45 剣の合格、新しい部屋
――ノエルの視点――
剣術学校の入試当日。王都の練兵場に足を踏み入れた瞬間、思っていたよりずっと殺伐とした空気に迎えられた。
木剣がぶつかる乾いた音、審査官の淡々とした声、受験生同士が互いを測るような視線。レイフ村の鍛錬場とは、空気の密度からしてまるで違う。それでも、怖じ気づくつもりはなかった。毎日欠かさず振り続けてきた剣が、こんなところで裏切るはずがない。
剣術学校の入試は、時期の決まっている魔法学園と違い、年に何度か機会が設けられている。アレンたちの受験からはもうしばらく経っていたけれど、旅費の工面や父の勤務の都合もあって、私の番はこの時期になった。今更どうこう言っても仕方のないことだった。
「次、ノエル」
名前を呼ばれた瞬間、体がわずかに強張った。父はこの街で騎士として名を売っている。その娘だと知られれば、実力より先に色眼鏡で見られかねない。だからこそ、審査官の前では、それを意識させない立ち回りに徹したかった。
対戦相手は、身なりの良い、いかにも貴族の子弟らしい少年だった。剣筋は綺麗だが、型に忠実すぎる。長年、実戦形式の稽古を積んできた身には、読みにくい相手ではなかった。教本通りの間合いしか使ってこない相手に、型を崩す動きをぶつければ、隙などいくらでも見えてくる。
一合目で相手の呼吸を測り、二合目で誘いをかけた。踏み込んでくる剣先を見切った瞬間、頭の中から余計な力が抜けていくのが分かった。
三合目、相手の剣を弾き、切っ先を喉元で止める。
「――そこまで。ノエルの勝ち」
判定の声を聞いた瞬間、体から力が抜けた。勝った実感よりも、これでようやく次に進めるという安堵の方が大きかった。
面接では、志望動機を聞かれた。
「王都で、名の知れた騎士になりたいです。父が、ここで騎士をしているので」
型通りの答えだったが、噓ではない。それだけでは言い尽くせない気持ちがあることも、自分では分かっていた。剣を握る理由の半分は、父の背中を追いかけること。残りの半分は――幼馴染に、まだ胸を張れていない自分への、ちょっとした意地のようなものだった。
結果を待つ数日は、剣を振っている時よりよほど落ち着かなかった。手紙にはいつも通りの調子で近況を書いて送ったが、返事を待つ間、アレンの受験の時もこんな気持ちだったのだろうかと、柄にもなく考えたりもした。
合格の知らせが届いたのは、それから数日後のことだった。母は涙ぐみながら喜び、私はそれを少し照れくさく思いながら受け止めた。
王都に着いたら、まずどこに身を寄せるか。答えはとうに決めていた。アレンのところだ。口実なら、いくらでも用意できる。前に会った時のフィリア先生の印象だって、悪くはなかった。それでも本当のところは、ただアレンの近くに行きたかった、それだけだったのかもしれない。
王都へ発つ朝、母は荷物を何度も確かめながら、同じ言葉を繰り返した。
「くれぐれも、無理はしないこと。……お父さんにも、ちゃんと甘えるのよ」
「分かってるって。何度も言わなくても」
苦笑いしながらそう返すと、母は少しだけ目元を緩めた。それでも、荷物を確かめる手だけは、最後まで落ち着かなかった。
・・・・・
王都に着いたその足で、まずは父の住まいを訪ねた。
騎士団の官舎は、想像していたよりずっと質素だった。狭い部屋に、最低限の家具だけ。とても、年頃の娘と一緒に暮らせる場所ではない。
「悪いな、こんな部屋で」
父は、決まり悪そうに頭を掻いた。
「本当は、一緒に暮らしてやりたいところなんだがな。……騎士の仕事は、そう都合よく休めるものでもないし、そもそも男所帯のこの官舎じゃ、お前と暮らせる環境でもない」
言い訳めいた口調の奥に、隠しきれない申し訳なさが滲んでいた。
「剣術学校の方に、寮があるはずだ。ひとまずは、そこに入るのが一番手堅いと思うが」
「もう決めてるから、平気」
「……決めてる、って」
「父さんと暮らすつもりも、寮に入るつもりもないよ。フィリア先生のところに、お世話になろうと思ってる」
意外そうな顔をした父に、前に会った時の印象と、アレンの手紙に何度も出てくる名前だということを、手短に説明した。
「フィリア先生、か。……そういえば、ギードさんからも、それとなく名前が出てたな」
村の親同士でも、既に話が回っていたらしい。それを聞いて、少しだけ気恥ずかしくなった。誰かの厚意に甘えるのは、あまり得意ではない。それでも、自分で決めた道だった。
・・・・・
――ノエルの視点は、ここまで。
その日の夕方、王都の家の扉を叩く音がした。
「アレン、いる?」
聞き覚えのある声に、俺は思わず玄関へ駆け出した。扉を開けると、旅装のままのノエルが立っていた。背負った剣の鞘には旅の埃がうっすらと積もり、頬には隠しきれない疲れが見えたが、それ以上に、目の奥の光は以前より強くなっていた。
「……ノエル? なんで、ここに」
「来るに決まってるでしょ。剣術学校、受かったから」
思いがけない一言に、俺はしばらく言葉が出てこなかった。
「それ、いつの話だよ。手紙にも書いてなかっただろ」
「直接言いたかったの。……驚いた?」
悪戯っぽく笑うノエルを見て、俺はようやく実感が追いついてきた。
「それより、フィリア先生は」
・・・・・
奥から出てきたフィリアは、ノエルの顔を見るなり、片眉を上げた。
「あんた、また来たの」
「今度は、居候のお願いに来ました」
ノエルは物怖じもせず、事情を手短に説明した。父の住まいでは同居できないこと、合格が決まった時からフィリアを頼るつもりだったこと。
「ずいぶん都合よく決めてくれるのね、勝手に」
フィリアは腕を組んだまま、しばらく黙って話を聞いていたが、やがてそう零した。
「……で、私が断ったらどうするつもりだったの」
「その時は、大人しく寮に入るつもりでした。でも、断らないと思ったので」
「自信満々ね。何を根拠に」
「前にお会いした時、口は悪いけど、ちゃんと向き合ってくれる人だっていうのは、分かっていたので」
フィリアは、それを聞いて一瞬固まった後、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「アレン、余計なこと書きすぎね」
「本人の前で言います?」
俺が横から口を挟んでも、フィリアは取り合わず、ノエルの方に向き直った。
「二階に、使ってない部屋がある。荷物置き場になってるだけだから、片付ければ使えるでしょう」
「いいんですか」
「聞いておいて、今更断られると思ってたの?」
素っ気ない口調だったが、その手はもう、片付けの段取りを考えるように動き始めていた。
「一つだけ、言っておくけど」
フィリアは、俺とノエルを交互に見やった。
「年頃の男女が同じ屋根の下にいるんだから、それなりの分別はつけなさいよ。……まあ、あんたたちに限って、余計な心配だとは思うけど」
「分別つけなかったら、どうなるんですか」
「その時は、私がちゃんと監督するから安心しなさい」
冗談とも本気ともつかない口調に、俺とノエルは顔を見合わせて、揃って苦笑いするしかなかった。
・・・・・
それから、俺とノエルは、二人がかりで空き部屋の荷物を運び出した。埃を被った古い家具や、フィリアが読み返す気もなさそうな書物の山。片付けが進むにつれ、部屋は少しずつ、人の住める形になっていった。
「まさか、同じ屋根の下に住むことになるとはな」
「文句あるの?」
「ないよ。ただ、ちょっと不思議なだけ」
窓を拭きながら、ノエルが小さく笑った。
「それより、急にこんなことになって、僕もまだ驚いてる」
「うん。それに、こういう形で会えるなら、それはそれで悪くないし」
素っ気ない言い方だったが、その声には、隠しきれない安堵が滲んでいた。
外套の合わせから顔を出したヒスイが、久しぶりの相手に気づいたのか、ノエルの方へするりと近づいていった。
「わ、覚えててくれたんだ」
「懐いた相手にしか興味示さないやつなのに、珍しいよな、ノエルにだけは」
「見る目あるんだよ、この子」
得意げに笑うノエルの指先に、ヒスイは今日も、迷いなく鼻先を寄せた。
その日の夕食は、三人分の皿が並んだ。フィリアの作る料理を、ノエルは物珍しそうに眺めながら「思ったより普通の味ですね」と失礼な感想を漏らし、フィリアに軽く睨まれていた。
「明日、レイドとミラのところにも顔を出してくるか。久しぶりになるだろ」
「うん、行く。……レイド、あの時の勝負のこと、まだ覚えてるかな」
「覚えてないわけないだろ、あいつ」
「なら、今度こそ決着つけないと」
不敵に笑うノエルの表情に、あの頃と変わらない負けん気の強さを見た気がした。
そんなやり取りを交わしながらの食卓は、村にいた頃とはまた違う、けれど確かに温かい空気に満ちていた。
片付けを終えたところで、フィリアが不意に切り出した。
「そういえば、ヴィクトルに手紙を出しておいたの。禁書庫の閲覧許可、口添えしてもらえないかと思って」
不意打ちのような一言に、俺は思わず手を止めた。
「返事、来たんですか」
「まだよ。早くて十日、遅ければひと月ってところね。……気長に待ちなさい」
禁書庫のことは、ノエルにはまだ詳しく話していない。怪訝そうな顔をする彼女に、「今度、ちゃんと説明するから」とだけ告げて、その日はそれで話を終えた。
・・・・・
夜、片付けの終わった部屋を最後に覗くと、ノエルは荷物を整理する手を止め、ふと顔を上げた。
「これから、よろしくね」
「こっちこそ」
短いやり取りだったが、それだけで十分だった。剣術学校と魔法学園、通う場所は違っても、帰る家が同じになる。幼い頃、村の川辺で交わした約束とは、また違う形の繋がりが、今夜からここに根を張ることになる。
ベッドに腰掛け、膝に乗せたヒスイを撫でながら、俺は今日起きたばかりの変化を、まだ半分信じられない気分で振り返った。
「今日から、ノエルも一緒だな」
『うれしい』
短い一言だったが、噓のない響きだった。答えが返ってくることに、俺はまだ慣れていなかった。それでも、この温かさには、悪くない実感があった。
窓の外、隣の部屋からは、荷物を片付ける小さな物音が聞こえてくる。専攻の決まらない学園生活、いつ動き出すか分からない禁書庫の一件、村を出てから積み重なってきたものはどれも道半ばだったが、今日という日には、それらとは別の種類の手応えがあった。明日、ノエルが王都にいると知ったら、レイドとミラはどんな顔をするだろうか。そんなことを考えながら、俺はしばらく、隣の部屋の物音に耳を澄ませていた。




