第7話 和解
あれから。
嬭苑が作った(意外にも絶品だった)夜食を三人で囲みながら、コヨミはもう一度、【侵星群】と自身の現状について説明した。
話を聞き終えた嬭苑は、「めんどくせェ」と頭を掻きむしりながらも、最終的にはコヨミの専属護衛となることを了承した。
彼に続き、栞もまた、彼女を必ず護り抜くことをはっきりと口にした。
食事の後、栞はコヨミに強引に誘われる形で、共に広いバスルームへと入った。
戸惑う栞などお構いなしに、コヨミは栞の傷だらけの背中を流しながら。
まるで友達が家に遊びに来てはしゃぐ子供のように、屈託のない明るい笑顔を見せてくれた。
――その温もりが、孤独だった栞の胸の奥に。
甘く、くすぐったい何かを確かなものとして残していった。
夜が更け、満天の星空がエデンの街を包み込む頃。
栞はコヨミが用意してくれたゲストルームのベッドに身を沈め。
久方ぶりに、警戒心を解いた深い眠りへと落ちていった。
■■■
翌朝。
元・日本軍特殊部隊のリーダーとしての体内時計が働き、栞は早朝四時きっかりに目を覚ました。
静かに自室を出て、そっとコヨミの寝室を覗き込む。
規則正しい寝息を立ててぐっすりと眠る少女の顔を確認すると、その無防備さに微かな笑みを零し、起こさないように足音を消して一階へ降りた。
洗面台で冷たい水を顔に叩きつけ、腰まである艶やかな黒髪を、昨夜コヨミから貰ったお揃いのヘアゴムでビシッとハイポニーテールにまとめる。
借りたスポーツウェアに着替え、一般家庭より遥かに広くて豪奢な玄関でシューズを履く。
外の澄んだ空気の中でストレッチをしようと庭へ出た、その時だった。
ふと、広い中庭のプールの奥に建てられた、立派な木造のガレージが目に入った。
(海外の映画で見るようなガレージだな。実物はなかなか洒落ている……)
興味を惹かれ、足を進める栞。
ガレージの前に立ち、ドアノブを捻って静かに扉を細く開けた直後――栞は思わず、その場に息を呑んで立ち尽くした。
広大なガレージの内部。
車がない代わりに。ソファや机、サンドバッグ、ハンモックなどが無造作に置かれている。
その空間の中央に、黒い布で厳重に目隠しをした嬭苑が佇んでいた。
異様なのは、彼の周囲。
天井から伸びた無数の糸に吊るされた空き瓶が、振り子のように不規則かつ激しく飛び交っていたのだ。
(一体、何をしているんだ……?)
栞は完全に気配を殺し、扉の隙間からその様子を観察した。
スゥ――と、嬭苑が静かに息を吸い込む。
次の瞬間。彼が一歩を踏み出すと同時、四方八方から襲い来る空き瓶の群れを、紙一重の滑らかな体捌きで的確に回避していく。
ただ避けるだけではない。構えた両手で手刀を作り、瓶を吊るす糸を正確に切り裂いては、落下する瓶を反対の手でふわりと掴み取り。
床へ一切の音を立てずに置いていく。
回避し。
背後を取り。
糸を切り。
音を立てず置く。
向かってくる攻撃をワンパターンで処理せず、あらゆる死角からの襲撃を想定した、極限のシミュレーション。
また、置いた瓶で足場すらも無くしてさらに自分の不利な状況をわざと作る。
目隠しをした状態での、全方位に対する空間把握能力。
(……凄い。無数の瓶の軌道を正確に読み切り、最小限の動作で無力化していく)
かつて、元の世界で五大マフィアの中で唯一『特異』として危険視され、最大の脅威とされた中国マフィア【白蓮】。
武術の知識と技量において、この男の右に出る者はいないのだろう。
(『拳王』の異名……伊達じゃないという訳か)
栞が内心で感嘆している間に。
嬭苑は最後の瓶も、床に音もなく置き終えた。
着ていた黒のタンクトップで滝のような汗を拭い、長くゆっくりと息を吐き出しながら目隠しを外す。
そして――扉の陰にいた彼女と、バッチリ目が合った。
「うぉい!? 居たのかよ!」
「す、すまない。つい気になって、最後まで見入ってしまった」
どうやら嬭苑は「氣」と「勁」、その両方を極限まで高め、己の周囲だけに集中しきっていたらしい。
軍人である栞の殺気のない気配。
つまり無に近い気配を読み取れなかったようだ。
「別嚇我!」
「謝ってるじゃないか」
中国語でプンプンと抗議する彼の様子がどこか滑稽で、栞は思わず腹を抱えて小さく笑い声を上げた。
「全く……で、灰羽はナニしに来たんだ?」
「あ、忘れてた。朝のランニングに行ってくる」
ハッと我に返った彼女は、口元を抑えながら踵を返し、首だけを嬭苑の方へ向けて答える。
「朝飯前には帰って来いよー」
「お前は親かよ」
子供のいる母親のような台詞を放つ彼に軽口でツッコミを入れ、栞は軽快な足取りで走り出した。
殺し合う運命だったはずの――嬭苑という存在が、栞の中で『ただの敵』から、少しずつ違うものへと変わっていく気がした。
それはきっと、昨夜のコヨミの言葉があったからだ。
『二人はこれから、私を護るバディなの! だから――』
コヨミは栞と嬭苑の両手を強引に掴み、無理やり固い握手を交わさせた。
『お互いを、大切にすること!』
朝日が昇り始めた都市を駆け抜けながら、彼女は昨夜の出来事を鮮明に思い返していた。
孤独に血の道を歩んできた自分に、「大切にして」と言ってくれる少女。
そして、背中を預けられるかもしれない、かつての宿敵。
朝の冷たい風を切り裂きながら。
栞の胸は、今までに感じたことのない柔らかな喜びに満ちていた。
気づけば、彼女の凛とした横顔には――。
ごく自然で、陽だまりのような笑みが浮かんでいた。




