第四話
「男爵様、こういうものを想像してみてください、全体がチェックに塗り分けられたボードゲームです」
この世界にチェスはないが、チェスだと分かりやすいだろう。あるいは将棋盤をチェックに塗り分けてもいい。
「ある駒は斜めにだけ動けます。その駒を黒のマスから動かし始めて、白のマスへ移動させることはできますか?」
「それは……それはできない。どう動かしても必ず黒のマスにしかたどり着けない」
これは盤面を大きくしたり、長方形にしてみても変わらない。
私は指を振りつつ言った。
「偶奇性というものです」
「偶奇性?」
「そうです。斜めに動ける駒というのはひとマスだけ移動したように見えても、実は横に一つ、縦に一つ動いています。どのように移動しても、実は2の倍数だけ動いているんです」
「……なるほど、確かにそうだ」
「このパズルも同じです。例えばここ、7のパネルの横が空白になっています。ここで7を横にスライドさせると何が起きますか?」
「……! そうか、わかったぞ! 7を動かすと同時に空白のパネルも動いている! このパズルは、一手で必ずニ枚のパネルが動いているとも言えるのだ!」
びっくりするほど理解が早い、さすが男爵。私なんかこれ理解するのに一日かかったのに。
「この15パズル、実は偶数の状態と奇数の状態が存在します。偶数の状態では、何をどう動かしても決して奇数の状態にならないんです」
もしこのパズルを売っているのを見かけたら、袋の注意書きを読んでみるといいだろう。こう書いてあるはずだ。「パネルを台座から取り外してバラバラにした場合、完成させられない場合があります」と。
「……ということは、これは最初から完成不可能なのか」
「いいえ!」
完成させられないパズルほど退屈なものはない。男爵の貴重な時間をそんなイタズラには使えない。
私はパズルの外枠を撫でる。そこに描かれた一軒の家。おそらく牧童が住まうささやかな家と、その横に羊小屋が一つ。
そして気づいただろうか。このパズル、1のパネルだけがほんの少し薄くなっていることを。
私はパネルを動かし、その1のパネルを家に、すっと収める。
「おお!」
セオリーどおり上の列から組んでいては見つけられない。なにせこの隙間に入れられるのは薄い1のパネルだけなのだ。
パネルが二枚消えた場合、偶奇性を変えることができる。実際にはパズルが解ける状態になってるか見極めてから戻すので少し難しいが、私はてきぱきとパネルをスライドさせ、見事に羊たちを並べ終えた。
「というわけです」
「なるほど……」
男爵は何やらじっと考えている。私は男爵もたまには家でゆっくり休んでほしい、みたいなメッセージを込めてみたのだが、伝わっただろうか。
「2つのパネル……。なるほど、妻とレンチだな。小手先であの二人を動かしても解決に至らない。もっと大枠で手を打つべき、そう言いたいのか」
間。
「ええと、ええ、そうです」
「確かにその通りだ。俺は会社同士の繋がりを乱したくないがために、影響の小さい会社ばかりあてがっていた。だがそれではダメだな、もっと大きな変化を……」
何やら納得してしまっている、まあ上手く行ったならいいか。
その翌日。工場を建てろと言われた。
「工場ですか!?」
「なんだ、それが願いだったのではないのか」
男爵、いや工場にいるから社長か。彼はノリのきいたシャツを着こなして言う。
「すべてをグループに収めようとしてたのが間違っていた。各部の連動といえば優れたことに聞こえるが、そのために思い切った手が打てない状態だったのだ。あの二人はオッカムの金鉱山に会社を興させて、グループが毒されないように切り離した扱いにする」
社長はにやりと笑い、そして手近な鉄の柱を指で叩く。
「そしてカルコの工場もだ。自由にやりたいのだろう? 出資するから工場の規模と人員はカルコの裁量でやるといい」
「わ、わかりました」
私が工場を建てる。いや、当然そうなるんだけど、改めて言われると緊張してきた。人を雇って、小売店に営業して、王都に税金も納めていく、今さらながらそんなことが実感として意識される。
「それよりジグソーパズルの完成品はいつできる」
「あ、はい、金型と図案はできてますから、試作品なら今日にでも」
「よし、持って来い。今日は会食で遅くなるが、深夜でも構わん」
何やら夢の中のようである。すべてが一日二日の間で目まぐるしく動き、私は工場を持てるようになった。
何だか体が軽い、私だけでなくカルコも喜んでいるのだろうか。私は夜半、そっと部屋を出て男爵の書斎へ。
「来たか」
男爵はゆったりとした部屋着である。書き物をしていた手を止めて私を見る。
そして私はパズルを取り出す。王道は1000ピースだが、男爵は初心者だし150ピースがいいだろう。
「何だこれは、うちの工場か?」
最初の図案を何にするかずいぶん悩んだ。定番なら城だし、山とか花とか猫も悪くない。ジグソーの歴史に名を残す大ヒット、「恋人たちのパリ」のようなカップルの写真も捨てがたい。
だが、私はこの工場にした。この世界に工場萌えがあるのか知らないが、大きくて立派な工場は絵になった。それに男爵と最初に出会った場所だし。
ちなみに印刷は多色刷りのリトグラフである。低コストで9色まで乗せられて、ほとんど元の写真と変わらない。
「まず外枠をより分けて、次に同じ色のピースを集めていくんです」
「ふむ、まあどう組んでもいいのだろう?」
男爵は私の助言を無視して、手に取ったピースをそれっぽい場所にどんどん置いていく。
やや酸化して赤くなった鉄材、いくつも突き出した煙突、造船用の大型クレーン、誰かが世話をしている鉢植え。
なんというスピードだろうか、まったく可愛げがない。
だが私は胸が熱くなるのを感じた。これはたぶん達成感だ。カルコもようやくここまで来たと喜んでるのだろう。
「ふむ……面白いといえば面白いが……これをずっと続けるのか?」
「そんなドカンと面白いものじゃありませんよ」
それに、と私は指を立てて言う。
「ジグソーパズルを必要とする人には2種類います。一つは暇を持て余してる人。もう一つは毎日忙しくて、気の休まる暇もない人です」
「……ほう」
実際、欧米では高給取りのビジネスマンなどにも愛好家は多い。
ジグソーパズルの刺激は、言ってみれば人間にとって丁度いい強さ。弱すぎず強すぎず、退屈な人には興奮を、忙しい人には安らぎを与えてくれる。私はそんな話をする。
「なるほど、そうか、わかるぞ」
男爵も理解してくれたようだ。その節くれだっているけど長い指は器用さと力強さを兼ね備える。それが次々とピースをはめ込んでいく。
「あ、男爵、そのピースはですね、形状に工夫を」
指摘しようと乗り出した瞬間。ぐいと頭を抱かれる。
「え」
「すまなかった、カルコ」
すごい強さ。しかも何だろう、心臓が全速力で動き出した。どういうこと?
「心配をかけていたな。お前はずっと、俺のことを思っていてくれた。こうしてジグソーパズルを前にして、それがよくわかった」
「……ありがとう、ございます」
あれ、なんか口が勝手に動いた。
完全に無意識に出てきた言葉だ。今のってもしかして、本来のカルコの言葉?
え、ちょっと待って。男爵の腕ってカチカチ。万力みたいな力が出てる。ぐいぐい引き込まれる。抵抗しようにも体に力が入らない。
え、あれ、もしかして。
……今までも、そうなの?
そういえば何かおかしかった。カム男爵に関わる場面で、意味不明に体が熱くなったり、鼓動が早まる場面があった。
そうだ! それは最初、社長にあのコートをかけてもらった時から!
社長は私をますます激しく抱き寄せて、そして形のよい鼻とか、乾いているけど流麗な形の口元が見えて。
ちょっと待ってカルコそれはヤバいって!
ほとんど愛情なさそうだったけどシュトラウフ夫人と結婚されてるのよ! 私は田舎貴族だし! まだ小娘だし!
そして熱い繋がりが。
私は脳が煮えそうになる。何も考えられなくなる。今この時間、屋敷にご夫人がいるのかどうかも気にならなくなる。指先にまで熱い血がみなぎるような高揚が。
そうだ、おかしいと思うべきだった。
なぜ私は試作品の図案を工場にした?
なぜ弱っていた社長を見て15パズルを用意した?
そうだ、没落した田舎貴族とはいえ、私は成人したばかりの娘。
なぜこの邸宅に住むことを受け入れたのか。
そして男爵もだ! なぜ男爵は私をこの家に! そしてジグソーパズルに協力を!
……。
ええい! どうにでもなれ!
どうせ「私」は前世の記憶。人生の主導権はカルコにある。
それに、男爵のこのたくましい腕、厚い胸板、理知的ながらも野性味を秘めた眼には、私の人生など一呑みにするほどの力がある。
これから何が起きるのだろう。
私はたぶん仕事に明け暮れるようになって。
男爵はご夫人とその弟君の問題に立ち向かって。
田舎貴族のカルコはきっと大変な泥沼に迷い込んで、それでもきっと幸せで。
そして世界には、ジグソーパズルが与えられる。
……それなら、まあいいか。
今はただ、流れに身を任せよう。
近代化していくこの世界に、あるいはカルコという肉体が持っていた情熱に。
そして私というパズルを解こうとする、男爵の熱い指先に……。
※
※
※
そして、いくつかの夜と、朝を越えて。
私はまだ体が熱くなっている。芯までこんがり焼かれた魚の気分。それがなかなか抜けない。
まあ男爵との一夜の交わりだけじゃなくて、仕事に燃えてたせいでもある。今日も工場で社員と顔を突き合わせつつ、新しく作る工場について検討していた。
「キャルコットさん、予算はいくら出るんですかい」
「とりあえず初週の売り上げを見て考えるって男爵が言ってた。ギアラッドのいくつかのお店に置かせてもらってるから、今日ぐらいに結果が出るはず」
さあ、本当に大変なのはこれからだ。
かつてのジグソーパズルブームは凄かったと聞いてる。あのモノポリーで知られるマテル社をはじめ、世界中に数千のメーカーが乱立し、数え切れないほどの工員が24時間体制でジグソーパズルを切りまくったらしい。
ギアラッドは数十万の人口を抱える大都市だ。しかも他の都市や、外国に輸出することも考えないと。経営の勉強だってしなくちゃいけないし、広報についても自分たちでポスターとか、あるいは専門誌とか作ったりして。
「カルコさん、ここにおられますか」
社員の一人がやってきた。工場の青写真を見ていた私は、ルーペを外して振り返る。
「初週の売り上げ出たの!?」
「はい出ました。暫定値ですが」
社員さんはいくつかの書類を広げる。数字で埋め尽くされた書類で私には分からない。
「ホルストンデパート、バーグニーキッズハウス、アード商会とトトカラニ商店街ほか、ジグソーパズルを置いてました24の店舗の売り上げ集計です、この12日間での売り上げは」
「うん」
「3個ですね」




