15 実験と観察、目覚めの気配
「今日から、ちょっとした実験に付き合ってもらうわ」
朝食を終えるなり、フィリアがそう切り出した。
「実験、ですか」
「あんたの力を、観察させてほしいの」
「観察」
「危機の時にしか出ないんでしょ、その力。だったら、危機に近い状態を再現すればいい」
理屈としては分かるが、聞いているだけでとても不安になる響きだった。
・・・
フィリアが用意したのは、拳ほどの大きさの丸い石だった。表面に、見たことのない模様が刻まれている。
「これは?」
「魔力の流れを映す道具。危険はないから安心して」
「危険がないって、念押しされると逆に不安なんですけど」
「気にしないで」
フィリアはそう言うと、その石を俺の手に握らせた。気にするなと言われると人間は気になるものだ。それでも、フィリアの手つきに迷いがないのを見て、渋々椅子に座った。
・・・
「山犬の群れに囲まれた時のこと、覚えてる?」
「……詳しいですね、そのこと」
「ガイルから聞いた話よ。細かいことまでは知らないけど、形くらいは真似できる」
言い終わるより早く、フィリアが指先で小さな印を切った。次の瞬間、視界の端に、灰色の影が飛び込んできた。低く唸る、獣の輪郭。
考えるより先に、体が強張った。心臓が跳ねる。だが影は、見えない壁にぶつかったように、そこでふっと霧散して消えた。
「――召喚で呼び出した、仮初めの姿よ。実物じゃない」
「先に言ってくださいよ、そういうことは」
「先に言ったら、意味ないでしょ。本物の反応にならない」
理屈は分かるが、納得はできなかった。それでも、収まらない動悸の下で、何かが確かに反応していた。
「今、何か感じた?」
はっきりとした像は結ばない。それでも、腹の奥に、微かな熱の残響のようなものがある気がした。それと同じ熱を宿すように、手の中の石が、ほんの一瞬だけ、じんわりと温かくなった。ただの反応にしては、妙に意思を感じさせる熱だった。
「……よく分かりませんが、何かはある気がします」
「もう少し、丁寧に説明してくれる?」
フィリアの声には、いつもの気だるさが消えていた。俺は目を閉じて、もう一度、その熱の輪郭を辿ろうとした。うまく言葉が見つからない。前世でも、こんなふうに自分の内側の感覚を人に説明しろと言われたことはなかった。
「……本当に、二つある感じがします」
「そう、それでいいの。もっと聞かせて」
急かさない声に、少しだけ気が楽になった。
「一つは……体の奥で、何かが自分を追い越していくような感じ」
「もう一つは?」
「もう一つは……体の、もっと奥の方で、何かがそっと目を覚ましたような感じ」
言葉にした途端、その二つの感覚が、急にはっきりと輪郭を持った気がした。うまく言えていたかは分からない。それでも、自分の中に確かに二つの何かがある、という実感だけは、今までよりずっと鮮明だった。
・・・
フィリアは、手元の石を見つめたまま、しばらく黙っていた。何かを頭の中で並べ替えているような、そんな沈黙だった。
「――一つは、体の奥で何かが自分を追い越していった。もう一つは、もっと奥で何かが目を覚ました」
「はい」
「なるほどね」
「分かったんですか」
「半分くらい。物差しの理屈から言うと、あんたの中に混ざってる系統は、いくつかの組み合わせに絞れるはずだったの。今の話で、その絞り込みがだいぶ進んだ」
フィリアはそう言うと、確かめるように尋ねた。
「――一つは、強化。何かが自分を追い越していく感じなら、それが一番近い。もう一つは……召喚、かもしれない。奥で何かが目を覚ました、っていうのが、それに近い気がする」
「合ってますか、それ」
「分からない。でも、今のところ一番説明がつく」
今回分かったのは、これまでよりもう一段深い部分だった。自分の中で、確かに二つの何かが、同時に鳴っている――その実感を、初めて持てた。
「今のを、自分で呼び出せそう?」
「……多分、無理です」
「そう。なら、まだそこまでね」
フィリアは、あっさりと引いた。無理に踏み込もうとする気配はなかった。
「無理して呼び出す必要、ないんですか」
「今はまだ、無理に引き出すより、感じ取る練習の方が先。順番、間違えると危ないから」
その言い方には、確かな筋の通った配慮があった。俺は素直に頷いた。
・・・
その夜、俺は寝床の中で、今日感じた二つの感覚を、もう一度思い出してみた。
強化の色。召喚の色。二つが同時に鳴っている、というその実感。まだ自分の意思で呼び出すことはできない。それでも、確かにそこにある、という手触りだけは、はっきりと掴めた気がした。
系統は、普通、一人一つしか持たないものだと聞いている。それが二つ――もしそれが本当なら、自分は思っていたよりずっと、規格外な存在なのかもしれない。
そう考えた瞬間、俺は柄にもなく、胸が高鳴るのを感じた。前世では、人と違うことは、むしろ避けたいことだった。それなのに今は、この異世界で"特別"かもしれない自分に、素直に心が浮き立っている。
自分の中に何があるのかを、こんなに丁寧に見つめ直したことは、今まで一度もなかった気がする。忙しさに追われて、自分の内側を見る余裕すら、いつも後回しにしていた。
窓の外の灯りを数えながら、俺はゆっくりと目を閉じた。




