46 鍛錬場での再会
翌朝、俺とノエルは連れ立って鍛錬場へ向かった。
「片付け、まだ終わってないのに、そんなに急ぐのかよ」
「善は急げって言うでしょ。片付けは後でもできるし」
迷いのない足取りで先を歩くノエルの背中に、村を出た頃と変わらないものを感じた。
「緊張とかしないのかよ、こういう時」
「するわけないでしょ。……まあ、どんな顔されるか、ちょっと楽しみではあるけど」
悪戯っぽく笑うノエルを見て、俺は今日という日が、どうやら賑やかなものになりそうだと察した。
王都の朝は、澄んだ空気の中に、人々の生活の音がまだ疎らに混じる時間帯だった。パン屋の焼き上がりを知らせる匂いや、荷馬車の車輪の音。村では感じたことのない種類の賑やかさに、いまだに少しだけ新鮮さを覚える。
外套の合わせから顔を出したヒスイも、物珍しそうに周りを見回していた。今日は、いつもより機嫌が良さそうに見える。
・・・・・
鍛錬場に着くと、いつもの木剣の音がすぐに耳に届いた。レイドとミラは、朝の自主練の真っ最中らしい。俺たちに気づいたレイドが、木剣を構えたまま片手を挙げた。
「おう、早いな今日は。……って」
言葉の途中で、レイドの視線がノエルの方で止まった。
「……え? ノエル、だよな? なんで王都に」
隣で水筒を傾けていたミラも、驚いた様子でこちらを振り返る。二人分の視線を一身に受けても、ノエルは動じた様子もなく、むしろ得意げに笑った。
「剣術学校、受かったから」
短く言い放ったその一言に、二人はしばらく言葉を失っていた。
「……マジで? いや、おめでとうって言うべきなんだろうけど、そういうことじゃなくて」
「なんで、ここにいるんだよって話だろ」
先回りするようにノエルが返す。
「今は、居候として来てる」
「居候?」
ミラが目を丸くした。
「正確には、フィリア先生の家。……まあ、アレンと同じ家だけど」
「は?」
レイドが素っ頓狂な声を上げた。俺は苦笑しながら、昨日からの経緯を手短に説明した。剣術学校に合格したこと、父の官舎では同居できないこと、フィリアが空き部屋を貸してくれたこと。
「つまり、王都に住むってことだよな。それ」
「うん、そういうこと」
「マジか……」
レイドが呆然とした声を漏らす一方で、ミラは目を輝かせていた。
「じゃあ、これから普通に会えるってこと?」
「たぶん、そうなる」
「やった! 手紙だけだと、正直物足りなかったんだよね」
素直に喜ぶミラを見て、ノエルも嬉しそうに笑った。
・・・・・
「そういえば」
木剣を肩に担ぎながら、レイドが思い出したように言った。
「前に約束したよな。今度また手合わせしようって」
「言ったね。次は勝つって、わたしが」
「望むところだ。……ちょうどいい、今からやるか」
二人の間に、あの日と同じ緊張感が流れ始めた。ミラが慌てて審判役の位置に着く。
「ちょっと、いきなり? せめて準備運動くらい」
「もう十分温まってる」
不敵に笑うノエルが、鞘から木剣を抜いた。旅装は既に解いていたが、その所作には迷いがなかった。
「じゃあ、始め」
ミラの合図と同時に、レイドが先手を取った。放たれた火の礫を、ノエルは最小限の動きでかわす。あの日と同じ攻防が、そのまま再現されているようだった。
「相変わらず、いい目してるな」
「そっちこそ、魔法の切れ、上がってるじゃん」
言葉を交わす余裕さえ見せながら、二人の攻防は拮抗していた。それでも、以前と明らかに違う点があった。ノエルの踏み込みが、以前よりずっと鋭い。
「――速い」
レイドが後退しながら呟いた。木剣の切っ先が、レイドの喉元まであと僅かのところまで迫る。
「はい、そこまで!」
ミラが慌てて試合を止めた。レイドは肩で息をしながら、額の汗を拭った。
「……今の、完全にお前の勝ちだったよな」
「うん。今度こそ、決着ついたね」
満足げに笑うノエルに、レイドは悔しそうな、それでいてどこか清々しい顔で頷いた。
「引き分けのまま終わるよりは、こっちの方がずっといい。次に会う時は、またゼロからだ」
「上等じゃん」
「剣術学校、やっぱ伊達じゃないな」
「そっちも、ちゃんと積んできたんでしょ。魔法の伸び、素人のわたしでも分かるくらいだったし」
素直な称賛に、レイドは照れ隠しのように頬を掻いた。
そんな二人を見ながら、俺は密かに感心していた。剣と魔法、鍛え方がまるで違う二人が、勝敗を挟んでなおこうして笑い合える。あの日の引き分けは、ちゃんと意味のあるものだったらしい。
・・・・・
「にしても」
一息ついたところで、ミラが改めて切り出した。
「フィリア先生の家に住むって、大丈夫なの? アレンと同じ屋根の下でしょ」
からかうような口調に、ノエルは涼しい顔で答えた。
「フィリア先生から、ちゃんと釘刺されてるから大丈夫」
「釘?」
「年頃の男女が同じ屋根の下にいるんだから、分別をつけろって」
「言われて即座に暴露するなよ」
俺が思わず口を挟むと、ミラが堪えきれないように吹き出した。
「先生らしい。……でも、それだけ気にかけてるってことだよね」
「まあ、口は悪いけど、そういう人だから」
ヒスイも、久しぶりの騒がしさに気づいたのか、じっとその方向へ視線を向けていた。ミラがそっと手を伸ばすと、いつも通り、素っ気なく顔を逸らされる。
「相変わらず、まだ懐いてもらえないなあ」
「懐いた相手にしか興味示さないからな。……そのうち懐くかもな」
レイドがおそるおそる指を近づけると、ヒスイはつまらなそうに視線を逸らした。
「お前に対しては、興味すらないみたいだけどな」
「言うなよ、それ」
肩を落とすレイドを見て、ノエルが声を上げて笑った。
・・・・・
昼になり、四人で食堂の外にある広場に移動した。屋台で買ったパンを分け合いながら、話題はいくらでも湧いて出た。
「専攻、まだ決まらないままなの?」
パンをかじりながら、ノエルが不思議そうに尋ねた。
「決まらないっていうか、決められないんだよ、僕の場合は」
「大変そうだね、それはそれで」
「他人事だと思って」
「他人事だし」
あっさりとした返しに、レイドとミラが揃って噴き出した。
「でもさ」
ミラが不意に、真面目な顔で口を挟んだ。
「専攻が決まってなくても、アレンがちゃんと自分の場所を見つけてるの、見てて分かるよ。だから、そんなに気にしなくていいと思う」
思いがけない言葉に、俺は少し面食らった。ノエルとレイドも、意外そうにミラを見ている。
「なに、急に真面目になって」
「たまにはいいでしょ、こういうのも」
照れくさそうに笑うミラを見て、この四人でいる時間が、いつの間にかずいぶんと居心地のいいものになっていることに気づかされた。
「そういうノエルは、剣術学校どうなの。入ったばっかりで大変じゃない?」
ミラに水を向けられ、ノエルは肩をすくめた。
「正直、これから何年も先を行ってる人たちに交ざるのかと思うと、ちょっと身構えてる。……でも、置いていかれるのは性に合わないから」
「らしいね、それは」
「うるさい」
素っ気ないやり取りに、四人で顔を見合わせて笑った。専攻に迷うアレン、追いつくことに必死なノエル、二人を見守るミラ。それぞれ抱えているものは違っても、誰も一人で立ち止まってはいない。それだけで、十分な気がした。
「今度、休みの日にでも、みんなでどこか出かける?」
ミラの何気ない提案に、レイドもノエルも、あっさりと頷いた。予定を決めるでもない、ただの思いつきの延長のようなやり取りだったが、それすらも、今はやけに心地よく感じられた。
・・・・・
夕食の席で、俺たちは今日あったことを一通りフィリアに話して聞かせた。レイドの呆気に取られた顔、ミラの大喜びした様子。フィリアはそれを面白そうに聞いていたが、ノエルの次の一言で片眉を上げた。
「フィリア先生の話も、しっかりしておきました。分別云々の件」
「余計なことを」
睨まれても、ノエルは悪びれる様子もなかった。三人で囲むこの食卓にも、いつの間にか随分と馴染んできている自分に気づく。
・・・・・
夜、布団に潜り込むと、隣でヒスイが丸くなっていた。
「今日は、賑やかな一日だったな」
『たのしかった』
飾り気のない一言が、まっすぐ胸に届いた。返事があることに、まだどこか慣れないままではあったが、その慣れなさごと、悪くないと思えた。
窓の外、王都の夜はいつも通り静かだった。専攻の行方も、禁書庫の返事も、まだ何一つ動いてはいない。それでも、隣の部屋にノエルがいるという事実だけは、今日から確かなものになっていた。




