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第5話 互助

 今日は色々なことが起こりすぎて、少し脳の処理が追いつかない。

 死んだはずだったのに。

 見知らぬ世界で目覚め、未知の化物に命を懸けて挑み、そして――。

 私は、本当に死んでしまったのか……?


■■■


「――――♪」


 ふと、あの優しい歌声が聞こえた。


 意識を手放す直前に聞いた、遠く深い闇の底からの響きではない。


 もっと近く、すぐ耳元で、私を温かく包み込むような。


「静かに息をする街で――ふたりだけが時を抱きしめていた――」


 紡がれる歌詞が、はっきりと鼓膜を揺らす。


 凍てついていた心がゆっくりと解け、ポカポカと温まっていくような錯覚。


「う、うーん…………」


 栞が重い瞼をゆっくりと開けると、視界の隅に。

 透き通るような少女の姿があった。


 白銀の三つ編みロングヘアに、アイコニックな黒の菱形ヘアピン。

 彼女は両目をそっと閉じ、祈るように。そして愛おしむように歌を紡いでいる。


「迷いながらでもいい――君の手を離さない――」


 気づけば栞は、痛みすら忘れて彼女の歌声に魅了されていた。

 声をかけることもできず、ただベッドに体重を預け、自身の微かな呼吸音と共にその旋律に聴き入る。


「明けゆく空の向こうで――君に逢えます様に――……」


 やがて、歌い終えたのか。少女は静かに瞼を開けた。

 そして、目を覚ましている栞と視線がぶつかると、パチクリと目を丸くさせた。


「あ、あれ? 起きてたの?」


「……あ、まあ。うん……」


 状況が掴めず、曖昧な返事を返す栞。

 すると少女は、ふいっと俯き――その小さな肩を小刻みに震わせ始めた。


「え、ちょ……どうした、なぜ泣いて」


「だってぇ! 死んじゃったかもって思ったからだよぉ~~~!!」


 数万人の観客を魅了していたトップアイドルとは思えない姿だった。


 顔を上げた彼女は、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして。

 まるで迷子になった子供のように声を上げて泣きじゃくった。


「……そうか。心配してくれて……ありがとう」


 栞はまだ事態を呑み込めないまま。

 ぽたぽたと飛んでくる大粒の涙が頬に当たると、手の甲で不器用に拭い、困ったように目を細めた。


(彼女は確か、あの時ステージにいたアイドルだよな……?)


 霞む記憶を必死に手繰り寄せる。


(そうだ。私は客席の人を護るために、化物の一撃を諸に食らって――)

「――ッ!」


 思い出した瞬間、斬られた右肩から左腰にかけて鋭い痛みが走り、栞の身体がビクンと跳ねた。


「だ、大丈夫!? 無理しないで!」


 少女は慌てて涙を拭い、栞の胸元あたりを布団の上から優しくさすってくれた。


 そんな、少しだけ甘く温かい空気が流れていた、その時だった。


「コヨミちゃーん。お、起きたー?」


 ガチャリと扉が開き、モダンで落ち着いた雰囲気の寝室に入ってきたのは――呑気に煙草を吹かす、嬭苑(ジエン)だった。


「ちょっとジエン! 部屋ん中でタバコ吸わないでって言ったでしょ!」


「ゴメンゴメン、あと一本だけってやってたらさ。気づいたら一箱吸いきっちゃってて」


 後頭部を掻きながらヘラヘラと笑うマフィアのボス。その信じられない態度に、コヨミはぷくっと頬を膨らませて猛抗議する。


 しかし、一向に煙草を消す気配がない嬭苑に痺れを切らした彼女は、「もー!」と怒りながら彼の背中をグイグイと押し、部屋の外へと追い出していった。


 一人取り残された栞は、室内に充満する強烈な紫煙の匂いに眩暈を覚え、そっと毛布で口と鼻を覆った。


 ■■■


 数十分後。ようやく体の自由が利くようになった栞は、そっとベッドから抜け出した。


「うん、肩を回しても痛まない」


 完全とは言えないが、激痛はない。


 ベッドの隅に用意されていたスリッパを履き、立ち上がる。


 自身の着衣を見下ろすと、見覚えのない半袖のワイシャツの下には、真っ白な包帯が隙間なく、かつ丁寧に巻かれていた。


「……彼女が巻いてくれたのだろうな。こんなに綺麗に」


 このお洒落でモダンな部屋もおそらく彼女の家なのだろう。

 命を救ってもらった礼くらいは言わねばならない。


 栞は金色のドアノブに手を掛け、ゆっくりと扉を開けた。


「だーかーらぁ! しおりちゃんは絶対に甘党な顔してるから、私がスイーツ作るの!」


「分かってねぇなコヨミちゃん。怪我を治すにはタンパク質、つまりガッツリいける肉料理一択だッ!」


 広々としたリビングダイニング。

 その視界の先にあるシステムキッチンで、信じられない光景が繰り広げられていた。


 アイドルである少女と、裏社会の頂点である嬭苑が。揃ってエプロンを身に着け、コンロの前のポジションを肩で小突いて奪い合っていたのだ。


「……何やってるんだ、アイツら」


 栞が呆れた目を向けていると、視線に気づいた嬭苑がハッと振り返る。


「あ、灰羽!」


「えッ!? しおりちゃん!」


 二人はフライパンと泡立て器を持ったまま、ドタドタと栞の前まで走ってきて、口々に主張を始めた。


「ねぇしおりちゃん! 無理しないで、私が甘くて美味しいスイーツを作ってあげ――」


「ストーップ。灰羽、傷を早く治したいよな? 腹減ったよな? 肉料理にしようぜ」


 鼻先で繰り広げられる、不毛すぎる二択論争。


 両耳から飛び交う騒がしい声に数秒後。我慢の限界を迎えた栞の冷徹な一喝が響き渡った。


「ひとまず、現状を説明しろ!!」


 ――――…………。


 その後、ソファに並んで座らされたコヨミと嬭苑から一通りの説明を受け。


 ふかふかのカーペットの上で正座して聞いていた栞は、深い溜め息を一つ吐いて立ち上がった。


「そうか。色々と、迷惑をかけてしまったな」


「ううん、私は全然平気! しおりちゃんがひとまず動けるようになって本当に良かったよ」


 ダークグレーの長袖トップスと、フリル付きのショート丈ボトムスというラフな部屋着姿の彼女が、天使のような満面の笑みを向けてくる。


「その……君は、この都市【エデン】のトップアイドルで、コヨミって言うんだな」


「そゆこと!」


 元気よく頷くコヨミ。


 話によれば、気絶した栞を嬭苑と共にこの家に匿ってくれたらしい。


 警備員や出入りしている使用人には、コヨミが直接口裏を合わせて説明してくれたとのことだった。


「何から何まで、本当に……恩に着る」


「ふふっ、良いんだよ! だって私、二人に提案があるし!」


 両手を合わせて「えへへ」と悪戯っぽく笑うコヨミを横目に、嬭苑が胡乱(うろん)な目を向ける。


「提案ー?」


 疑問を口にしながらも、嬭苑は流れるような動作で借りた服のポケットから煙草を取り出した。


 口に咥え、ジッポーライターで火をつけようとした瞬間――栞の殺意すら混じった鋭い視線が突き刺さり、その動きをピタリと停止させる。


「……それで、その提案というのは?」


 栞は嬭苑を視線で制圧したまま、コヨミへと向き直る。


 すると、コヨミは勢いよく立ち上がり、胸の前でギュッと両拳を握りしめた。


 そして、何かを決意したように両手を大きく広げ、その思いを真っ直ぐに放った。


「私の、専属護衛(ボディーガード)になって!!」


「え?」


 思わず素っ頓狂な声を漏らし、首を傾げる栞。


 隣の嬭苑は、煙草を咥えたまま『めんどくせー』と顔にデカデカと書いて固まっていた。



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