第六話
※
剛力歯車というものがある。
ギアラットの工場街では蒸気の力を歯車に変換するけど、その一番最初、力の起点になる歯車をそう呼ぶのだ。これは「死の契約よりも硬く、生命の尊さよりも高価である」と表現される。
そして剛力歯車から動力を分けてもらい、自分の工場に引っ張ってくるための儀式を歯車祭と言うのだ。
なんでも宗教的な儀式を行い、大量の料理が振る舞われるらしい。付近の工場から、男爵の会社と関係ない人まで大勢集まってのお祭りになるそうだ。
私はキリーと晨を連れて剛力歯車を見に行く。高熱の蒸気を噴き出す炉があって、その真上に王冠のように歯車が乗っている。
「思ったよりゆっくり動くんだね」
「そうだよー、でもちょーパワフルだよー」
晨はどこか惚れ惚れした様子でそれを見ている。
「このパワフルさ、ぜんぶ独り占めできたら大金持ちだよー」
「その感覚わかんないなあ」
速度は時計の秒針よりやや遅いぐらいだろうか。直径は4メートル、厚みは1メートルほどの金色の歯車である。真上から見て時計回りに回転している。
表面はつやつやと照り輝いて、そこに大小さまざまな歯車が連結している。家の屋根ほども大きなものは男爵の造船工場に繋がる歯車。それは神殿の柱みたいなカムシャフトに連結している。
「でも不思議だね。なんで歯車なんだろう。それぞれの工場でガス釜とか持てばいいのに」
「そりゃ効率ですね」
キリーが二眼レフカメラで撮影しながら言う。私の工場に動力を引くための下調べだ。
「動力ってのは一箇所で生産したほうが効率がいいんすよ。剛力歯車もでっかいのを一つ作るほうが低コストなんです。何しろ作るたびに皇灰融炉を使い捨てっすからね」
「糸ガラスを燃やす特別な炉だっけ……」
キャルコット・ラインヴァルも通り一遍の学問は修めてるけど、貴族の子女だし工業の知識はほとんどない。
そのため、この世界の技術と「私」の記憶とのせめぎ合いがより際立つ。この世界は技術の歴史だけじゃなく、「私」の世界にはなかった素材とか、物理法則があるみたいだ。
「ねえ、ところであの歯車はどうやって回してるの? 下にあるのってコークス炉よね?」
「剛力歯車は熱すると回るんすよ。およそ1200度に達すると自然に時計回りの回転力が生まれるんです」
「自然に? なんで?」
「学者さんの言うには、剛力歯車が特別なのではなく、私らが制動を受けてるんだそうです。私らは大地とか空気とか、様々なものに影響を受けて回転力を封じられてて、高温状態の剛力歯車はその軛から解放されている。その回転力は星の回転と連動しているんだとか」
「この星と同じ力で回ってるってこと?」
「そうです。回転している剛力歯車を止めることは不可能とされてます。厳密に言えば動力を取り出していけばいつかは止まるんでしょうけど、人間が奪うエネルギーなんて微々たるもんです。この星が月との潮汐力で奪われる力の何百万分の一って感じですよ、特に問題はないですね」
キリーはちょっと早口になってる気がする。うーん。男の子だったらロマンに燃える話なのかな。すごい技術な気はするんだけど、私はあまりピンと来ない。
「カルコ社長、歯車祭には200人ぐらい見とこーよー」
「その社長ってのやめて、カルコでいいわよ」
私も歯車祭を見たことはない。地鎮祭みたいなものかな? とりあえず振る舞いの食べ物とお酒があればいいらしいけど。
「振る舞いについては……今は節約したいんだけど」
「だめだよー、うちみたいな新参者は周りの工場と仲良くやらないとねー、むしろ贅沢にやるべきだよー」
「ううん……しょうがないな、じゃあ晨に任せるから」
工場ができるまで一ヶ月だそうだ。これはかなり早いと言える。すでに予定の土地には足場が組まれて、資材と職人も手配されている。とりあえず建物を作ってから内部の機械のレイアウトを決めていく、即断即決な男爵らしい建築である。
キリーがフィルムを巻き上げながら口を開く。
「で、カルコさん、ジグソーパズルを改良していくんでしょ。爺ちゃんが金型の改良案があるって言ってましたよ」
「そうね……できることからやっていかないと」
一ヶ月経てば工場ができる。
二ヶ月も経てばラインはもう止まることはない。全速力でジグソーパズルを作り、あちこちの街に売りに行く。
でも、販路がまるで確保できてない、作っても置いてくれる店がないのだ。営業するにしても一ヶ月でどれだけやれるだろう。
ラインが動き出せば人を雇わなきゃいけない、その人たちにお給料を払わないと、そして黒字を出して男爵に見せないと。
会社の立ち上げとは剛力歯車に似ている。一度すべてを噛ませれば、もう歯車を外すことは容易じゃない。
準備が十分にできていなければ、力が末端まで届いていなければどうなるのだろう? 中央の歯車はそんな事情など無視して回転し、噛み合ったすべての歯車を砕いて、カムシャフトをねじ曲げて、ワイヤーが巻き取られてすべてをなぎ倒していく。
後に残るのは荒廃した大地だけ、ぞっとしない想像だった。
「売れるものを作らないと……。みんなの生活を支えられるような……」
※
深夜に目が覚める。
どうも眠れない。何かをやらないと、という焦りが募っているのだ。私は自分の部屋を抜け出して廊下へ出る。
壁に取り付けてあった燭台を外す。先端には白熱電球みたいなガラス管がついており、底面には歯車がついてて、サイドボードの上で転がすと内部に灯がともる。
ぱちぱちと線香花火が爆ぜるみたいな光がガラスの中で踊っている。ガスを発生させる鉱石が入れてあるらしいけど、理屈はよく知らない。
私は地下の書庫に向かう。あそこには貴重な画集なんかもあったはずだ。図案のヒントになるかもしれない。
シュトラウフ邸は森に囲まれていて静かだけど、こんな深夜にはその森も静かになる。そして木々の葉擦れの向こうから、工場の低い駆動音が流れてくる。遠い波のように。
ギアラッドの工場には24時間操業しているものもあるし、そうでなくても剛力歯車は半永久的に動いているのだ。その力強さ、街に注ぎ込まれる回転力を想う。
「……?」
下り階段の奥、書庫の方から光が漏れている。
男爵だろうか。私がぎいと扉を開けると、やや天井が低い印象の地下書庫と、いくつかの閲覧席が見える。そこに大柄な人物が。
「あ……レンチ様」
熊のように大きく体毛が濃い、火花の明かりで古傷が赤く浮かび上がる。
レンチ・シュトラウフ様はむすっとした顔で本を読んでいたが、私が入ってきたことに気づいて視線を向ける。
「なんだお前は」
「いえ、その、ちょっと読みたい本がありまして」
「ち、まあいい、ここは片付けておけ」
がたんと立ち上がる。その一瞬、大きな影が伸び上がるような気がして後じさる。私がさっと横によけたところで、レンチ様の巨体が扉を抜けて出ていく。
かと思ったら、ふと立ち止まって私を見る。
「また新しく工場ができるらしいな。工場長は女だそうだが、お前か」
「ええと、はい、そうです」
「名前を聞いておこうか」
「キャルコット・ラインヴァルです。地方貴族の出でございます」
「ラインヴァル領か、何もないところだな、林業と陶業があるぐらいか」
「よくご存知ですね」
「ふん、シュトラウフ家の者が知らん領地などあるものか。この国の興りから守護の役を負っていた武門の家だぞ」
そして階段をぎしぎしと登って去っていく。
貴族の基準というのは時代や場所によるけど、この国では地主階級や騎士を含めるので、総数はかなりの数になる。
ラインヴァル家は伝統はあるけど爵位は持ってない。田舎の領主、日本風にいうなら庄屋だろうか。穏やかな片田舎を穏当に守ってきた家なのだ。
ラインヴァル領ぐらいの規模の領地は国内に百以上あるので、それを把握しているなら大したものだと思う。さすがは公爵家の一員だろうか。
「……男爵には悩みの種らしいけど、できれば摩擦のないようにしたいなあ」
とりあえず弟様の読んでた本を片付けないと、けっこういろいろ散らばってる。
ええとこれは、重工業の本、鉱山開発についての本、法律の本、それと地図がいくつか。この国の地図と周辺諸国の地図、詳細な地形図もあって、オッカム領のページが開かれていた。
「そっか、金鉱山の役員になるんだよね。勉強されてるならご立派な……」
ん。
何だろう。何かが気になる。
どれに違和感を覚えたんだろう、わからない、私はそれらの本を見直す。
「技術の本、法律の本、それと地図……地図?」
天啓。
それは空からではなく地の底から来た。星の回転を受け取るという剛力歯車のように、私の体を貫くひらめき。
「地図……! そうか、地図だ!」
なぜ気づかなかったんだろう。私は、この世界でジグソーパズル260年の歩みを駆け抜けようとしていたのに、なぜいきなりゴールを提示しようとしたんだろう。
私はジグソーパズルと同じ歴史を走らなければいけなかった。少なくとも、スタート地点は同じであるべきだったのだ。
翌朝、私は日が昇ると同時に屋敷を飛び出して、ギアラッド東方の問屋街へ。
そして出勤時刻には工場の建設予定地へ。そこには仮屋が建てられていて、工事の指揮をする監督所と、仮のオフィスも作られている。バールさんが平鉢に水を張って、ジグソーパズルを切る金型を研いでいた。
私を見たバールさんは少し驚いたようだ。私が大型のリアカーを引いていたから。
「カルコさん、何事かな」
「バールさん! あなた木工できる!?」
「木工? もちろん、ひと通りのことはできるつもりだが」
「これを作ってほしいの!」
昨日、深夜のうちに書き上げた図案である。木の枠組みに、この国を含む周辺諸国の地図が描かれ、そのうちの一つがピースとして取り外せる様子が示されている。
「ほお……これは地図だな。なるほど、地図をジグソーパズルにするわけですか」
そう、ジグソーパズルの歴史は地図から始まっている。
最初は幼児教育の教材だった。地図にハマっている国をバラバラにして、どの国がどこに収まるかを考える。正しく組み上げていくうちに、子供は地図を覚えられる。
18世紀に存在した、地図職人であり彫刻職人のジョン・スピルズベリー。彼が作ったのはヨーロッパの国をバラバラにしたパズル。それこそが最初のジグソーパズル。
バールさんは私の図案をしげしげと眺めている。何か感じるものがあるのか、豊かなあごひげを何度も撫でていた。
「なるほど……これを量産するわけだな。うむ、これは売れそうだ。さっそく木材を手配しよう」
「いいえ!」
地図のジグソーパズルは売れるかもしれない。少なくとも紙製の1000ピースパズルより遥かに取っつきやすいだろう。
「私たちはジグソーパズルを売るんじゃない!」
私は260年の歴史を数年で駆け抜ける。
新しくできる巨大な工場は、そのために使う。
「世界を変えるのよ! バールさん!」




