32 伸びた背丈、変わらない指切り
朝から、俺はろくに落ち着いていられなかった。
「そんなに、そわそわしなくていいでしょ。ただの幼馴染でしょ?」
「分かってるんですけど、体が言うこと聞かないんです」
「随分と素直な体ね」
フィリアに揶揄われながらも、朝食はほとんど喉を通らなかった。父親の表彰式は午前中に行われるとのことで、式が終わり次第、指定の広場で落ち合う約束になっている。時計の針が、いつもよりずっと遅く進んでいるように感じられた。
「先生は、こういう時に緊張したりしないんですか」
「あんたほど分かりやすくは出ないだけよ。それに、私にとっては他人事だし」
「変な茶々、入れないでくださいね、後で」
「入れるかどうかは、会ってから決めるわ」
「先生……」
「冗談よ。そんなに睨まないの」
不穏な言い回しにもう一度念を押そうとしたが、時間の方が待ってくれなかった。俺は落ち着かないまま家を出た。
・・・
指定された広場に着くと、式典帰りとおぼしき人だかりの向こうに、見覚えのある金色の髪を見つけた。
記憶にある姿より、頭一つ分は背が伸びている。日に焼けた肌に、意志の強さを覗かせる赤い瞳、相変わらず肩口で切りそろえられた金色の髪。剣士としての鍛錬を、二年間怠らなかったことが、引き締まった身のこなしからも見て取れた。あどけなさの残っていた頬の線はすっきりと大人びていて――正直、一瞬言葉を失うくらいには、綺麗になっていた。
見とれていたことに気づかれる前にと、俺は慌てて声をかけた。
「――ノエル」
声をかけると、ノエルがこちらを振り向いた。一瞬、驚いたように目を見開いてから、すぐにいつもの表情に戻る。
「……久しぶり」
その声は、いつもより幾分か硬かった。
「久しぶり。……背、伸びたな」
「そっちこそ。前はもっと、ちんちくりんだったのに」
軽口混じりの挨拶に、二年分の緊張が、少しずつ解けていくのが分かった。
「あんたも、随分と雰囲気変わったね。危なっかしかった昔とは大違い」
「そうか?」
「うん。今の方が、ちゃんと自分の足で立ってる感じがする」
不意に真面目な調子で言われて、俺は何と返せばいいか分からなくなった。
「表彰式、どうだった」
「その話は、歩きながらでいい? 立ち話するには、ちょっと長くなりそうだから」
促されるまま、俺たちは並んで歩き出した。隣を歩くノエルの足取りには、背丈だけでなく、剣士らしい芯の通ったものが感じられた。
・・・
大通りを歩きながら、ノエルは物珍しそうに周りを見回していた。
「王都って、思ってたよりずっと騒がしいんだね」
「慣れると、これが普通になる。最初は俺も、目が回りそうだったけど」
途中、馴染みのパン屋の前を通りかかると、店先にいたグレタと目が合った。
「アレン、そっちの子は?」
「村にいた頃からの、幼馴染です」
「あら、随分と可愛らしい子じゃないか」
グレタに冷やかされて、俺は何と返せばいいか分からなくなった。ノエルはそんなやり取りを面白そうに眺めている。
「顔が広いんだね、あんた」
「二年もいれば、そこそこは。あの人にも、色々世話になってる」
道の先に見えた露店で、見覚えのある灰色がかった肌の男が薬草を並べていた。
「あの人は?」
「ノアムさん。前に世話になったんだ」
軽く会釈すると、ノアムは無言のまま、片手を小さく上げて返してきた。それだけのやり取りだったが、ノエルは何かを感じ取ったのか、それ以上は聞いてこなかった。
そんな軽口や、ふとした立ち止まりを重ねながら歩くうち、フィリアの家が見えてきた。
・・・
「思ったより、散らかってる家だね」
玄関をくぐるなり、ノエルが率直な感想を漏らした。
「フィリアの家は、元からこうなんだよ」
「その、フィリアさんって人は?」
「奥にいると思う。……あんまり、刺激しないでくれよ」
釘を刺したそばから、当のフィリアが顔を出した。
「刺激するもしないも、初対面の挨拶くらいはさせてもらうわよ。……あんたが、ノエルね」
「はい。お世話になってます、アレンが」
ノエルは物怖じする様子もなく、しっかりと頭を下げた。フィリアは値踏みするような目でノエルを見つめてから、意外そうに片眉を上げた。
「思ってたより、しっかりした子ね」
「フィリアさん、思ってたって何を聞いてたんですか」
「さあ、何でしょうね」
あっさりとはぐらかされたノエルは、それ以上追及せず肩をすくめた。俺はそのやり取りを横目に、密かに嫌な予感を覚えた。フィリアはそのまま、話を変えるようにノエルへと向き直った。
「剣術学校の受験、来年なんですって? 系統は」
「系統というほどのものじゃないですけど、剣に補助魔法を軽く乗せる程度なら」
「へえ。基礎はしっかりしてそうね」
品定めするような口調だったが、その目には、素直な感心の色があった。ノエルもそれを感じ取ったのか、少しだけ胸を張って見せた。
「フィリアさんも、魔法を教えてるんですか」
「まあ、そんなところね。この出来損ないの面倒を見てるのも、その一環よ」
「出来損ないって、俺のことですか」
「他に誰がいるのよ」
軽口の応酬に、ノエルは面白そうに目を細めている。
「世話してるっていうより、勝手に育ってる、が近いけどね」
軽口交じりのやり取りに、俺は口を挟む隙もなかった。
「先生、それ以上余計なこと言わないでくださいね」
「言うことはまだ何も言ってないでしょう。……まあ、いいわ。今日のところは」
フィリアはそう言い残すと、奥の部屋へと引っ込んでいった。拍子抜けするくらい、あっさりとした対面だった。
・・・
「それで、その子が例の?」
ノエルの視線が、俺の外套の膨らみに向いた。そっとヒスイを抱え出すと、ノエルは目を輝かせた。
「本当に、小さいトカゲなんだ。手紙で読んだ時は、もっと大きいの想像してた」
「見た目通り、大人しい奴だよ」
「名前、ヒスイって、目の色からとったんだっけ」
「よく覚えてるな、そんな細かいこと」
「あんたの手紙、何回も読み返してるからね」
さらりと言われた一言に、俺は何と答えればいいか分からなくなった。
「触ってもいい?」
恐る恐る差し出された手に、ヒスイは意外にも逃げずにじっとしていた。鼻先をそっと近づけ、匂いを確かめるように動かしてから、指先に頭を擦りつける。
「……懐いた相手にしか、興味を示さないはずなんだけど」
「へえ。私、気に入られたのかな」
得意げに笑うノエルを見ながら、俺は何とも言えない気持ちになった。あれだけ人見知りの激しいヒスイが、初対面でこの反応を見せるのは、正直予想外だった。ミラなど、二年経った今でも見向きもされていないというのに。
「なんか、ヒスイの奴、見る目あるじゃん」
思わず漏らした一言に、ノエルが片眉を上げた。
「どういう意味?」
「そのままの意味だよ」
「まあ、あんたの大事な相棒に気に入られて、悪い気はしないけど」
そう言って笑うノエルの顔に、俺は少しだけ見惚れてしまった。
「言葉、話したりしないの?」
「話さない。……でも、なんとなく考えてることが伝わってくる時がある」
「へえ。今は、何考えてるか分かる?」
腕の中のヒスイに目を落としたが、これといった気配は伝わってこなかった。相変わらず、何を考えているのかは分からない。
「今は特に、何も」
「なんだ、いつもそういうわけじゃないんだ」
「気まぐれなんだよ、こいつは」
ノエルはそれ以上追及せず、ただ楽しそうにヒスイを眺め続けていた。
・・・
居間に落ち着くと、ノエルはさっそく切り出した。
「それで、こっちに来てから、色々あったんでしょ。手紙じゃ書ききれないくらい」
「話せば長くなるけど、いい?」
「いいよ。今日は、そのために来たんだから」
促されるまま、俺は語り始めた。フィリアとの出会い、ヒスイの誕生、市場での出来事。細かい部分は端折りながらも、できるだけ沢山。
「――なんか、随分濃い二年間過ごしてるじゃん」
一通り聞き終えたノエルは、呆れたような、それでいてどこか羨ましそうな顔をした。
「村にいた頃とは、比べ物にならないね」
「そっちも、村じゃ剣振ってるだけだったのが、王都の剣術学校目指すようになったんだから、似たようなもんだろ」
「まあ、そうかもだけど」
ノエルはそう言うと、窓の外に視線を移した。何かを懐かしむような、それでいて少し寂しそうな横顔だった。
「村のみんな、元気にしてる?」
「うん。ノーラ婆ちゃんも、相変わらず元気。ギードもリナも、あんたのこと気にかけてたよ」
「今度、手紙書くよ。……なんか、急に恋しくなった。婆ちゃんの昔語りは、まだ聞かせてもらってる?」
「たまにね。相変わらず、竜血族の話ばっかりだけど」
「懐かしいな、それ。夜になると決まって始まるやつでしょ」
「今でも変わらないよ」
そんな他愛のない話が、途切れることなく続いた。二年分の空白を埋めるには、まだ全然足りない気がしたが、それでも十分だった。
「表彰式、結局どうだった。まだ聞いてない」
「泣きそうになっちゃった。父さん、随分老けたなって思ったけど、ちゃんと胸張って立ってたよ」
その声には、これまで聞いたことのない、素直な柔らかさがあった。
・・・
「そういえば、稽古の方は?」
「相変わらず。師範代にも、そこそこ勝てるようになった」
「へえ。じゃあ、機会があれば模擬戦とかやってみる? 俺、鍛錬場の仲間がいるんだけど」
「その"仲間"、気になってたんだよね。手紙にちらっと書いてたレイドって奴と、ミラって子」
「今度、紹介する。多分、二人ともうるさいくらい興味持たれると思うけど」
「望むところだよ。負ける気しないし」
不敵に笑うノエルの表情は、あの頃と少しも変わっていなかった。それを見て、俺は安心している自分に気づいた。
「そういうアレンは、剣の方はどうなの。あれから練習してる?」
「正直、あんまり。専ら"強化"の修行ばっかりで」
「じゃあ、今の私の方が強いかもね」
「それは、剣に限った話だろ」
「剣に限った話で十分だよ。あんたと対等になるための約束、そもそも剣の話から始まったんだから」
痛いところを突かれて、俺は言葉に詰まった。
「まあ、剣以外のことは、正直よく分からないし。あんたが今どれくらいの奴なのかも、実際見てみないと」
「今すぐ見せられるようなもんでもないけどな」
「明日でいいよ。ゆっくり、じっくり見せてもらう」
不敵に笑うノエルを見て、俺は柄にもなく緊張している自分に気づいた。
・・・
夕方近く、ノエルが「そろそろ宿に戻るね」と腰を上げた。
「また明日も来ていい?」
「もちろん。長めに滞在するって、手紙に書いてただろ」
「うん。だから、しばらくよろしくね」
ノエルはそう言うと、不意に小指を差し出してきた。
「約束、一応果たしたってことでいい?」
「……そうだな。対等になったかは、正直まだ分からないけど」
「そんなの、比べようがないんだから、いいんだよ。会いに来た、それだけで」
小指を絡めながら、俺はあの日の川辺の光景を思い出していた。夕陽に染まる水面、互いの小指を絡めた誓い。剣とこの得体の知れない力、比べようのない二つの道を歩み始めた二人が、こうしてまた同じ場所に立っている。それだけのことが、今の俺には、ひどく確かな重みを持って感じられた。
「明日、レイドとミラにも会わせるから」
「楽しみにしてる」
そう言って手を振り、ノエルは夕暮れの通りへと歩き去っていった。その背中を見送りながら、俺はしばらく、玄関先に立ち尽くしていた。
外套の中のヒスイが、小さく身じろぎした。
「お前も、いい出会いだったか」
答えは返ってこない。それでも、腕の中の重みが、いつもよりわずかに軽やかに感じられた。
家に戻ると、フィリアが待ち構えていたように声をかけてきた。
「いい子じゃない、ノエルって子」
「先生に褒められるとは思いませんでした」
「あんたのことを、ちゃんと対等に見てる感じがしたわ」
その言葉には、珍しく率直な響きがあった。俺はそれ以上何も言わず、ただ頷いた。フィリアの口から、こんな真っ直ぐな評価を聞くとは、正直思っていなかった。
「明日は、レイドとミラも紹介するんでしょう」
「はい。多分、賑やかなことになると思います」
「それは楽しみね。……あんたの周りが賑やかになるのを見るの、悪くない気分だわ」
素っ気ない言い方の中に、ほんの少しだけ温かみが滲んでいる気がした。
窓の外、王都の夕暮れはいつもより温かく見えた。今日という一日だけで、二年分の隔たりが、静かに埋まっていくのを感じた。




