第九話
※
応接室は冷凍庫みたいになっている。
キーゼルマン子爵は乾燥しいたけみたいに縮こまって、いったいこれからどんな恐ろしいことが起こるのかと戦々恐々としている。
「このように、犬ですとか帽子ですとかの形に穴が空いています。そこにぴったりとおさまるピースをはめていくパズルです」
フリンジ夫人は微動だにしないが、視線はテーブルの上に落としてくれている。
4つ目までを説明したとき、その薄紅の口がわずかに開く。
「これが、世界を変えるパズルと言うのですか」
「もう一つあります」
私は、用意していたものを取り出す。
それは正方形の枠の中に、十四枚の様々な形の木片が入っているパズル。これが私の取っておき。
世界最古のジグソーパズルは地図パズルであると言った。しかし、定義を拡張するなら、これこそ真に最古のジグソーパズルとすることもできる。
その名は、アルキメデスの小筥。
子爵は、わずかな会話の間にも耐えられないかのように質問する。
「これは、その、どういうパズルなのかね」
「はい、このピースを枠から外し、元通り正方形に収めるパズルです。木枠はなくても構いません」
ラインヴァル領でも作っていた知恵の板。あれは正方形を七つのピースに分けたもので、発祥は200年前の中国と言われる。
だけどアルキメデスの小筥は遥かに古い。その発祥はなんと2300年前、紀元前3世紀の古代ギリシャなのだ。
「正方形に収める以外にも遊び方があります。例えばこのように」
私はピースを取り外し、ちょいちょいと並べて形を整える。翼を広げた白鳥だ。
少し難しいものとして、槍を突き出す兵士、柱時計、練習してきたからすぐに作れる。
「おお……いや、これはなかなかお見事」
子爵もそう言ってくれる。声には素直な響きがあった。
これこそが私の取っておき、切り札の五番目のパズルだ。
「良いものなのは分かります」
フリンジ夫人の声が、時間を断ち切る刃物のように響く。発言の前と後で空気の密度が変わるかのようだ。
「しかし、世界を変える、とまで言えるでしょうか」
「変わります」
「なぜ」
「私」の世界で数百年、あるいは数千年受け継がれてきたパズルだ。それがある世界とない世界はまったく別物になっていてもおかしくない。そういう意味ではすでに世界は変化している。
だけど、そんなバタフライ・エフェクトの話がしたいわけじゃない。
肝心なのはこれが木工であること。太古の昔、誰かが一枚の板をこのように切った。それがジグソーパズルの始まりだからだ。
「お分かりになりますかフリンジ様。これら五つのパズルはすべて木工です。足踏み式の糸ノコを用いて、うちの職人さんが作ったものです」
「それが?」
「私は、これらの作り方と、糸ノコをセットで売ろうと考えています」
「な……」
夫人が目を見張り、ターコイズの瞳が意識される。
「これは女性の内職にもなるし、必要なものを自分で作るというDIY……つまり手作りの精神にも繋がります。ご婦人方は設計図さえあれば自分たちでジグソーパズルを作ることができる。あるいは図面すら自分たちで生み出すことができる。そして自分で作ったパズルを売ったり、木工の下請けを内職として行うこともできるんです」
これは現実にも起きたことだ。19世紀後半のアメリカ、ジグソーパズルはその歴史の中で、糸ノコによる主婦の内職、自家製パズルという形でブームが起きた。それは女性の社会進出という文脈でも語られる出来事なのだ。
「もし糸ノコとセットで売ることができるなら、これは産業構造や、世のご婦人方の暮らしにも影響を与える画期的なことです」
それこそが、つまり。
「人の生き方を変える、それが世界を変えるということです!」
私は少し上気している。自分の考えを心の中から取り出し、世の中に示すことは恐ろしく、勇気を振り絞る必要のあること。
私の胸にあった宝石はただの石かもしれない。竜を討つ宝剣はただの鉄くずかも知れない。そのアイデアは真か偽か、取り出してみなければ、世界に価値を問うてみなければ分からない。たとえ、「私」の世界の歴史だとしても、この世界も同じかどうかは、まだ誰にも――。
夫人はじっと固まっている。何かを考えているようでもあるし、動揺を見せまいと心の中の波風を抑えているようにも見える。
そして夫人の指が、絹の手袋をした細い指が目の下をなぞり、その視線は子爵へと向く。
「どうしました、気に入らないなら買わなければ良いでしょう」
「あ、いえ、ええと、もちろん買わせていただきます」
子爵はゼンマイを巻いたおもちゃのようにばたばたと動き、目の前にあったパズルを拾い集めて膝の上に置いた。あまり意味のない動作だけど、空気は動いた。
「もう良いでしょう。私は帰ります」
「あ、フリンジ様、私も表まで同行します」
別に止められはしない。また私がドアを開けて、静寂の満ちる回廊へ。
ここは教育機関のはずだけど人はいないのだろうか。なんだか夫人のいるところはいつも人けがないような気もする。
「ありがとうございました。無理を聞いていただいて」
「あなた、名前は」
夫人は足を止めずに私を見る。氷の剣のような眼差しだけど、だんだんと、その中にも表情があるのが分かってきた。これは私の顔を認識しようとしている目だ。
「キャルコット・ラインヴァルと申します。地方貴族の出です」
「ラインヴァル領。何もないところね。市場が少し賑わっていたことを覚えているけれど」
「お越しになられたことがあるのですか?」
「マキナーのあらゆる場所は訪れているわ」
そして正門へ、馬車は先ほどの場所から動いていない。
「ここまでで結構です」
「はい、せめて馬車のお見送りを」
夫人は、鋭角的な目の中で瞳を動かす。焦点が絞られたのが感じられた。そして口を開く。
「私には、あれが世界を変えるようには見えなかった」
う、冷たいお言葉。
「あなたの話を聞いた後でもそれは変わらない。第一、あれはあまりにも粗末で貧弱。ヒュデオン幼年院に売ろうと言うのなら、もっと見栄えを重視するべきではないのですか」
「そ、それは……そうです」
「あなたは木工を重視しているようですが、貴族を相手に売るなら陶器や金属製のほうがいいでしょう。少なくとも、私は手に取りたいとは思いません」
「はい……その、一応、丁寧にニスはかけたのですが。洗練という意味では、まだまだ課題であると……」
夫人はドレスの袖で口元を押さえるような構えになる。何となく、何かから身を守るような構えに見えた。
「あなたの言葉も浅薄。世の中をこのように変えたいと言うからには、せいぜい二手先、三手先の話をするべきでしょう。あなたの言うように世の中が、世のご婦人方が糸ノコを使って内職をするというのは、あまりに気宇壮大な絵空事にしか聞こえません」
「確かに……まだこれから、何段階もの成功を積み重ねないといけません」
改めて指摘されるとその通りだ。インパクトは与えられたけど、説得する相手が男爵ならもっと具体的な計画や数字を求められるはず。子爵があれを買ってくれたのは、結局はフリンジ夫人の威光に過ぎない。
「ですが、あなたが世界を変えうると思っている事に嘘はないようね」
夫人はそのように言う。
妙な感覚だった。見透かされているような、それと同時にまるで見当違いのことを言われているような。
夫人の認識と私の認識は三次元世界の2つの直線。どこまで行っても交わることはなく、互いに見えているものがまるで違う。
「カムもそうだった。昔から、私には分からないことばかり話す」
ふと、話が男爵へと向かう。私は少しどきりとする。
「そしてカムの言うように世界は変わりつつある。歯がゆいことね」
「カム男爵とは……昔からお知り合いなのですか」
「ヒュデオン寄宿学校の出ですよ。弟のレンチも同窓」
それは意外だった。ヒュデオン校は名門だけど、公爵家ともなればすべての教育は家庭教師によって行われると思っていた。
「社交というものよ。シュトラウフ家は武門であると同時に人脈を重んじている。だからヒュデオン校に来たの」
私の心を読むかのように言う。周りの人間が夫人の心を読み取ってかしづくと言われていたけど、夫人の側も、対峙する相手の心を読むことに長けているのかもしれない。
「あいつは在学中にすでに工場を仕切っていた。重工業や経済を学び、教官用書庫の本を片端から読んでいた。私は何度か話をしたけれど、あいつの言葉は……」
夫人は、はたと気づいたように私を見る。そして私の存在が意外であるような顔をする。独り言を言っていたのに、予期せぬ人間が聞いていたことに不快を示すかのような顔。
「帰ります。あなたはもう少し子爵と話を詰めてから戻りなさい」
「はい」
夫人は馬車に乗り込み、馬のいななきだけを残して帰っていく。私は馬車が見えなくなるまで見送った。
フリンジ・ギア・シュトラウフ夫人と、その弟、レンチ・シュトラウフ。
恐ろしかったり粗暴だったりする人たちだけど、それだけではないのかも知れない。人は複雑であり難解だ。あのお二人にだって、善性もあれば苦悩もあるのだろう。
「なるべくなら、仲良くやりたいんだけどな……」
※
あっという間に三週間が過ぎる。
結論から言えば、ラインヴァル社のパズルはよく売れた。
メインは地図パズルとアルキメデスの小筥。だけど木工品じゃなかった。金属を加工して金で装飾したもの。白磁の陶板で作ったもの。色ガラスをさらに切子で装飾したもの。色々な工夫で作った高級品である。
値段はなんと平均15万ギアール。ヒュデオン幼年院に売ったという話はすぐに工場街の噂となり、男爵の工場からも何人かの職人が声をかけてきた。彫金の職人とか革職人とか、私はその人たちにアルキメデスの小筥の見本を見せて、自分なりの技術で作ってみてほしいと頼んだ。その完成品をデパートなどに置かせてもらったのだ。
安定した商売というより、お金持ち向けの道楽品である。既製品に対する一点物のような感覚だろうか。
「晨、その綺麗なのってもしかして」
「おー、カルコ姉さん知ってるかー、螺鈿という技術だよー。田舎の親戚が晨に教えてくれたよー」
貝殻の真珠質の部分を薄切りにして貼っていく技法。螺鈿細工は見たことがあるけど、実に細緻な職人技だ。モザイク模様がどことなくジグソーパズルに通じるものがある。
男爵の工場には本当に多彩な技術者がいて、色々な技術で作られたアルキメデスの小筥は見てるだけで楽しい。天然ゴムを使ったものや、漆塗りに近いものまである。
そして、地図のジグソーパズルも再びデパートに置いてもらえた。
ヒュデオン幼年院からも一揃いで追加注文があった。キーゼルマン子爵がこのパズルを気に入ってくれたのか、もしかすると貴族が興味を持ってくれたのかも知れない。
目まぐるしい日々だった。私は自分でパズルも切ったし、朝から晩まで各地の商店を走り回って――。
「カルコさん、工場の建物できましたよ」
ある日、キリーからそのような報告を受ける。私は足踏み式の糸ノコでパズルを切っているところだった。
「もう動力は引いてますから、いつでも機械を置けます」
「そうなんだ。でも今は足踏み式の糸ノコがメインだからなあ」
「それならバール爺ちゃんが何とかすると思いますよ」
「え?」
キリーはそんなことより、と言って紙を渡す。受け取ってみると案内状と書いてある。
「建物ができたら、機械を入れる前に歯車祭をやるんですよ。晨の仕切りになってますけど、カルコさんも目を通してください」
そういえばそんなのもあった。まあ屋根の上からモチを撒くとかそんなんでしょ。
「大変ですよ。男爵も参加するって言ってますから」
「? 男爵が参加すると何か変わるの?」
「死人が出てもおかしくないかと」
えっ。
「……冗談でしょ?」
「……」
「えっ、ちょっ、冗談よね? 何が起きるの?」
「……」
「いやちょっとそこで黙んないでくれる!? マジで何が起きるって言うのよ!」
「……うく」
「ちょっと笑いこらえてんじゃないわよ!」




