42 開講の朝
始業式の朝は、いつもと変わらない朝だった。
「忘れ物はない?」
「三回目です、それ確認するの」
「三回でも四回でも、確認するに越したことはないの」
フィリアは腕を組んだまま、俺の鞄の中身を横目でもう一度なぞった。制服の襟を直す手つきだけは、いつもよりわずかに丁寧だった。
「先生、緊張してます?」
「まさか。あんたの方でしょう、顔が強張ってるの」
図星だったので、俺はそれ以上言い返さなかった。外套の内側で、ヒスイの重みが、今日はいつもよりはっきりと感じられた。今日から、この重みと一緒に教室へ向かうことになる。
・・・・・
学園の正門は、人であふれていた。石畳の広場に、真新しい制服姿の新入生が列を作っている。数回訪れただけのはずの尖塔も、今日という日のために磨き上げられたように、朝日を弾いて光っていた。
「一学年だけで、これだけいるんだな」
隣で辺りを見回しながら、レイドが小さく呟いた。新入生だけでも百人は下らないだろう人波が、正門から続く並木道にずらりと連なっている。村の全人口を軽く超える人数が、たった一つの学年に収まっている。その事実だけで、王立学園という場所の格が、数字となって突きつけられてくる気がした。
「毎年、これくらいの数が入るものなんですか」
「一学年四クラス、って聞いた。……単純計算でも、結構な人数よね」
ミラが指折り数えながら答える。四クラスという数字に、俺はふと、そわそわとした落ち着かなさを覚えた。
・・・・・
大講堂は、村の教会など比べものにならないほど広かった。天井まで届く色硝子の窓、幾重にも連なる長椅子、正面には歴代の学園長の肖像が並んでいる。新入生だけで埋まった講堂は、それでも空間を持て余しているように見えた。
壇上に立った、白髪の初老の女性――学園長だという――の声は、拡声の魔法具を通して、講堂の隅々までよく通った。
「この学園に集う者たちへ。ここは、才ある者だけが選ばれる場所ではない。才を磨き続けようとする意志を持つ者だけが、残ることを許される場所である」
型通りの祝辞のはずなのに、その一言だけは、なぜか妙に耳に残った。系統も、鑑定結果も、何一つそろっていない自分が、それでもこの場に立っている理由を、言い当てられたような気がした。
隣に座るレイドとミラも、いつになく神妙な顔で壇上を見つめている。外套の中のヒスイだけが、退屈そうに小さく欠伸をした気配があった。
・・・・・
式が終わると、講堂の外の掲示板に、クラス分けの一覧が貼り出された。人だかりができるより早く、レイドが真っ先に駆け出していく。
「あった! 一年A組!」
「私も、A組!」
弾んだ声に、俺は自分の名前を探すのも忘れて、二人の方へ駆け寄った。指でなぞった先に、見覚えのある文字が並んでいる。
『一年A組 アレン』
「……よかった」
思わず漏れた声は、我ながら間の抜けたものだった。レイドが得意げに肩をすくめる。
「なんだ、心配してたのかよ」
「してないとは言わないです」
「素直だな、今日は」
からかうような口調だったが、その顔には、こちらと同じくらいの安堵が滲んでいた。ミラも掲示板を見上げたまま、満足げに息を吐いている。
「三人揃うとか、地味に運がいいよね、これ」
「運というか……まあ、なるようになった、って感じですけど」
言いながら、俺は掲示板の隅、四クラス分の名簿にざっと目を走らせた。見覚えのない名前が大半を占める中に、一つだけ、聞き覚えのある名前を見つけた。
『一年B組 ユーゴ・オルグレン』
隣のクラスか、と思うと、少しだけおかしくなった。今度会う時は、と言っていたあの言葉を、律儀に守るつもりがあるのかどうか、まだ分からない。
・・・・・
一年A組の教室は、レイフ村の家が丸ごと入りそうなほど広かった。窓際の一番後ろの席に案内され、俺はひとまず荷物を下ろした。周りの生徒たちは、誰も彼も見覚えのない顔ばかりで、王都のあちこちから――あるいはもっと遠くの町や村から――集まってきたのだろうことが、交わされる訛りの違う挨拶からも窺えた。
「席、隣同士じゃないんだな」
離れた席のレイドが、少し不満げに言う。ミラは俺の斜め前の席に収まっていた。
「贅沢言うなよ。同じクラスってだけで御の字だろ」
「それはそうだけど」
そんなやり取りをしていると、教室の扉が開き、担任だという若い男の魔法使いが姿を現した。名を、コンラッドと名乗った。
「一年A組の担任を務める。……まず、出席を取る」
淡々とした声で、名前が一人ずつ読み上げられていく。順番が来るたびに、聞いたことのない誰かの声が「はい」と返す。その一つ一つが、これから何年も同じ教室で顔を合わせることになる相手なのだと思うと、不思議な感覚があった。
「――アレン」
「はい」
短く答えると、コンラッドの視線が、ほんの一瞬だけ長く俺の方に留まった。名簿に何か特記でもあるのだろう。それ以上は何も言わず、出席は淡々と次の名前へ移っていった。
・・・・・
出席が終わると、コンラッドは教壇の端に寄りかかり、事務的な連絡事項を読み上げ始めた。教科書の受け取り方、寮生の門限、食堂の利用時間。聞き慣れない単語の羅列に、俺は必死で頭に叩き込んだ。
「最後に一点。……この中に、専攻の割り当てがまだ決まっていない生徒が一人いる」
教室が、わずかにざわついた。何人かの視線が、探るようにこちらへ向く。隠す理由もないので、俺は素直に手を挙げた。
「アレン、お前だな」
「はい」
「実技の時間は、その都度、割り当てが変わる。詳細は教務課からの追って通知に従うこと。……以上だ」
事務的な口調は、それ以上の説明を挟まなかった。同情も好奇も、そこにはあえて含ませていないような言い方だった。それが、今の俺には、かえってありがたかった。
連絡事項が終わり、次の授業までの短い休み時間になると、近くの席の生徒が数人、興味津々な様子でこちらに集まってきた。
「ねえ、その外套の中、何かいる? さっきから、たまに動いてない?」
女子生徒の一人が、遠慮がちに覗き込んでくる。俺は慣れた手つきで、外套の合わせからヒスイの頭をそっと出した。
「召喚獣です。人見知りが激しいので、あまり構わないでもらえると助かります」
決まり文句のはずが、口にする相手が初対面ばかりだと、なぜか毎回、少しだけ緊張する。案の定、ヒスイは差し出された指先に見向きもせず、興味なさそうに顔を背けた。
「うわ、見事に無視された」
「懐いてる相手にしか興味を示さないので……すみません」
「謝ることじゃないでしょ、それ」
近くで聞いていた別の生徒が笑い、その場の空気が少しだけ和んだ。専攻の話をした時とは違う種類の視線――好奇心と、単純な物珍しさだけの視線――に、俺は少しだけ安堵していた。全部が全部、腫れ物扱いされるわけではないらしい。
「そういう小さい生き物、他にも連れてきてる人いるのかな」
「聞いたことないな。……珍しいと思うよ、多分」
会話に加わってきたレイドが、得意げにそう言い添える。まるで自分の手柄のような口ぶりに、俺は思わず苦笑した。それでも、こうして誰かと気安く話せる休み時間があること自体、悪くない滑り出しに思えた。
・・・・・
「なあ、専攻がないって、目立つもんだな」
放課後、教室を出たところでレイドがぽつりと言った。
「みたいだな。……まあ、慣れるしかないと思ってる」
「慣れなくても、俺らがいるだろ」
さらりと言われた一言に、俺は少し驚いた。
「今日、そういうこと言うキャラだったか?」
「うるせえ、柄にもないのは分かってる。……行くぞ、鍛錬場」
照れ隠しのように早足で歩き出すレイドの背中を、俺とミラは顔を見合わせてから追いかけた。
・・・・・
その日の夜、フィリアの家に戻ると、彼女が玄関先で待ち構えていた。
「どうだった、初日」
「レイドとミラと、同じクラスでした」
「へえ。運がいいこと」
「先生も、そう言うんですね」
「運じゃなくて実力だ、なんて言うと思った?」
そう言いながら、フィリアは俺の頭を軽く撫でた。
「専攻のことも、クラスの担任に伝わってました。事務的に、さらっと」
「そう。……嫌な思いはしなかった?」
「多分。……あからさまに同情されるよりは、ずっと楽でした」
その答えに、フィリアは満足そうに頷いた。
「クラスメイトは、どんな感じだった」
「まだ、名前も半分も覚えてません。……でも、ヒスイのこと聞いてきた子がいて、それだけで少し話せました」
「懐かれなかったんでしょう、その子」
「見事に無視されてました」
「あんたの弟子、じゃない、あんたの召喚獣、変わらないわね」
言い間違いをそのまま流すフィリアに、俺は思わず笑ってしまった。
自室に戻り、俺は膝の上のヒスイに目を落とした。今日一日、慣れない教室の空気の中でも、こいつはいつも通り、興味なさそうに宙を眺めているだけだった。その変わらなさに、今日はやけに救われた気がする。
「明日から、本当の意味で学園生活か」
答えは返ってこない。それでも、窓の外に広がる王都の夜を眺めながら、俺は静かにそう呟いた。同じ教室、同じ顔ぶれ、そして、まだ形の定まらない自分の居場所。何もかもが初日のまま、明日からゆっくりと積み重なっていくのだろう。




