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第三話

そんなある日のこと。


「まあ、誰なのお前は。私の街宅(タウンハウス)で何をしているの」


カム社長の奥様に出会ったのはその頃だった。食堂のテーブルに広げていたのはいくつかの図案。ギアラッド周辺の風景を写真に収め、薄い紙に印刷したものだ。


奥様は城塞のように重厚なロングドレス。つぶ貝のように髪を高く結い上げて、宝石で飾られた手袋で口元を隠している。大きめのコサージュが行列しているのは実に華々しいけど、主役の座を譲らないという意志の表れにも見える。


顔立ちは美人だが、どことなく鋭角的な印象がある。強い拒絶の気配がある目つきとか。何かを噛み潰すかのように引き結んだ口とか。


私は右目のルーペを外して深々と礼をする。


「カルコと申します。カム社長の奥様でございますね。カム社長には事業のことでご助力を頂いており」

「事業? 事業ですって? あいつはまた私に黙って何か始めてるのね」

「姉さん、落ち着きなよ」


奥様の後ろから出てくるのは、もっさりとあごひげを生やした大男。背丈はカム社長とほぼ同じだが、こちらはとにかく筋肉の塊、短袖のシャツに軍用の黒いズボンという姿である。

腕には古傷が無数にあり、歴戦の兵士という風情だ。熊のような毛深さのせいで、ぱっと見では山賊とかに見えるけど。


「お嬢さん、なぜこの家に?」


物腰はそれなりに穏やかだった。私は正対して答える。


「ええと、少し前から社長に雇っていただいておりまして、この屋敷の客間を世話していただいて……」

「ち、なんだ社員か」


露骨な舌打ち。私が何者か分かるまで慇懃にしていただけか。


「ふざけた男だ。俺に断りもなく人を雇う。部屋を与える。この家の財産は自分のものだと言いたげじゃないか、なあ」


同意を求めてるのか何なのか、のしかかるように声を投げる。私は何も言わない。


そこで思い出した。カム男爵の奥様には弟がいて、名前はたしかレンチ。社員として名を連ねてるはずだが、工場で見たことはない。


「まあいいさ、どうせあいつに家は渡さん。せいぜい肥え太るがいい」


レンチ様はそう言って、私の見ていた図案にバンと手を置き、ぐしゃりと握りつぶす。


「あ」

「あの赤髪に伝えとけ。俺をオッカムの金鉱山の役員にしろってな」


そして部屋を出ていく。奥様の方も私に露骨な顔を向ける。なるほどこれが汚いものを見る目か、一発で理解できた。


「ああ嫌だ。この家は我がシュトラウフ家代々の邸宅ですのよ。そこに商売っ気を持ち込むなど汚らわしいこと。歯車のきしみですら聞きたくないのに」


奥様は私から何か臭うとでも言いたげに、顔を背けて立ち去ってしまう。


そう、シュトラウフ公爵令嬢。今は結婚なされたのでフリンジ夫人。

押しも押されもせぬこの国で最高の家格の一つ。二桁ながら王位継承権の序列まで持つ名家だ。


その夫である男爵はええと、王位継承権14位とかになるのだ。


「帰っていたか」


入れ替わりに現れるのはカム男爵。彼はコートを侍従に預けると、私の広げていた図案を見る。


「なぜ皺が寄っているんだ?」

「ちょっとしたトラブルです」


なぜ公爵令嬢である夫人がカム男爵と結婚したのか?

語れば長い話らしいが、つまりは経済的事情である。


シュトラウフ家は近代化していく時代についていけなかった。むしろ投資で多数の失敗を出し、没落しかけていたのだ。

十年前の戦争では戦時経済に乗じて多数の投資を行った、だがその大半が失敗したらしい。折り悪しく先代の公爵が病没したこともあり、何もかも上手くいかなくなって、とてつもない額の負債を抱えたのだ。


だがそこは公爵家というべきか、広大な領地に多数の鉱山を持っていた。その採掘権をカム男爵が莫大な額で買ったのだ。


だけど鉱山とは領地そのもの。複雑ないざこざがあって、カム男爵がシュトラウフ家に婿入りすることで手を打ったらしい。巷では経済結婚だとか領地の売買だとか色々言われている。


ではカム社長は公爵になるのか。そこがどうも曖昧である。


爵位のあり方については国や時代によって色々だけど、この国では長子優先。原則として長子が相続し、男性女性は問わないが、結婚すると自動的に爵位が夫に移る。だから結婚した時点でカム男爵はカム公爵となるはず。


でも、そうなってない。棚上げ状態なのである。本来そんなことあり得ないんだけど、シュトラウフ家の力と言うべきか、かなりの横車が通っている状態のようだ。


私の目から見ても社長がシュトラウフ家から冷遇されているのは明らかだった。だけど経済の実権を握っているのは男爵、この家に渦巻く力関係は複雑深遠である。


そこへさらに夫人の弟まで加われば、その複雑さはまさに知恵の輪のごとくだろうか。


フリンジ・ギア・シュトラウフ夫人と、その弟レンチ・シュトラウフ。


街の噂で聞いている、この二人が男爵の悩みの種なのだと。


「先ほど、奥様がおられましたよ、弟様も」

「そうか」

「ええと、弟様のほうが、俺をオッカムの金鉱山の役員にしろとか」

「そうか、わかった」


淡白な受け答えだ。あまり二人のことを考えたくないというのがにじみ出ている。


だが抑えきれるものでもないらしい、ごく短いため息が漏れた。私はそのタイミングで話しかける。


「何か心配なことでも」

「先月、製材会社がひとつ買収された。その前は金属加工会社が潰れた。あの二人の放漫経営のためだ」


心のなかに堰(せ)き止めてたものがあったのか、語りだすと言葉が湧き出てくる。いかにずさんな経営をしていたか、社員に苛烈に当たっていたか、などの話だ。

フリンジ公爵夫人は経営実態をほとんど把握しないままに事業を行い、弟のレンチ様は従わない社員を罵倒して辞めさせてしまうらしい。


「俺はな、歯車(ピース)こそ世界の基本だと思っている」


男爵がワイシャツのカフスボタンを外す。それは貝ボタンであり、歯車の図案が彫られている。


「一つ一つの歯車(はぐるま)が上質なら、それが使われた機械の質も高くなる。機械の質が高くなればそれが加工する小麦や木材の質も高くなる。俺の工場は大きなものを作っているが、同時に多くの歯車工場を傘下にしている。歯車の質を一定に保つためだ」


壁に視線を向ける。私もそちらを見ると、男爵の会社で作られた大型船の写真が飾られていた。


「この大型船も無数の部品の集まりだ。そして大型船とは、世界経済を動かすための歯車に過ぎない。わかるか。製品(ピース)はより小さな歯車(ピース)から出来ている。そして部品(ピース)を集めて作られた機械も、もっと大きな何かを作るための道具(ピース)に過ぎないんだ。この世に単独で完結するものはない。すべては一部(ピース)なんだ」

「な……なるほど」


そうとしか言えない、私みたいな小娘には難しすぎる話だ。


「だが、あの二人はどこに行ってもろくなことにならない……どこでも支配者のようにふるまう。この国の王ですら、真の意味での支配者ではないのに……」

「……」


どくん、と、胸が拍動する。

その変化に私は戸惑う。え、なに? 今そんな興奮する要素あった?


これはカルコの本来の感覚だろうか。もしかして今、何か気づいたの?


男爵には少し疲れが見える。今日も工場でたっぷりと仕事を片付けてきたのだろう。彼はいつも精力的であり、いつも限界まで張りつめている。


なるほど、いま彼は弱っている。

ジグソーパズルに割いてもらっている予算はまだまだ少なく、工場内に家庭内手工業(マニファクチュア)を組んでるような状況だ。


本来はジグソーパズル専門の工場をどーんと建ててもらいたい。

そのために今がチャンスということか。


今、私をより一層売り込むチャンスと、そういうことなのねカルコ。


「カム男爵」


私が親しみの響きを込めて呼んだからか、彼は意外そうな顔でこちらを向く。


「どうした」

「カム男爵は15パズルというものをご存知ですか? スライドパズルとも言いますが」

「15パズル? いや、聞いたことはないな……」


そうだろう、私が認識できるこの世界の知識にもない。どうもこの世界はパズル全般の進化が遅れてるようだ。


「ぜひお目にかけたいんです。作ってきますね」

「う、うむ……」


その翌日。


私は工場の中でも木工が得意な職人に声をかけ、やや大きめ、縦横60センチほどのサイズでそれを製作する。ささくれが刺さらないよう私が紙やすりをかけて、塗装もきっちり三度塗りである。工場にある熱風乾燥機に入れると塗装もすぐに乾く。


そして完成。それは牧場を見下ろした図だ。

枠組みの中に1から15までの数字が描かれたパネル。外縁部は森とか家とかも描かれている。パネルはよく見れば羊が並んで数字の形になっている。


そしてまたお屋敷にて、夕食を終えた男爵にそれを見せる。


「これが……15パズルか?」

「そうです」


私は左下、羊のいないパネルを取り外す。全体が60センチ四方であり、パネル一枚の大きさは10センチ四方ある。つまり外縁部も10センチ、パネルとほぼ同じ太さがある。

私は猫を撫でるように丁寧にパネルを動かす。


「これを元通りに並べられますか?」

「ふむ」


男爵は少し考え、そして手早くパネルを動かしていく。

無骨な指ながら確実な動き、目まぐるしくパネルが動いて、まず1234の上一列が埋まる。セオリー通りだ、さすが社長。

そしてほとんど引っかかることもなくパズルが完成、一分弱というところか。


「簡単すぎるな。パズルというより作業に近い。最小手数を求めよと言われれば大変だが」


男爵はまず端から揃えていくという方針だけ決めて、迷いなくガンガン動かしていく。やはりそういうタイプだ。ジグソーパズルにも向いてるタイプ。


「では男爵、少し後ろを向いててください」

「? いいだろう」


後ろを向く。うなじの生え際が炎が燃え上がるかのようだ。私はパネルを並べ替える。


「さ、もういいですよ、また組んでみてください」


男爵は振り向く。見たところは先ほどと同じ、バラバラになっただけのパネルである。


「……何が違うんだ?」

「いいからいいから」


男爵はけげんな顔でまた手を動かす。

そして、最後の数枚というところで。


「……なぜだ? 組み上がらない」


男爵は一度周囲のパネルを組み替えてみたり、大きく迂回させるようにスライドさせたり、一度完全にバラバラにして仕切り直そうとしたりしてみた、だがいずれも失敗。


「どういうことだ……?」


私はにこりと笑う。悩んでたり困ってたりする男爵には可愛らしさがあった。それが意外なような割と似合うような、不思議な感覚だった。


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