13 フィリアの家、たったひとつの物差し
荷馬車の旅は、思っていたより長く、そして思っていたより尻に堪えた。
「まだ着かないんですか」
「もう聞いたのそれ、五回目だぞ」
ガイルは面倒くさそうに振り返って言った。反論の余地がなく、俺は黙って荷台に座り直した。硬い荷台の板が、尻の骨に直接響いてくる。前世で経験した長距離バスの座席の方が、まだ幾倍もましだった気がする。
数日にわたる旅の末、丘の連なりが途切れ、視界がふいに開けた。
「あれが、ヴァイスハイムの王都だ」
石造りの城壁、幾重にも重なる屋根、遠くに見える尖塔。レイフ村の何十倍もの規模の街並みが、そこにあった。
「すごい……」
「まあ、田舎から出てきた坊主なら、大抵そう言うな」
ガイルは気だるげに笑うと、荷馬車を街の方へと進めた。
・・・
街の門をくぐると、匂いも音も、村とはまるで違った。石畳を蹴る蹄の音、露店の呼び込み、様々な言葉のざわめき。人の数だけで、レイフ村の全人口を軽く超えていそうだった。
「ここが目的地だ」
ガイルが荷馬車を止めたのは、大通りから少し外れた、古びた一軒家の前だった。庭は伸び放題の草に覆われ、窓の一枚には罅が入っている。師匠になるかもしれない人物の家、という響きからは、正直かけ離れた外観だった。
「本当に、ここに魔法使いが住んでるんですか」
「疑うのも無理はないが、間違いない」
ガイルは扉を叩いた。応答はない。もう一度、少し強めに叩く。ようやく、内側から不機嫌そうな声が返ってきた。
「……誰よ、こんな時間に」
「俺だ。前に話した件、覚えてるか」
しばらくの沈黙の後、扉が乱暴に開かれた。
・・・
姿を現したのは、銀灰色の髪をフードの下に押し込んだ、若い女性だった。灰みがかった紫の瞳は鋭く、二十代半ばくらいに見える。ただ、その目の下には、隠しようもない濃い隈があった。
「――で、この子が例の?」
「そうだ。名前はアレン」
フィリアと呼ばれるらしい彼女は、フードを跳ね上げると、値踏みするような目で俺を見た。素材そのものは悪くないはずなのに、目の下の隈のせいで、どこか損をしている印象があった。
「よろしくお願いします」
「……礫、じゃなくて、アレン、ね」
「礫って言いました?」
「言い間違い。気にしないで」
明らかに気にするべき言い間違いだったが、それ以上追及する空気ではなかった。
・・・
家の中は、外観に輪をかけて荒れていた。積み上げられた書物、埃を被った道具、片付けの跡すらない食器の山。
「――なんでこの家、こんなに散らかってるんですか」
思わず口から出た一言に、フィリアが片眉を上げた。
「初対面でその台詞? 面倒見てもらう側でしょ、あんた」
「それ、俺の荷物はどこに置けばいいんですか、っていう質問でもあります」
言い返すと、フィリアは一瞬、言葉に詰まった。
「……そこは、まだ考えてなかったわね」
「考えてなかったんですね」
「明日までに片付けとくわ」
「本当ですか」
「多分」
「多分、なんですね」
やり取りを黙って見ていたガイルが、面倒くさそうに口を挟んだ。
「本題に入らないか、二人とも」
・・・
出された茶を挟んで、話は本題に移った。ガイルが事情を簡単に説明し終えると、フィリアはしばらく黙って俺の顔を見つめていた。
「――鑑定で、色が視えないと言われたのね」
「はい」
「額、触らせて」
言われるまま額を出すと、フィリアの指先が触れた。数秒の静寂。彼女の表情が、わずかに動いた。
「……なるほどね」
「何か、分かったんですか」
「うん。あんた、視えないんじゃなくて、視ようとする側の"物差し"が一種類しかないだけよ」
「物差し?」
フィリアは椅子に座り直すと、机の上にあった木の板を一枚取り、指で示した。
「今の鑑定の仕組みは、火・水・治癒・召喚みたいな、一つの系統を測る前提でできてる。物差しが一種類しかないの。長さを測る物差しで、重さを測ろうとしてるようなもんね」
「僕の力は……」
「複数の系統が、同時に混ざってる。単色の物差しじゃ、真っ白に潰れて視えなくなる。分類不能、イコール、その物差しの上では存在しないことになる」
理屈は分かるようで、まだ半分も実感が追いついていなかった。それでも、確かなことが一つあった。
――視えなかったのは、俺に何もないからじゃない。
「じゃあ、僕の力は、本当は何なんですか」
「それはまだ分からない。混ざってる系統の内訳までは、今の一瞬じゃ判別できないから」
あっさりとした答えだったが、それでも十分だった。長年抱えていた違和感に、初めて名前がついた気がした。
・・・
「それで、弟子には取ってくれるんですか」
俺が尋ねると、フィリアは面倒くさそうに頬杖をついた。
「弟子は取らない、っていう方針、ガイルから聞いてない?」
「聞きました」
「じゃあ、なんで聞くのよ」
「聞いてみないと、分からないので」
フィリアはしばらく黙って俺を見つめてから、小さく息を吐いた。
「……まあ、しばらくは、面倒見てあげる。弟子とは言わない。ただの、居候」
「ありがとうございます」
「礼を言われることじゃない。ただの興味本位よ」
素っ気ない言い方だったが、その目には、隠しきれない好奇心の色があった。
・・・
その夜、与えられた部屋――と言うより、片付けられていない書庫の隅で、俺は天井を見上げていた。
荷物はどこに置けばいいのか、結局答えは出ていなかった。それでも、今日一日で得たものの方が、はるかに大きかった。
窓の外には、村では見たこともないほど多くの灯りが、街のあちこちに灯っていた。その一つ一つを眺めながら、俺はゆっくりと目を閉じた。




