は言った。戻るための杭にしな、と。
首輪はまだ、かすかに温かい。
それが慰めなのか、残響なのか、セイには分からない。
けれど、完全に冷えていないというだけで、足を動かす理由になった。
「火の道だね」
アズィーザが言った。
彼女はナジムの形見を服の下へしまい、短剣ではなく小さな鏡を手にしている。炎の光が鏡面で揺れ、彼女の横顔を赤く染めていた。
「熱そうに見えるけど」
セイが言うと、エムが〈光天の書〉を閉じたまま答える。
「記録領域の火じゃ。肉を焼くとは限らぬ」
「“限らぬ”という言い方が一番怖いんですけど」
アズィーザが肩をすくめる。
「焼けたら熱いで済むならまだいいさ。記録の火は、名前や記憶を焦がすこともある」
「脅すのが上手ですね」
「砂漠育ちだからね。危険を小さく言う奴から死ぬ」
セイは小さく息を吐いた。
ファティマがいれば、きっとここで何か言ったはずだ。
「じゃあ大きく言いすぎても疲れるよ」とか、「ボクの尻尾はもう焼かないでね」とか。
その声がない。
そのことに慣れてはいけないと思った。
セイは首輪に触れたまま、火の道へ足を踏み出した。
熱はなかった。
代わりに、足の裏から記憶のようなものが流れ込んでくる。
焚き火の前で震えた夜。
ハナンの聖堂で見た星の槍の光。
ゼフィ=ラウの蒼風石が暴走した時の青い火花。
砂漠の昼の焼けるような熱。
ファティマの尻尾が焦げて、彼女が本気で怒った時の顔。
火は、いつもそばにあった。
暖めるものとして。
焦がすものとして。
照らすものとして。
壊すものとして。
道の先に、神殿が現れた。
それは、アウロの庭で見た太陽神殿とは似ていたが、同じではなかった。
黄金の都市の中心にあった神殿は、砂に沈み、壊れ、焼け跡を残していた。だが、ここにある神殿は、記録の中の理想形のように輝いている。巨大な円形の祭壇。放射状に伸びる回廊。壁には火と太陽と黄金の紋章。柱の上には、炎を咥えた獅子と、頁を抱いた猫の彫刻が交互に並んでいる。
ただ、整いすぎてはいなかった。
柱の何本かはわざと斜めに立ち、祭壇の端には焦げ跡が残り、床には酒瓶のようなものが転がっていた。
セイはそれを見て、少し拍子抜けした。
「神殿……ですよね?」
「たぶんね」
アズィーザも眉を上げる。
「ずいぶん生活感のある神殿だ」
エムはわずかに眉をひそめた。
「火界王アウロの記録神殿。火属性構文の中枢記録の一部じゃ。構造は古いが、祈りと記録で何度も上書きされている」
「神様の神殿にも、上書きってあるんですか」
「神と呼ばれるものほど、祈る者の都合で形を変える」
エムは静かに言った。
その言葉が終わる前に、神殿の奥から豪快なあくびが響いた。
「ふぁああああ……。なんだ、また記録の照合か? 眠い時に限って客が来るなあ」
セイは思わず足を止めた。
神殿の中央、太陽を模した祭壇の上に、男が寝転がっていた。
燃えるような赤金の髪。日に焼けた肌。肩に引っかけただけの黄金の外套。腕には太い金の腕輪があり、胸元には太陽紋が刻まれている。背後には炎の輪が浮かんでいるが、その炎は神々しいというより、寝起きの焚き火のようにゆらゆら揺れていた。
男は片肘をついて身体を起こし、眠そうに目をこすった。
その瞳は金色だった。
燃える炭のような、深い金。
「お。人間か。いや、外から来たやつか。そっちは砂漠の盗人だな。で、白いのは……光天の書か。相変わらず顔が硬いな、エム」
エムは冷たく言った。
「記録神殿の管理者が祭壇で寝るな」
「火は寝かせると炭になるんだよ。炭はいいぞ。長持ちする」
「言い訳にもなっておらぬ」
「神らしいありがたい比喩だろ」
「神らしくない」
「よく言われる」
男は豪快に笑った。
セイは呆気に取られた。
これが火界王アウロ。
火、太陽、黄金、破壊と再生、創造の熱を象徴する神格。アウロの庭の名にも刻まれた存在。大魔導師ファティマの記録や、黄金都市の伝承の奥にあった火の管理者。
もっと厳粛な存在を想像していた。
巨大な炎の獣とか、黄金の仮面をつけた太陽神とか、声だけで人を焼き尽くすような存在とか。
だが、目の前の男は祭壇で寝ていて、髪には火の粉ではなく寝癖のような跳ねがあり、神らしさとだらしなさが妙な形で同居していた。
アズィーザが小声で言う。
「思ったより気安い神様だね」
「神様って、こういう感じなんですか」
「少なくとも砂漠神の老人よりは態度が雑だ」
男――火界王アウロは、二人の会話を聞いて笑った。
「いいぞ、そういう反応は嫌いじゃない。祈りで固まった顔よりずっとましだ。で、名前は?」
「セイです」
「金砂のアズィーザ」
「エムじゃ」
「おまえの名は聞かなくても知ってる」
エムが少しだけ不機嫌そうにした。
アウロは祭壇から飛び降りた。足が床についた瞬間、金色の火花が散る。だが、その火花はセイの方へ飛ぶ前に小さな文字になって消えた。
「セイ。外より来た者。魔本を開き、星の槍を降らせ、風を結び、今度は砂の底へ落ちてきた読者もどき。いや、観測者もどきか」
「もどきが増えました」
「まだ何者にもなりきってないってことだ。いいことだぞ。固まると燃やすしかなくなる」
軽い言い方だった。
だが、最後の一言に、ほんの少しだけ火の重さが混じった。
アウロはセイの胸元に結ばれた金の首輪を見た。
「それ、いい火種だな」
セイは思わず首輪を押さえた。
「火種?」
「まだ消えてない。泣き声も怒りも恐怖も、全部くすぶってる。大事にしろよ。火種ってのは、風が悪けりゃ消えるし、薪が多すぎりゃ家ごと燃やす」
セイは首輪を握った。
ファティマの残り火。
そう言われた気がした。
アウロは、今度はアズィーザを見る。
「そっちの形見も燃えやすいな。弟か」
アズィーザの表情が固まった。
「神様は人の荷物をのぞくのが趣味かい」
「火に近づけば、何が燃えたいか分かる。隠しても無駄だ」
「燃やす気なら、噛みつくよ」
「おお、怖い怖い。盗人に噛まれるのは遠慮したい」
アウロは笑った。
けれど、すぐにその表情を少し引き締めた。
「安心しろ。俺は勝手に燃やさない。火は勝手に燃えるものだと思われがちだが、本当に怖い火は、誰かが“燃やしていい”と思った時に広がる」
神殿の炎が、少しだけ低くなった。
エムが一歩前へ出る。
「火界王アウロ。セイは〈創造の書〉へ至るため、四界王と陰陽神の記録を照合する必要がある」
「ああ、知ってる。白い頁が先に来る時は、たいてい面倒なことだ」
「ならば説明せよ。おまえたちは何者か」
「相変わらず上から来るなあ」
アウロは肩をすくめた。
それから、神殿の中央へ歩き、足で床を軽く叩いた。
祭壇の周囲に炎の輪が広がる。
その炎の中に、いくつもの光景が浮かんだ。
火山。
炉。
太陽。
焚き火。
焼けた町。
新しく焼かれた陶器。
鍛冶場で赤く熱せられる剣。
冬の夜に人々を暖める火。
戦場で家を焼く火。
同じ火が、まったく違う意味を持っている。
「俺は絶対神じゃない」
アウロは言った。
さっきまでの軽さが少しだけ消えた。
「火を司る王だの、太陽の神だの、黄金の主だの、破壊と再生の神だの、いろいろ呼ばれてる。祈りによってはもっと大げさな名もある。だが、本質は単純だ。俺はノースの火属性構文を管理するための存在だった」
セイは耳を澄ませた。
アウロは続ける。
「火は便利だ。冷えた者を暖める。暗い場所を照らす。鉄を鍛える。土を器に変える。種を焼いて、新しい芽吹きを促すこともある。だが、同じ火で家も焼ける。森も焼ける。名も、記録も、街も、灰になる」
炎の中で、黄金都市アウロの庭が燃えていた。
書庫が焼ける。猫型使い魔が走る。大魔導師ファティマが頁を抱えている。
セイは胸元の首輪を握った。
「創造の熱も、それと同じだ」
アウロの声が低くなる。
「何かを作りたいという熱は、世界を動かす。誰かを救いたいという熱も、旅を続ける力になる。だが、熱が強すぎれば、形を焼く。まだ伸びる枝を焦がし、違う形になるはずだった粘土を固め、取り戻したいもの以外を灰にする」
アズィーザが小さく息を吐いた。
「耳が痛いね」
「盗人は火事場が好きそうだが」
「火事場泥棒は趣味じゃない。焼け跡は、盗むものより泣くものが多い」
「いい返しだ」
アウロは少しだけ笑った。
それから、セイへ向き直る。
「〈大きな神〉は世界を創った」
その言葉で、神殿の炎が大きく揺れた。
セイの足元に、創世神話の光景が浮かぶ。
外なる宇宙から来た大きな神。水に満ちた青い星。蒔かれる生命の粉。生まれる木々、獣、人々、種族、神話。
だが、その光景はすぐに歪んだ。
作られた町が消える。種族が置き換えられる。神の名が別の役割に書き換えられる。地形が折り畳まれる。同じ場所に複数の歴史が重なる。
「だがな、創ったからといって、世界が従うとは限らない」
アウロは言った。
その声には、火のような怒りがあった。
「火を灯した者が、火の行く先を全部決められるわけじゃない。鍛冶師が炉に火を入れても、鉄がどう歪むかは鉄にも癖がある。料理人が鍋をかけても、火加減を誤れば焦げる。火は道具だが、火には火の性質がある」
「世界にも、世界の性質がある……?」
セイが呟くと、アウロは頷いた。
「そうだ。創造も同じだ。作ったから支配できると思ったら、そこで間違う。世界は作り主の持ち物じゃない。生まれた瞬間から、そこに生きる者たちのものでもあり、まだ生まれていない者たちのものでもある」
エムが静かに問う。
「だが、管理者は必要であった。属性構文を保たねば、ノースは早く崩れていた」
「それはそうだ」
アウロはあっさり認めた。
「俺たちは管理者だった。火、風、土、水、光、闇。世界がほどけないように、構文の流れを保つ役目があった。だが、祈りと記録が俺たちを神にした」
炎の中に、人々が映る。
炉の前で祈る鍛冶師。
太陽へ手を合わせる砂漠の旅人。
焼け跡から新しい種を蒔く農夫。
黄金都市の神殿で火界王の名を唱える書記たち。
祈りが重なり、記録が重なり、管理者は神格になっていく。
「俺は、火そのものじゃない。火の構文を管理する者だった。だが、人々が俺の名で火を祈り、火を恐れ、火に再生を願った。その記録が積もって、俺は火界王アウロになった」
「神様って、人々の記録でもあるんですね」
セイが言うと、アウロはにやりと笑った。
「そうだ。だから、神も間違う。祈られた分だけ偉くなるが、祈られた分だけ勘違いもする。俺だって昔は、俺の火があれば何でも再生できると思っていた」
セイは、黄金都市の焼けた書庫を思い出した。
「できなかったんですか」
「できなかった」
アウロは、はっきりと言った。
「焼けば、新しいものが生まれることもある。古い森が燃えた後に芽が出ることもある。鉄は火で鍛えられる。陶器は火で固まる。だが、死者を焼いても生者には戻らない。焼けた頁は、同じ筆跡では戻らない。後悔を燃やしても、経験は灰になるだけだ」
セイは首輪を握った。
ファティマを苦しめる記録を焼けたら。
そう思った。
〈光天の書〉で整えるのではなく、火でいらない痛みだけを焼けたら。
セシルを失った後悔も、ファティマを抱きしめられなかった瞬間も、ナジムの空白を見たアズィーザの震えも、全部燃やせたら。
楽になるのではないか。
その考えが浮かんだ瞬間、アウロがセイを見た。
「いい顔をしたな」
「え?」
「何かを燃やしたい顔だ」
セイは息を呑んだ。
アズィーザも少しだけ彼を見る。
アウロは一歩近づいた。
神らしくない笑みは、もう消えていた。
炎の輪が、セイの足元に小さく灯る。熱くはない。だが、逃げられない光だった。
「セイ」
アウロが名を呼んだ。
「おまえは何を焼きたい?」
その問いは、予想していたより静かだった。
「失敗か」
炎の中に、ハナンの聖堂が映る。セイが魔本を開き、星の槍が降る。セシルの手が届かない場所へ沈む。
「後悔か」
砂漠の宿の夜。夢の中のセシル。答えられなかった自分。
「死者の痛みか」
アリアが渡してくれた薔薇の聖印。アズィーザの首飾り。名前のない墓標。
「それとも、自分が傷ついた記憶か」
現代日本の雨の部屋。閉じたカーテン。学校へ戻れなかった日。誰にも呼ばれない時間。ノースへ来てからの恐怖。ファティマがほどける瞬間。
セイは声を出せなかった。
何を焼きたいか。
焼きたいものは、いくらでもあった。
セシルを救えなかった失敗。
ファティマに答えられなかった後悔。
誰かを救いたいと言うたびに、自分を救おうとしているのではないかと疑う痛み。
現代日本で、自分がいなくても世界が困らないと思っていた記憶。
全部焼けたら、どんなに楽だろう。
でも、それらを焼いたら。
セシルを覚えている重みも、ファティマと向き合う怖さも、クラウディアが教えてくれた距離も、アズィーザの形見の意味も、全部薄れてしまうのではないか。
セイは胸元の首輪を握った。
温かさが、指に移る。
ファティマの残り火。
「嘘じゃないって、いつか、ちゃんと言って」
その言葉は、焼いてはいけない。
でも、痛い。
焼けるなら焼きたいほど、痛い。
「答えられません」
セイはやっと言った。
アウロは頷いた。
「そうだろうな」
「僕は、失敗も後悔も痛みも、焼いてしまいたいと思いました。でも、焼いたら、たぶん大事なものまで燃えます」
「その通りだ」
アウロは炎の輪を消した。
「火は選ぶのが下手だ。何かを焼きたいなら、何まで燃えるか見ておけ。失敗を焼けば、学びも燃える。後悔を焼けば、誰かを大事に思った証も燃える。死者の痛みを焼けば、死者の名を呼ぶ理由も薄くなる。傷ついた記憶を焼けば、そこから歩いてきた自分の足跡も消える」
アズィーザが低く言った。
「じゃあ、火は何のためにあるんだい」
「燃やすためだ」
アウロは即答した。
アズィーザが眉を上げる。
アウロは笑った。
「ただし、何を燃やすかを選ぶためでもある。火を持つ者は、燃やせるものを見つけるんじゃない。燃やしてはいけないものを知るんだ」
神殿の炎が、静かに揺れた。
その光は、破壊の火ではなく、夜の焚き火に似ていた。
暖める火。
見失わないための火。
セイは、その火を見つめた。
「〈創造の書〉も、火と同じなんですね」
アウロは満足そうに笑う。
「飲み込みが早い。いや、遅いけど、今回は早い」
「褒めてます?」
「半分」
アズィーザが小さく笑った。
「その言い方、誰かに似てきたね」
セイも少しだけ笑いかけて、胸が痛くなった。
ファティマがいれば、きっと「半分ばっかり!」と突っ込んだ。
首輪が一瞬だけ、温かくなった。
セイは目を見開く。
聞こえたわけではない。
でも、どこかでファティマが少しだけ反応した気がした。
アウロも首輪を見た。
「聞いてるな、その本猫」
「ファティマが?」
「火種は消えてないと言っただろ。完全に灰になってたら、俺にも見えない」
セイは首輪を両手で包んだ。
涙が出そうになる。
「戻せますか」
思わず聞いた。
アウロは、すぐには答えなかった。
彼は火界王で、豪放で、いい加減で、神らしくない。
けれど、その沈黙だけは真剣だった。
「戻す、という言葉には気をつけろ」
アウロは言った。
「火種から同じ火はつく。だが、同じ炎ではない。さっき燃えた炎と、次に灯る炎は似ているが、同じ時間を燃えてはいない」
「それは、ファティマが戻っても、前と同じじゃないってことですか」
「かもしれない」
セイの胸が痛んだ。
アウロは続ける。
「だが、違うから偽物とは限らない。火は燃え続けるたびに形を変える。人も、記録も、神もな。問題は、変わることを許せるかどうかだ」
セイは言葉を失った。
ファティマが戻ってくるとして、前と同じファティマを望んでしまう自分がいる。
でも、彼女はもうアウロの庭で自分の正体を見てしまった。自分が本であり、少女であり、大魔導師の残響であり、ノースの記録でもあると知ってしまった。
そのファティマが、草原で出会った時のまま戻れるはずがない。
戻ってほしい。
でも、変わることも許さなければならない。
それは、とても怖かった。
エムが口を開いた。
「火界王アウロ。セイは次にどこへ進むべきか」
「せっかちだな。火の前ではもう少し酒でも飲んで語ればいいのに」
「記録領域に酒は不要じゃ」
「だから顔が硬いんだ」
アウロは大きく伸びをした。
神殿の奥で、炎が六つに分かれた。
火の炎はセイたちの足元に残り、ほかの五つの光が遠くへ伸びていく。青い風の線、鈍い土の光、深い水の波、白い光、黒い影。
「〈創造の書〉へ行きたいなら、俺だけじゃ足りない」
アウロは言った。
「火は始まりの熱を教える。だが、世界は火だけじゃ立たない。風が形を動かし、土が支え、水が記憶を流し、光が照らし、闇が輪郭を与える」
「四界王と陰陽神」
セイが呟く。
「そうだ。ゼーク、ディティア、イズム、ヒリカ、イーマ。あいつらの記録も辿れ。神々が本当は何者だったかを知れ。俺たちは絶対者じゃない。管理者が祈られて神になった。その事実を知らなきゃ、〈大きな神〉の仮面も剥がせない」
「〈大きな神〉の仮面……」
「創造神という仮面だ」
アウロの目が、炎の奥で鋭く光った。
「あいつは世界を創った。だが、創ったから所有していいわけじゃない。そこを見誤った。いや、見誤り続けた。おまえが同じ道へ行くかどうか、これから試される」
セイは息を呑んだ。
同じ道。
世界を救いたいと思い、失敗を焼きたいと思い、死者を戻したいと思い、ファティマを前と同じ形に戻したいと思う。
その願いが強くなりすぎれば、自分も世界を自分の望む形へ作り直そうとするのかもしれない。
アウロは、祭壇の炎から小さな火をひとつ取り出した。
それは指先ほどの火だった。金色で、熱はない。
彼はそれをセイへ投げた。
セイは驚いて受け止める。
火は掌の上で小さな印になった。太陽と炎を重ねた印。すぐに胸元の金の首輪へ吸い込まれる。
首輪が、ほんの少しだけ強く温まった。
「これは?」
「火界王アウロの照合印だ。火の記録神殿を通った証。ついでに、その本猫の火種を少しだけ守ってやる」
「ありがとうございます」
「礼を言うなら、次に会う時は酒でも持ってこい」
「飲めるんですか」
「記録神殿の酒は概念だ。酔える」
「神様って、自由ですね」
「自由じゃない神なんて退屈だろ」
アウロは豪快に笑った。
だが、笑い終えると、真剣な顔でセイを見た。
「忘れるな、セイ。火は灯すことも焼くこともできる。創造も同じだ。何かを作る力を得た時、自分が何を燃やしたがっているのかを見ろ」
「はい」
「答えられないなら、それでいい。答えられないと知ってる奴は、まだ全部を燃やさずに済む」
その言葉は、少しだけセイを支えた。
答えられないことは、弱さだけではないのかもしれない。
アズィーザが火の道の先を見る。
「次はどこだい」
青い風の線が、神殿の外へ伸びている。
その先で、風鈴のような音がした。
エムが言った。
「風界王ゼークの記録へ進む」
「空の都で散々風には振り回されたのに、また風かい」
アズィーザは肩をすくめる。
「まあ、砂よりは軽そうだ」
その瞬間、どこか遠くから、ファティマの声が聞こえた気がした。
――風は軽くないよ。尻尾が持っていかれるんだから。
セイははっとした。
声はすぐに消えた。
気のせいだったかもしれない。首輪の残り火が見せた幻かもしれない。
それでも、セイは胸元に手を当てた。
「ファティマ」
小さく呼ぶ。
首輪が、ほんの少しだけ温かくなった。
アウロはそれを見て、にやりと笑った。
「ほらな。火種は残ってる」
セイは頷いた。
まだ戻っていない。
まだ答えはない。
でも、火は消えていない。
セイは火界王の神殿を振り返り、深く頭を下げた。
黄金の炎に照らされたアウロは、片手をひらひら振っていた。神らしくない、気軽な仕草だった。
けれど、その背後の炎は、世界の始まりと終わりを知るように静かに燃えていた。
セイたちは、青い風の線へ向かって歩き出した。
火の問いを胸に抱えたまま。
何を焼きたいのか。
何を燃やしてはいけないのか。
その答えをまだ持たないまま。




