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18話 リュウの怒り

 大穴の底、三人を襲った三体のガルムは一瞬でその命を絶たれた。

 刹那、彼らの間を重い静寂が支配する。

 それを破ったのは大穴の上で佇む一人の男だ。村長はその瞳を大きく見開き、止まっていた時間が動き出したように捲し立てる。


「馬鹿なッ! わたしのガルムが一瞬で……それも三体同時にやられただとぉ!?」


 リュウは自分たちを見下ろすその男に向かって一歩足を進めた。

 威圧する眼光に、村長は思わず一歩後ずさってしまう。両者の間には、大穴の底と上という絶対の距離があるにも関わらずだ。

 押し潰されそうな重圧の中で、しかし村長は我を取り戻し、口角を吊り上げた。


「しかしッ! これで終わりではありません! 私の魔獣たちはまだまだたくさんいます。来なさい、すべての魔獣たちッ!」


 号令と共に、大穴の側面の溝から一体、また一体と新たな魔獣があらわれる。

 狼犬《ガルム》をはじめとして、闘牛《バイソン》、立熊《スタベア》などその種類は多岐にわたる。数にしてみれば三十は下らないだろう。

 一体どれほどの人間の魂を魔獣へと移したのかと、想像するだけでおぞましいものがある。

 魔獣たちは今か今かと契約主の命令を待ち、リュウたちを睨み付ける。


「どうですッ!? これだけの魔獣! 見たことがないでしょう、さぁ、行きなさっ――な!?」


 命令が発せられる直前。

 溝で指示を待つ三十の魔獣たちから、一瞬でその首がぼとりと落ちた。当然、頭を失った魔獣たちは生命活動を停止し、重量感のあるその体ごと音を立てて崩れ落ちる。

 村長は驚きに慌てふためき、地面に膝をついて大穴を覗き込んだ。


「バカな!? 何が......」


 齧り付くような視線の先では、ジュードが鞘からわずかに剣を抜いていた。

 『風刃《ふうじん》』。

 それは読んで字の如く、風を操ることにって生まれた気流により、相手を切断する技である。その真骨頂は、通常の刃が届かない範囲の敵に対する遠距離攻撃だ。更にジュードが使えば複数の敵に対して同時攻撃も可能となり、一対多の戦闘において非常に有効な技となる。

 『風の加護』を持つ者でも、これほどの規模で一斉に風を操ることができるのは、ジュードをおいて他に五人もいないだろう。

 この『風刃《ふうじん》』により、リュウたちを取り囲む三十の魔獣たちは一瞬にして首を落とされたのだ。


「ありえぬッ! 私の魔物が、こうもあっさりと……ッ。お前たちは一体……いや、待て。騎士団……そうだ、十代にして騎士団の隊長にまで上り詰めた二人がいたと聞く。その若さでこの強さ……、お前たちはまさかッ!?」


 未だ目の前の事象が信じられないといった表情を見せる村長。

 大穴の底には数十の魔獣の骸の中央に二人の男が堂々と立っていた。


「名前をまだ名乗っていなかった。僕は十番隊隊長ジュード・ロンド」


「俺は元四番隊隊長リュウ・ハインケルだ。お前の魂に、その名を刻め」


 並び立つリュウとジュード。

 二十歳にも満たない若き二人の騎士が放つ存在感は、魔獣のそれとは比べ物にならない。

 後ろ姿を眺めるリーナは、呆気にとられ、しかしこれ以上頼りになるものは存在しないのではないかと直感する。

 一方それに正面から相対する村長は、全く逆の反応を見せた。


「バカなバカなバカな――ッ!? ありえぬ! なぜこんなところに『国(ルミナス)の双璧』が二人揃っているのだッ!」


 半狂乱になりながら、大穴の縁に齧り付く。

 この二人に正面から敵対の意思を向けられれば、およそどんな人間でもすぐに降伏するだろう。だが、そんな折れそうになる男の心を支えたのは、彼らを分断する絶対の壁だ。


「いや、如何に国の英雄だろうとこの結界を突破できるはずはない……ッ! こうなれば、お前たちがここで衰弱するのを――」


 彼らを隔てる結界。

 それは本来『女神の加護』を与えられたものだけが行使することができる。だが、大司教クラスの教会員が結晶石に力を込めることで、それは結界を発生させる結界石となる。

 どうやって入手したかはわからないが、村長はその結界石を持っている。それが、心の平静を取り戻させた最大の要因だろう。

 女神の与えた破ることのできない絶対の境界。

 実際、墓地での話からジュードの部下たちはこの結界を破ることができずに、衰弱したところを襲われたと考えられる。

 神々しさをも感じさせるその輝きを見上げ、リュウはつぶやいた。


「俺が、やる」


 それは隣に並び立つものに向けられた言葉だった。

 覚悟に満ちた横顔を見て、ジュードは「いいのか?」と短く問う。


「あぁ。これは、俺がやらなくちゃいけない。万一のときは――」


「任せてくれ。僕が必ず君を殺す」


 リュウの言葉を遮り、その先をジュードが紡ぐ。

 その短かなやりとりに後ろで見ていたリーナは「え――」と声をあげていた。聞き間違いかとも思ったが、二人の真剣な表情を見れば、とてもそうは思えない。

 二人は何かを確認し合うと、リュウが手に握っていた剣を放り投げた。銀色の剣身は光を反射しながら、宙に舞い、やがて地面へと突き刺さる。

 リュウは村長を見上げまっすぐと言い放つ。


「この村に一年前から起きた呪いの連鎖を、俺が断ち切ってやるッ!」


「ふんっ。何をッ」


 宣言と共にリュウは、両目の瞼を閉じる。

 意識を外側ではなく、己の内側に集中させるためだ。

 いつかギルド本部でミュッセと戦ったとき、リュウは竜神の力をほんの刹那、右手に宿し顕現させた。

 今はあのときとは違い、己の内に眠る竜神の力を、右手だけでなく全身に行き渡らせる。

 大穴中に響き渡る咆哮と共にリュウの体が黒い光に包まれていく。


「無駄だッ! 何をしようと結界は超えられ――何だ?」


 黒光に包まれていくリュウを見ながら、己の勝利を確信する村長だったが、不意にその手のひらに何かが落ちる感触を感じた。

 一体、何が。

 疑問に思い、手のひらを見つめると、そこには水滴が落ちていた。


「これは雨……?」


 言葉と同時、水滴が一つまた一つとその数をどんどん増していく。

 先ほどまで雲ひとつない快晴だったのに、見上げれば空全体を鈍色の雲が覆っていた。そこから水滴が彼らのもとに落下しているのだ。

 しかし、それだけでは終わらない。

 突如現れた大雲は瞬く間に発達していき、降らせる雨の量も加速度的に爆発していく。


「な、何だこれはッ!」


 それはもはや雨というより、むしろ滝と言ったほうが近い。

 一歩前に足を踏み出すことすら困難で、手を伸ばした先すら見えなくなる。圧倒的な水の暴力だ。

 息をすることすら忘れてしまいそうな未曾有の降水に、リーナとジュードも驚きながら空を見る。


「い、一体何が……?」


「僕もはじめて見る。これが完全に竜神の力を解き放ったリュウの力か……っ!」


 竜神は水神とも呼ばれ、千年前に大陸の半分を沈めたとも伝えられている。

 あながちそれも嘘ではないかもしれない、そうジュードは内心でつぶやく。

 直後、リュウを包んでいた黒い光から、長く伸びた竜の腕があらわれた。

 人より大きな鋭利な爪は、地面に触れるだけで大きな爪痕を残す。

 それから足、首、胴体と順々にその体があらわになっていく。


「これは……」


 そこに存在していたのは、まさしく竜だ。

 全身をいかなる鋼よりも硬い漆黒の鱗で纏った怪物。長く伸びた手足、特に特徴的なのは蝙蝠を思わせる両肩から伸びた対照的な羽だ。

 完全に竜の姿を顕現させたリュウに対して、村長は穴を食い入るように見つめた。

 

「竜の姿に、黒い鱗……まさかッ! これが千年前、世界を破滅に導いた竜神ッ!? ひっ、ひぃぃぃ!」


 呆然とした態度から一変、思わずのけ反り、背中から地面へと一歩後退する。

 黒竜は首を上に向けると、両肩から伸びた羽をはばたかせ、凄まじい速度で上昇していく。上昇する体はすぐに光り輝く結界と接触するが、接触した途端、大穴を覆っていた巨大な結界はあっさりと砕けて散ってしまう。

 同時に、村長の服の一部から何かが割れるような音がした。


「バカな……女神が与え賜うた聖なる結界が……」


 消えゆく光を眺めながら呆然と村長はつぶやく。

 直後、黒竜は座り込む男を目掛けて咆哮する。

 その咆哮は天へと響き、大穴どころか村中を、あるいは村を超えて大陸に伝わる。まるで世界のすべてを揺らすような咆哮。

 その余波に耐えきれず、村長が倒れ込んでいた部分の地面に亀裂が走り、危うく大穴へと落下しそうになる。


「ぐっ、ぐぅぅぅ……」


 何とか村長は地面に走った亀裂の先を掴むことで落下を免れていた。だが、それはあくまで指先で掴んでいるだけで、少し気を抜けば大穴へと真っ逆さまに転落してしまう。この高さから落下すれば、まず助からないだろう。

 どうにか這い上がろうとする村長。

 その目の前に一人の男が歩いてくる。

 そこにあらわれたのは、リュウだった。

 村長がふと天を見上げると、先ほどまで空に君臨していた黒竜の姿は消え、滝のような雨も少しばかり緩やかになっている。

 竜化を解いたリュウが、人間の姿に戻って、彼の前に立っているのだ。

 リュウは地面に走った亀裂を辛うじて掴むその男を見下ろした。


「や、やめろォ! た、たのむ。助けてくれっ! 私が悪かった、私が」


 目の前の命乞いをしてくる男は、リリスの魂を魔獣に移し替えた張本人だ。少女《リリス》の顔を思い出すと、自然とリュウの相貌は険しいものとなる。


――コイツが。コイツがいたせいで、リリスが――


 頭の中で怒りに満ちた声が溢れる。それは頭から体へ、体から手足へと伝わっていき、全身へと伝播する。

 リュウは右手へ力を込めた。


――このまま、コイツを――


 そのまま一歩、踏み出そうとしたとき。

 

 その足元に赤い花が咲いていた。


 リュウは咄嗟に踏んでしまいそうになるその足を止めた。

 大穴の上、地獄の入り口のような場所に咲いていたのは、真っ赤なリリスの花だ。

 竜神の力で降らされた滝のような大雨を受けてなお、その花は上を、リュウの方を向いていた。

 直後、振りかざそうと右手に込めた力が溶けていく。


「……よく、踏みとどまったね。リュウ」


 硬直したリュウの後方から声がかけられた。

 そこに立っていたのはジュードとリーナだ。

 結界が破れた今、二人が大穴から上がってくるのは難しくない。


「あぁ、そうだな」


 竜化を解いてから、リュウははじめて言葉を口にした。

 誰に向けてでもないその言葉は、リュウの足元の赤花に向けられていた。


「君の剣はこの国に住む人々を守るためのものだ。……決して、人を斬るためのものじゃない」


 ジュードはそれを口にした。

 もしそこにリリスの花がなければ、リュウは村長を突き落としていたかもしれない。そうなればリュウは本当の意味で人殺しになっていたところだ。

 それはきっと少女《リリス》からのメッセージだったのだろう。


「その男の犯した罪は騎士団がすべてを明らかにし、然るべき場所で正しく裁く。それで、いいね」


 固い決意と共に声をかけるジュードに、リュウは「あぁ」と短く答えた。

 これで、この村に起きていた事件はすべて解決だ。


 ふとリュウは足元に視線を落とす。

 未だ降り注ぐ雨の中、リリスの花はずっとリュウのことを見つめていた。


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