40 白い封筒
面談を終えてからの五日間、俺は毎朝郵便受けを気にする癖がついていた。確かめたところで何も変わらないと分かっていても、つい覗いてしまう。フィリアには「そわそわしすぎ」と何度も呆れられたが、直しようがなかった。
鍛錬場でもレイドとミラの様子がどこかそわそわしていた。誰も口には出さなかったが、三人とも同じことを考えているのは明らかだった。木剣を振る手にも、いつもより余計な力が入っていた気がする。
「なあ、通知って、大体どれくらいで届くもんなんだ」
「知らないよ、そんなの。私だって初めてなんだから」
「お前に聞いた俺が馬鹿だったな」
「その言い方、失礼じゃない?」
軽口の応酬にも、いつもほどの勢いがなかった。三人とも、結果を待つことの落ち着かなさを、それぞれのやり方で誤魔化しているだけなのだろう。
一週間ほど経った朝、フィリアの家の扉を叩く音がした。応対に出ると、王立学園の紋章が入った白い封筒を、配達人が差し出してきた。
「アレン様宛てです」
受け取った瞬間、掌にじわりと汗が滲むのが分かった。
「先生、届きました」
台所から出てきたフィリアが、封筒に目をやる。
「早いわね。開けないの?」
「開けるのが、怖いです」
「怖くても、開けなきゃ何も変わらないでしょう」
正論だったが、すぐには頷けなかった。外套の中で、ヒスイが微かに身じろぎする気配があった。
「先生は、開けるところ、見てなくていいんですか」
「見たいのはやまやまだけど、こういうのは、あんた自身のけじめでしょう。私が横で覗き込んだら、興醒めじゃない」
フィリアらしい距離の置き方だった。それでも、その言葉の端々に、隠しきれない気遣いが滲んでいるのが分かった。
・・・・・
「一人で開けるの、やっぱり嫌なので、レイドとミラのところに行ってきます」
「三人で開ける約束でもしてたの?」
「終わったら三人で飯に行く約束はしましたけど、封筒を一緒に開けるとは、誰も言ってないです」
「なら、あんたが勝手にそうしたいだけね」
そのとおりだった。それでも、フィリアは咎めるでもなく、小さく笑っただけだった。
「行ってらっしゃい。……結果がどうあれ、ちゃんと顔を見せに帰ってくること」
「はい」
封筒を胸元にしまい、俺は鍛錬場へと向かった。歩きながら、何度も胸元の感触を確かめた。中身を確認していないだけなのに、封筒の重みが、いつもより増している気がした。
・・・・・
「お前もか」
鍛錬場に着くと、レイドとミラも、それぞれ白い封筒を手にしていた。
「同じタイミングで届いたんだな、みんな」
「一人で開ける勇気がなくて、来ちゃった」
ミラが苦笑いを浮かべる。誰からともなく、三人は鍛錬場の隅に座り込んだ。
「せーので開けるか」
「せーのって、子供っぽくない?」
「今更、格好つけてどうすんだよ」
そう言い合いながらも、三人とも、封筒を持つ手が微かに震えていた。
「じゃあ、いくぞ。……せーの」
合図と共に、それぞれが封を切った。指先が思うように動かず、封筒の端が少し破れた。中から出てきた便箋を開くまでの、ほんの数秒が、やけに長く感じられた。
・・・・・
レイドの声が、真っ先に上がった。
「合格だ……!」
「私も」
ミラの声には、涙混じりの震えがあった。二人の視線が、こちらに向く。
震える指で、俺は便箋を開いた。
「合格」の文字が、まず目に飛び込んできた。全身から力が抜けそうになる。二年間の全部が、この二文字のために積み重なっていたのかもしれない、とすら思えた。安堵で気を抜きかけたところに、続く一文が目に留まった。
『なお、召喚獣を伴う入学については、学期開始後に改めて所定の届け出と面談を行うものとする。ヴィクター・クラリス連名』
「どうだった?」
「……合格。ただ、ヒスイのことは、入学後にもう一度、正式な届け出がいるらしい」
「そうか」
レイドが呆れたように笑う。
「終わらないんだな、こういうの」
「終わらないというより、続いていく、って感じかもな」
言いながら、外套の中のヒスイに目をやる。いつも通り、興味なさそうな顔で宙を見つめているだけだった。それでも、その静けさが、今はやけに頼もしく感じられた。
「まあ、細かい手続きはともかく」
レイドが伸びをしながら言った。
「三人とも受かった、ってことに変わりはないよな」
「うん、それが一番大事」
ミラが力強く頷く。
そんなやり取りに、三人で顔を見合わせ、また笑いが漏れた。理屈で説明できないことの方が、この二年間、案外多かった気がする。それでも、今日という日にたどり着けたことだけは、紛れもない事実だった。
「約束通り、飯行くか」
「行く」
「もちろん」
三人で立ち上がり、鍛錬場を後にする。振り返ると、二年間通い続けたその場所が、今日はいつもより少しだけ、違って見える気がした。土埃の匂いも、木剣がぶつかる音の記憶も、全部このまま消えるわけではないはずなのに、一つの節目を越えたことだけは、はっきりと実感できた。
受験のことは、ひとまずここで一区切りだった。それでも、答えの出ていない問いは、まだいくつも残っている。学期が始まれば、また新しい形で、ヒスイのことと向き合う日が来るのだろう。
「なあ、これから何食う?」
レイドの呑気な声に、俺は今度こそ声を上げて笑った。今日という日は、悩みの終わりではなく、次の一歩の始まりに過ぎない。それでも、今はただ、この賑やかさを噛み締めていたかった。
・・・・・
三人で向かった食堂は、昼時ということもあって賑わっていた。祝いの席というには質素な料理だったが、誰も文句は言わなかった。運ばれてきた料理を前に、三人ともしばらく無言で見つめていた。実感が追いついていないのは、俺だけではないらしかった。
「改めて、合格おめでとう」
「おめでとう」
グラス代わりの水の入った器を軽くぶつけ合う。他愛のない、それでいてやけに満ち足りた時間だった。
「これから学園生活かあ。想像つかないな」
「私も。……でも、なんか、この三人ならどうにかなりそうな気がする」
ミラの言葉に、レイドも俺も、否定はしなかった。根拠のない楽観だったが、俺もそんな気がした。
「そういえば、クラス分けってどうなってるんだろうな。俺ら、また一緒になれるといいけど」
「なれなかったら、それはそれで新しい出会いがあるってことじゃない?」
「お前は前向きだな、相変わらず」
「悲観しても仕方ないでしょ、こういうのは」
たわいない話を続けながらも、三人とも、この関係がこの先も続いていくことを、当たり前のように信じているようだった。根拠なんて、二年前から大してなかったのかもしれない。それでも、根拠のなさが、かえって心強く思えることもあった。
食事を終え、それぞれの帰り道で別れた。
・・・・・
夕方、家に戻ると、フィリアが玄関先で待ち構えていた。
「どうだった」
「合格でした」
短く答えると、フィリアは一瞬、驚いたように目を見開いた後、いつもの調子を取り戻した。
「そう。……よくやったじゃない」
素っ気ない一言だったが、声の端に、隠しきれない安堵が滲んでいた。
「先生のおかげです。……ありがとうございました」
「お礼を言われる筋合いはないわよ。私は、ただ観察してただけなんだから」
「その観察が、僕を救ってくれたんです」
フィリアは何も言わず、ふいと視線を逸らした。それが照れ隠しだと気づくまで、少し時間がかかった。
「クラリスさんにも、ちゃんとお礼を言わないといけませんね」
「今度会った時にでも言えばいいわ。……あの人、素直に礼を言われるの、苦手なタイプだから」
「先生と似てますね、そういうところ」
「誰が似てるですって?」
フィリアが片眉を上げると、俺は慌てて話を逸らした。藪をつついて蛇を出す気にはなれなかった。
「ヒスイのことは、これで一旦落ち着いたけど、学期が始まったら、また正式な届け出がいるらしいです」
「知ってるわ。前に、クラリスから聞いたことがある」
「先生には、もう伝わってたんですね」
「当然でしょう。……あんたに関することなら、大体真っ先に耳に入ってくるのよ」
その言い方が、いつもよりほんの少しだけ、優しく聞こえた。
「先生は、僕が学園に通うようになったら、暇になるんじゃないですか」
「暇になんてならないわよ。あんたが学園でどう過ごしてるか、逐一聞き出す仕事が増えるだけ」
「監視されるみたいで、ちょっと嫌なんですけど」
「監視じゃなくて、観察。……あんたには、その違いがまだよく分かってないみたいね」
そのやり取りに、俺は思わず肩の力が抜けた。二年前は、こんな風に軽口を叩き合える日が来るとは、想像もしていなかった。
・・・・・
自室に戻ってから、俺は外套から出したヒスイを、そっと膝の上に乗せた。窓の外は、既にすっかり暗くなっている。
「これで、学期が始まれば、僕らも一応、学園生になるんだな」
答えは返ってこない。いつも通り、感情の読めない目で、宙のどこかを見つめているだけだった。
「これからも、色々あると思うけど。……よろしく頼む」
言ってから、我ながら今更な台詞だと思った。二年前から、ずっとそうしてきたはずだった。それでも、こうして改めて口にすることにも、それなりの意味がある気がした。
・・・・・
寝る前に、俺は机に向かい、ノエルへの手紙をしたためることにした。合格の報告だけなら短く済むはずなのに、書き始めると、伝えたいことが次から次に出てきて、便箋が何枚あっても足りない気がした。
『無事、合格した。実技は引き分け、面談は正直に答えすぎて微妙な空気になったけど、結果的には良かったらしい』
書きながら、二年前の川辺での約束を思い出す。「対等に強くなったら会いに行く」という、あの日の指切り。剣術学校の合格通知という、あの時よりずっと具体的な目標に置き換わってからも、根っこにある気持ちは変わっていない気がした。
『そっちも、そろそろ受験の時期だろ。何か手伝えることがあったら、遠慮なく言ってくれ。……と言っても、僕にできることなんて、大して多くないだろうけど』
最後の一文は、書いてから少し迷って、そのまま残すことにした。格好つけて消すより、正直に弱気を見せる方が、ノエルには伝わる気がしたからだ。
封をして、机の隅に置く。返事が届くのは、早くても十日以上先になるだろう。それでも、こうして今夜のうちに書けたことに、俺は小さな満足を覚えていた。




