11 約束、対等になるまで
出発の日取りが決まってからは、家の中の空気が、少しずつ慌ただしくなっていった。
「これも持っていくといい」
ある晩、ギードが器用でもない手つきで、竹と布を組み合わせた小さな道具を作っていた。訳を聞くと、旅の道中で水を濾すための濾過器だという。
「そんなの、売ってるものでいいのに」
「……お前が使うもんだ。自分で作った方が、安心できる気がしてな」
ぶっきらぼうな言い方だったが、その手元は、いつもより随分と時間をかけていた。俺は、それ以上何も言わずに、出来上がるのを黙って見ていた。
・・・
「ねえ、最後にちゃんと稽古しようよ」
出発を三日後に控えたある日、ノエルがいつもの調子でそう言ってきた。
「最後、って決まったことみたいに言うな」
「実質そうでしょ。次いつ会えるか分からないんだから」
言われて、俺は初めてその実感の重さに気づいた。これまでは「王都に行くことになったら」という仮定の話だったのが、今はもう、確定した現実になっている。
「分かった。付き合うよ」
・・・
いつもの鍛錬場で、俺たちは久しぶりに、じっくりと打ち合った。
ノエルの動きは、この数年で見違えるほど鋭くなっていた。木剣を交える音が、乾いた空気に何度も響く。俺の方は、相変わらず「まだまだ」の域を出ないままだったが、それでも以前より、受けに回る時間は少しだけ減った気がした。
「――今日は、いつもより粘るじゃん」
「僕だって、多少は成長してる」
「多少、ね」
軽くいなされて、俺は苦笑いするしかなかった。結局、最後まで一本を取ることはできず、二人揃って地面に座り込むまで、稽古は続いた。
「相変わらず、僕よりずっと強いな、ノエルは」
「あんたはそっちの方で規格外なんだから、いいでしょ。……ちゃんと分かってる。次会う時は、剣の方も、少しは上達しててよね」
「頑張るよ」
「でも」
ノエルは息を整えながら、こちらを見た。
「それでも、対等でいたい。強さの種類が違うのは、しょうがないけど」
そう言うノエルの声は、いつもより少しだけ強張っていた。強がりなのか、寂しさを誤魔化しているのか、俺にはうまく判別できなかった。
・・・
稽古の後、二人で川辺まで歩いた。かつてノエルを助けた、あの川だった。
「ここ、久しぶりだね」
「うん」
水面を眺めながら、俺たちはしばらく黙って座っていた。やがて、ノエルが不意に口を開いた。
「アレン、前に聞いてなかったこと、話してもいい?」
「なに」
「わたしの父さんのこと」
意外な話題に、俺は少し驚いた。ノエルの口から、父親の話が出たことは、これまでほとんどなかった。
「父さん、王都で騎士やってるの。今も」
「……そうなんだ」
「小さい頃に一度会ったきりで、それからずっと帰ってきてない。仕送りだけは、ちゃんと届くんだけどね」
その口調は、努めて軽く聞こえるように作られていた。それでも、その奥に、押し殺した何かがあるのは、なんとなく伝わってきた。
「王都の剣術学校に入りたいって、前に言ってたよな」
「うん。半分は、剣士になりたいから。もう半分は――」
ノエルはそこで一度言葉を切り、川面に小さな石を投げ込んだ。
「父さんに会いに行きたいから、かな」
素直な言葉に、俺は何と返せばいいか、少し迷った。
「アレンも王都に行くわけだし。もし、会うことがあったら――ううん、いいや。今のは忘れて」
「気になるから、最後まで言えよ」
「……もし会ったら、わたしが元気にしてるって、伝えてくれる? わたしが頼んだ、っていうふうにじゃなくて、世間話みたいに、さらっとで」
「変な条件つけるなよ」
「いいから」
押し切られる形で、俺は頷いた。
「分かった。約束する」
「うん、ありがと」
ノエルはそう言うと、少しだけ照れたように視線を逸らした。
日が傾き始めた頃、ノエルが不意に立ち上がって、俺の方に向き直った。
「アレン。対等に強くなったら、会いに行くから」
「対等に、って」
「今のわたしとあんたじゃ、強さの方向が違いすぎる。だから、比べるだけ無駄。でも、いつか、どっちも恥ずかしくないくらいになったら――そしたら、ちゃんと会いに行く」
「僕からじゃなくて、ノエルから?」
「あんたは村を出るんでしょ。だったら、追いかける側は、わたしでいい」
その言い方には、いつものぶっきらぼうさと、初めて見せる真剣さが、両方混ざっていた。
「約束、な」
「うん。約束」
俺たちは互いの小指を絡めて、子供らしい仕草で誓いを結んだ。それだけのことが、今の俺には、ひどく確かなものに思えた。
「――アレンは、私のこと覚えててくれる?」
夕陽に染まる川辺で、ノエルがぽつりとそう聞いた。いつもの強気な口調とは違う、少し弱々しい声だった。
「忘れるわけないだろ」
「口だけかもしれないし」
「じゃあ、もう一回約束する。何回でも約束する」
ノエルは小さく笑って、それ以上は何も言わなかった。
・・・
その夜、床につく前、俺は今日の一日を思い返した。
対等に強くなる、という約束。ノエルの父のこと。小指を絡めた、たったそれだけの誓い。どれも大袈裟なものではなかったはずなのに、なぜか今夜は、いつもより眠りが遠かった。
前世では、誰かと固い約束を交わすことも、それを本気で守ろうとすることも、あまりなかった気がする。今度は違う。守りたいと思える約束が、確かにここにある。
窓の外には、いつもと変わらない村の夜が広がっていた。それでも、明日からの日々が、少しだけ違う色を帯びて見える気がした。




