43 強化科の一日
「今週の実技は、強化科に混ぜてもらうことになったわ」
朝食の席で、フィリアがそう切り出した。
「決まったんですか」
「教務課からの通知よ。あんたの表向きの評価が『強化・召喚の複合型』である以上、まずは強化科から試すのが筋、ということみたい」
理屈としては分かる話だった。それでも、実際に「強化科の生徒」として一日を過ごす自分を、まだうまく想像できずにいた。
・・・・・
登校して早々、教室でその話をすると、レイドとミラが顔を見合わせた。
「とうとう始まるんだな」
「うん。……正直、不安」
「それはこっちも同じだけどな」
レイドの言葉に、俺は少し虚を突かれた。専攻が決まっている二人には、もう不安なんてないものだと、どこかで勝手に思い込んでいた。
「二人も、今日から本格的に始まるんだよな」
「攻撃科、上級生がやたら厳しいって噂だから、正直ちょっとびびってる」
「私も。座学と違って、実技はごまかしが効かないから」
それぞれの緊張を隠さずに言葉にする二人を見て、専攻の有無に関わらず、誰もが同じように何かと向き合おうとしているのだと、今更ながら気づかされた。
「まあ、お互い、頑張るしかないよな」
「だな」
そんなやり取りを最後に、俺は一人、指定された実技場へと足を向けた。
強化科の実技場は、鍛錬場よりもさらに広く、床には無数の傷や焦げ跡が刻まれていた。二年間鍛えてきた"強化"の感覚を、今度は他人の目の前で、初めて系統の名のもとに披露することになる。
「今日から加わる、アレンだ。……専攻は正式には未定だが、当面はここで見てもらう」
引率の教官が、そう手短に紹介した。集まった生徒たちの視線が、一斉にこちらへ向く。値踏みするような目、興味なさそうな目、様々な反応が入り混じっていた。
その中の一人、他の生徒より頭一つ小柄な少女が、まっすぐにこちらを見ていた。艶やかな黒髪を一つに束ね、姿勢のいい佇まいには、育ちの良さがそのまま滲み出ている。制服の襟元に、見覚えのある紋章の刺繍があった。
「専攻未定、というのは初めて聞くわね」
少女は誰にともなく、独り言のようにそう漏らした。探りを入れるというより、純粋な興味の色が強い声だった。
・・・・・
実技は、対人形の的を相手にした基礎の型から始まった。強化を発動させ、決められた動作を反復する。二年間フィリアに鍛えられた体には、さほど難しい内容ではなかった。
「――随分、様になってるじゃない」
休憩の合間、先ほどの少女が声をかけてきた。
「専攻未定にしては、って意味ですか」
「そういう嫌味のつもりはないけど。……気に障ったなら謝るわ」
意外なほどあっさりと引く態度に、俺は少し面食らった。
「リディア・ヴァンシュタインよ」
「アレンです」
「アレン。……鑑定が空白だっていう噂、本当だったのね」
隠すつもりもなかったので、俺は素直に頷いた。リディアはそれまでの硬い表情を緩めると、得心したように小さく頷いた。
外套の合わせから、ヒスイがひょいと顔を出した。リディアがそれに気づき、目を丸くする。
「その子、召喚獣?」
「はい。人見知りが激しいので」
「触ってもいい?」
言われる前から予想はついていたが、ヒスイは差し出された指先に一瞥もくれず、つんと顔を逸らした。リディアは特に気を悪くした様子もなく、むしろ愉快そうに口の端を上げた。
「いい性格してるじゃない、その子」
その反応は、これまで出会った誰とも少し違っていた。無視されて残念がるでもなく、無理に構おうとするでもない。ただ、ヒスイの態度そのものを、面白がっているようだった。
「気にならないの、そういう噂」
「今更、気にしても仕方ないので」
「割り切ってるのね。……羨ましいわ、そういうの」
その一言には、本人も持て余しているらしい重さが、ほんの少しだけ滲んでいた。
・・・・・
「ヴァンシュタイン、というと、たしか」
「ええ、侯爵家よ。……名前で判断されるの、正直もう慣れてるから、気にしないで」
先回りするような言い方だった。誰かに名家という肩書きだけで見られることに、慣れすぎているのかもしれない。
「適性が強化系統だって分かった時、家からは、跡取りとしてやっていけるって、ずいぶん歓迎されたの。……ヴァンシュタイン家は、代々、国境防衛に関わる家系だから」
「それで、こんなに熱心に?」
「半分はね。期待に応えなきゃ、っていう気持ちがあるのは否定しない。……でも、残りの半分は、多分、自分のためだと思ってる」
その答え方に、俺はふと、ユーゴが実技審査の後に漏らした一言を思い出した。系統も強さも生まれた時から決まっているようなもの、という、あの言葉。名家に生まれるということの重さは、村育ちの自分には、まだ本当の意味では分からないものなのかもしれない。
「専攻未定っていうのも、傍から見ると気楽そうで、ちょっと羨ましいけど」
「気楽かどうかは、正直分からないです。ただ、選べる分だけ、決めなきゃいけないことは多い気がします」
「それも、それで大変そうね」
リディアはそう言うと、小さく笑った。最初に感じた硬さは、いつの間にか抜けていた。
・・・・・
実技の後半、二人一組での組み手が組まれた。指名されたのは、偶然にも俺とリディアだった。
「胸を貸してもらうわ」
「望むところです」
不敵な笑みを浮かべるリディアに、俺は素直に頷いた。その構えには一切の隙がなかった。実際に打ち合ってみると、その動きは、レイドともミラとも違う、洗練された「型」の美しさを感じさせるものだった。数を鍛錬でこなしたレイドの粘り強さとも、独学で伸びてきたミラの器用さとも違う。幼い頃から、決まった型を叩き込まれてきた者特有の、無駄のなさがあった。
「――思ったより、粘るじゃない」
打ち合いの合間、リディアが息を切らしながらも笑みを浮かべた。
「そちらこそ、隙がなくて大変です」
「当然でしょう。名前に懸けて負けられないもの」
息を切らしながらも、剣を握る手には最後まで迷いがなかった。その強がりの裏に、誇らしさと、それだけでは片付かない重さが同居している気がした。
なおも数合のやり取りが続いた末、組み手は、僅差で俺の判定勝ちに終わった。リディアは悔しそうな顔をしつつも、意外にもあっさりと結果を認めた。
「今日のところは、負けを認めるわ。……次は分からないけど」
「次があるんですか」
「合同編成の実技、しばらく続くんでしょう。……いやでも、また顔を合わせることになると思うわよ」
汗を拭いながら、リディアはふと真顔に戻って続けた。
「一つ、聞いてもいい?」
「なんでしょう」
「専攻が決まらないの、怖くない? ……私なら、多分、耐えられない」
思いがけない問いだった。ヴァンシュタイン家という重みを背負う立場からすれば、何も決まっていないという状態そのものが、想像もつかない不安定さに映るのかもしれない。
「怖くない、って言ったら噓になります。……でも、決まってないから何もない、ってわけでもないので」
「そう」
短い相槌だったが、その目には、これまでとは違う色が浮かんでいた。
「変わった答え方をするのね、あなた」
「よく言われます」
リディアは小さく笑うと、それ以上は踏み込まず、踵を返した。その背中を、俺はしばらく見送っていた。専攻未定という立場のまま、覚える名前が、今日は一つ増えた。
・・・・・
実技場を出たところで、鍛錬場に向かう途中のレイドとミラに出くわした。
「おう、強化科どうだった」
「悪くなかった。……新しく会った子と、組み手までした」
「へえ、勝った?」
「勝った、けど紙一重だった」
「珍しいね、そんなに素直に言うなんて」
ミラが茶化すように言うと、レイドも興味津々といった顔で身を乗り出した。
「どんな奴だよ」
「侯爵家の令嬢らしい。……リディア・ヴァンシュタインって名乗ってた」
「侯爵家? すげえとこの出だな」
「本人は、あんまりそういう扱われ方、好きじゃなさそうだったけど」
言いながら、俺は今日聞いた「羨ましいわ」という一言を、頭の隅で反芻していた。名家に生まれることの重さも、専攻が定まらないことの心もとなさも、比べようのないものなのかもしれない。それでも、互いにないものを羨む、という点だけは、不思議と共通しているらしかった。
・・・・・
その夜、フィリアの家に戻ると、いつも通り彼女が話を聞きたがった。
「実技のほうは、うまくやれた?」
「悪くなかったです。……リディア・ヴァンシュタインっていう子と、組み手をしました」
「ヴァンシュタイン。……国境防衛の家系ね、たしか」
「知ってるんですか」
「名前くらいはね。名家の中でも、生真面目な家風で有名なところよ」
フィリアの評は、ごく事務的なものだった。それでも、今日交わした短いやり取りの端々を思い返すと、単なる「名家の令嬢」という一言では片付かない何かが、あの少女の中にはある気がした。
「先生は、名家に生まれるのって、大変だと思いますか」
「さあ。生まれたことないから分からないわ」
「それはそうですね」
「ただ、名前のおかげで楽できる分と、名前のせいで苦労する分は、大抵セットで来るものよ。……あんたも、いずれ嫌というほど見ることになるでしょうね」
その言い方には、達観したような重みがあった。研究者として色々な人間を見てきた中で、フィリアなりに掴んだ実感なのかもしれなかった。
自室に戻り、俺は膝の上のヒスイに目を落とした。
「今日は、新しい人に会ったよ」
『悪い人じゃなかったね』
短い言葉が、頭の奥にそっと響いた。専攻未定という立場は、思っていたより、悪いことばかりではないのかもしれない。強化科の教室で聞いた「羨ましいわ」という一言を、俺はしばらく頭の中で繰り返していた。




