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帝都の夏は、暑い。帝国の北に位置するため、冬が厳しいのはもちろんだが、夏も気温が高く湿気が多い。まとわりつくような蒸し暑さだ。
帝都の夏は、短い。民は、たぎる太陽に文句をいい、それでも、束の間の熱にほだされた活気を楽しむのだ。
街の中央にある広場は、今日も多くの人で賑わっていた。野菜に花、服や骨董品など様々な市が立ち、売り子や客の声が飛び交う。
「カレンナ、今日は、彼氏と一緒か」
「違うわ。お兄ちゃんよ」
店のおやじに声を掛けられたカレンナは笑顔で応え、隣のセシルはお兄ちゃんと言う呼び方に照れたように頬を赤らめた。
お忍びで街を出歩いているカレンナは、顔なじみも多い。言うまでもなく、皇女の身分は、ふせている。
今日のお忍びは、セシルも一緒だ。
ついこの間の話だ。
セシルとカレンナは、セシルの畑にいた。車椅子の皇女プリュームと、その側用人アランもいた。
一ヶ月前に行われたセシルの祝宴のあと、四人は親しくなり、よく畑に集まって茶の時間を楽しむようになった。
その日も、畑でとれたトマトを茶うけに、和やかに談笑していた。
「兄上」
そこへ、皇帝グランジウスが現れた。グランは、まるで周りの者がいないかのように、セシル一人を見つめ、足を進めて来た。
「兄上、休養の時間です。皇宮へ戻りましょう」
「……でも」
「兄上、お忘れか。一週間も寝込まれたことを」
お披露目の宴が終わり、セシルは、体調を崩し寝込んだ。原因は、グランにあるのだが。そのことは、ここにいる顔ぶれは、おおよそ見当がついているのだが。
セシルは、一瞬グランから視線を外したあと、うなずいた。
「……あ、うん。……そうだね。それじゃあ、み……ちょっと、グラン」
別れの挨拶を口にする間も与えられず、セシルはグランに腰を抱き寄せられ、そのまま引きずられるように畑をあとにした。
怒ったのは、カレンナだ。グランに、「束縛する男は、嫌われるのよ」と抗議したが無視され、むしろ、畑の時間を短くされた。
さらに怒ったカレンナは、今日、セシルを街へ連れ出した。
セシルが帝都に来てから四カ月にもなるが、外へ出るのは初めてだ。皇宮の外にすら、なかなか出してもらえないのだから。
初めての街は、凄かった。行き交う人、人、店、店。
「カレンナ、今日って、お祭りか、なにか、特別な日?」
「違うわよ。街は、いつもこうよ」
「ほんとに?」
「ほ、ん、と、う」
「そっかぁ、すごいなぁ。この人たち、どこから集まって来たんだろ」
セシルは、フードの下から辺りを見回した。今日のセシルは、聖職者のローブを身につけている。すっぽりと体を覆っているが、さほど暑くない。上等の薄布、紗を使った夏用のローブだ。カレンナの母で、セシルの叔母ディアンナが用意した。
この事でわかるように、今回の謀には、叔母ディアンナも一枚かんでいる。だから、厳しい警護の中を抜け出すことができたのだ。
セシルが皇宮に入ってから、常にその身を飴玉隊が警護を固め、近侍が仕え世話をしている。多少窮屈ではあるが、感謝してもしきれない。
皇帝でもある弟のグランからは、受け止めきれないほどの愛情を与えられている。多少戸惑うこともあるが、孤独だったセシルとしては幸せすぎるほど幸せだ。もちろん、セシルもグランが愛おしい。
しかし、これが伴侶となりうる愛なのか、兄弟としての愛情なのか、正直言ってわからない。
半年後に、答えを出さねばならない。悶々としていたなか、カレンナが街へ引っ張り出してくれた。
街は、セシルが抱えていたものを、引きはがすように忘れさせてくれた。自由と活気に満ちていた。
より一層人垣ができている所を覗けば、男が、上を向き剣をくわえていた。
「あーっ、あの人、剣を飲みこんだっ! カレンナ、飲みこんだよっ!」
「お兄ちゃん、落ち着いて。あれは、芸なの。種があるの」
男が、数字を書いた大きな紙の前で声を張り上げた。
「さあ、さあ、寄った、寄った。大金持ちになれるよ。一万ダベが、十万ダベに。十万ダベが百万ダベに。簡単に金が増えて行くよ」
セシルは、目を見開いた。
「カレンナ、簡単に、ひゃ、百万ダベだって!」
「んなわけ、ないでしょ」
驚くセシルを尻目に、客が吸い寄せられるように集まり、数字の上に金を並べた。十分に揃った金を満足そうに眺めた男は、おもむろにルーレットを回した。
終わってみれば、粗方の金は同元の男の懐に納まり、客は、すごすごとその場を去って行った。
帝都は、怖い。騙し騙されることなど、毎日のように起こる。
広場には、茶房や食事処も隣接している。外にも席が用意され、日よけの下では客が気持ちよさそうに茶を飲んでいる。
二人は数件の露店をはしごし、茶房へ入った。ここは、カレンナの行きつけの店だ。
あちこち歩いて喉が渇いていたセシルは、出された水を一気に飲み干した。
「お兄ちゃん、他に見たい所ある?服とか、小物とか」
「……そうだな。えっと、本屋と種屋」
「あら、本なら、『豊饒の会堂』の図書室に大抵の本は揃ってるわよ。今度、案内してあげる」
「ありがとう。じゃあ、種屋で」
「渋すぎるけど、しょうがないわね」
種屋は、広場の端の方にある。周りには、苗木屋、肥料屋、農具屋が軒を連ねる。店に並べられたものは、あれもこれも欲しいものばかりで、セシルは目を輝かせた。
「お兄ちゃん。好きなもの買っていいのよ」
「う、うん」
セシルは、手に持った革袋を握りしめた。
何も知らされず、突然街へ行くことになったセシルは、一銭も持っていなかった。ディアンナは、「叔母が、甥に小遣いをあげるのは当然よ」と、遠慮するセシルに五万ダベの入った袋を押し付けた。
セシルは、思案していた。このお金は、無駄には使えない。有効に使わなければ。
実はさっき、誘惑に負けて、シュネーバルという菓子を買ってしまったけれど。あんまり美味しくて、お土産にグランと皇宮のみんなの分も買ったけれど。
ふと視線を回すと、店先に乾燥した草を置いた店があった。セシルの視線をカレンナも追った。
「あの辺りは、薬屋が集まってるの」
確かに言葉通り、薬草、薬用具などが並んでいる。
セシルは、引き寄せられるように薬屋の前に立った。懐かしい枯れ草の匂いがする。知ってる薬草もあった。知らない薬草もあった。
「聖職者様、どんな薬草をお探しで」
店の脇に立っていた薬屋のおやじは愛相よく話し掛け、毛深い手をもんだ。黒の民らしく、ガッチリとした体格だ。
セシルがしみじみと薬草を眺めていると、麦わら帽子を深くかぶった子どもが隣に並んだ。十歳くらいの男の子だ。
「おじさん、目に効く薬草をくれよ」
子供を目にした途端、おやじは顔をしかめた。
「なんだ、この前の坊主か。今日は、ちゃんと金持って来たんだろうな」
「うん。ほら」
小さな手に五百ダベ硬貨が一枚載っていた。その手は、擦り傷だらけで汚れている。この五百ダベのためにどれほど苦労したのか。セシルは、菓子を買った自分を恥じた。
薬屋は、「ふん」と一言いうと、小袋に薬を入れた。それを見ていた子供は、身を乗り出した。
「ちょっと待ってよ、おじさん。この前は、五百ダベで中袋の薬が買えるって、言ってたよな」
次の瞬間、麦わら帽子は、剥ぎ取られ、道端に転がった。
小さな体は、胸ぐらを掴まれ、宙吊りになっていた。
「てめぇ、色なしか」
あらわになった子供の髪も瞳も白だ。セシルと同じ白だ。
身を乗り出したとき、麦わら帽子の間から白い瞳がばれたのだ。
「このくそガキが、色なしに売る薬なんかねぇ」
毛深い手が、振り上げられた。セシルは、その手から子どもを奪い取るとカレンナに預けた。
「止めてください。白の民への差別は、禁じられています」
「聖職者様、綺麗ごと言ってんじゃありませんぜ。お上がなんて言おうと、小汚い色なしは色なしだ」
「なに言ってるのよ。色で差別するなんて」
カレンナが、子どもを庇いながら叫ぶ。
「いいからお嬢ちゃん、そのガキをよこすんだ。二度と、この辺をうろつかねえように、懲らしめなきゃなんねえ」
「懲らしめる?」
セシルが、言った。
「ああそうだ、聖職者様。色なしは、人じゃねえからな」
「人、じゃない?」
「その通りだ、聖職者様」
カレンナが、何か叫んでいる。広場の隅っこの騒ぎに、足を止める人も出て来た。
セシルは、何の躊躇もなく、叔母の用意した上等なローブを脱ぎ捨てた。
今日の帝都は、すこぶる天気がいい。
さらされた白い髪は、あふれる陽を受け煌めく。瞳は、怒りをおび白く輝く。
「てめぇも、色なしか!」
太く毛深い手が拳になり、力をためて襲いかかる。
思わずセシルは目を閉じた。体を固くした。
だが、身構えていた衝撃は、来ない。
恐る恐る目を開けた。
「……グ、グラン」
セシルに向けられた拳は、グランの手に掴まれていた。