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17話 優しき人斬り

 リュウがガルムに襲われるのと同時。

 ジュードとリーナも眼前に迫ったガルムの脅威に晒されていた。

 ジュードはどこまでも冷静な瞳でその一挙手一投足を見つめ、一切の無駄なくガルムの牙を剣で受け流す。

 一方リリスは、セイラム村での道中にいくらかガルムと交戦していたとはいえ、リュウのサポートが望めない状況に気が張り詰めていた。ガルムの攻撃に対して、乱暴に短剣で応戦し、それを何とか力任せに押し返す。

 戦い方に歴然の差はあるものの、二人は襲い来るガルムの攻撃を弾き返した。

 だがそのとき、ジュードとリリスに相対するガルムから低い唸り声とともに声が聞こえた。


『ジュー……ド、タイチョウ……ワタシ、ヲ、キッテ……クダサ……』


『アニジャ、ァ……ナンデェ……』


 敵の攻撃にまったく怯まなかったジュードもこれには表情を固くし、リーナはひっ、と喉を鳴らす。

 二人はその言葉に、その声に心当たりがあった。


「まさか、ネオルフ……なのか」


「この声……、洞窟のギーブ兄弟……」


 一方はジュードの部下であり、先だってこの村に神隠しの調査に来たネオルフ・ドレス。

 もう一方は、リュウたちが洞窟で遭遇した元傭兵ギルドのギーブ兄弟、その弟だ。

 二人は目の前の光景を疑ったが、その声はたしかに今それぞれが吹き飛ばした獣から発せられたものだった。


* * * * * * * * * *


 リュウたち三人はその事実に、目の前のガルムに何が起こっているかを確信しつつ、それでも未だ信じられないものを見る目で正面の敵を見据えた。


――間違いない、このガルムは。このガルムの中にいるのは。


 リュウは油断なく剣を構えたまま、大穴の上に立つ村長を睨みつけた。


「おい、お前」


「はて、私のことですかな」


「お前は……リリスの魂を、ガルムに入れたのかッ!」


 口にするのも憚られるおぞましい現実。

 だが間違いなくリュウを襲ったガルムは、リュウのことを見て「お兄ちゃん」と呼んだ。それはついさっきまで、この村をいっしょに歩き回り、村一番の秘密の場所を教え、父親と友達に祈りを捧げた少女《リリス》のものだ。

 剣を握るリュウの右手がわなわなと震える。

 そんなリュウの怒りを知ってか知らずか、村長は歪んだ笑みを見せる。


「ほっほ。これは慧眼。どうやら気付いたようですな。その通りッ! そのガルムどもには、人の魂が入っております」


 言葉にされて、それは事実となる。

 リュウの目の前にいる魔獣。獲物を喰らおうと赤く光る瞳。肉を噛み砕くための鋭い牙。敵の攻撃を防ぐために発達した厚い体毛。

 その中にいるのは、一人の小さな少女なのだ。


「……自分が、何をやったのかわかってるのか」


 リュウの暗い地の底からうねり出すような声が漏れる。

 口元でつぶやくように発せられた言葉。ゆえに大穴の上にいる男に、その声は届かない。

 しかし背中越しにそれを聞いていたジュードとリーナは、味方であるにもかかわらず、全身の毛が逆立つような戦慄を覚えた。

 そんな事情を知らず、リュウたちの苦悶に歪んだ表情を見て、村長は意気揚々とそれを語り出す。


「あなたたちはこの村で起こったことを既に聞かれているようですな。ついでです、本当のことを教えましょう」


 ジュードが態勢は変えず、本当のことだと、と視線を向けた。


「えぇ。あなたたちが聞いた話は間違いではありませんが、すべてではありません。この村を襲った盗賊に対して、私がギルドに報復を依頼したことは聞きましたね?」


 女主人がリュウたちに語ってくれた内容と同じものだ。

 あのときやはり、墓地には村長の操る魔獣が近くに潜んでいたと考えていい。


「私は報復の他に、もう一つギルドに依頼したことがあったのです。……それは、娘のエリィを助けること」


「バカな! あなたの娘は森で発見されたときにはもう……」


「えぇ。全身をガルムに噛みちぎられていて、瀕死の状態でした。しかし、生きてはいたのです。とはいっても、そのまま何もせずおけば娘は数日も経たぬうちに命を落としていたでしょうがね」


 ジュードの言葉に、村長ははじめて苦々しそうに、というよりは忌々しそうに言葉を発した。それは娘を想う父としての愛情からなのか、あるいは娘をガルムの餌にした盗賊団への憎しみからなのか。おそらくはそのどちらもだ。


「そんな状態から治療することは不可能だ……いや、まさか――」


 その事実に気付いたジュードは、言葉をそこで切る。

 代わりに先を村長が続けた。


「そう! その通りッ! 娘の体はもう保たなかった。だから、体の方を変えたのです。長くない娘の体から、魔獣の体に魂を移し替えることでねッ!」


 その顔は、狂気に満ち溢れていた。

 自分の娘を、いくら命を助けるためとはいえ魔獣の体に移し替えるなど正気の沙汰ではない。

 だが、リュウたちを見下ろすその男はそれをやってのけてしまったのだ。


 不意に村長の横に一匹の獣が近づいてきた。ガルムだ。

 ガルムは村長の足元で止まると、村長はその厚い体毛を撫で始める。まるで高級な宝石を愛でるかのように。まるで愛しい娘を愛でるかのように。

 ガルムはリュウたちが相対しているものとは異なり、言葉を話せない様子で、触れられたことに対する反応も薄い。


 歪な光景を見たリーナは思わず口元を覆った。

 それは醜悪な男の成した結果であり、怒りを覚えると同時に、それ以上の哀れみを覚えた。


「あれが……エリィさん……?」


「いや、あれは違う」


 リーナのつぶやきを、ジュードははっきりと否定する。

 真意を確かめるべく、リュウはジュードに視線を向けた。


「あそこに魂は、ない」


「どういうことだ、ジュード?」


 魂の不在を断言するジュードにリュウは疑問を挟む。


「……昔、父に連れられて研究都市の禁書庫で魂を魔物に移し替える禁術が存在するというのを見たことがある。人間の魂を魔物に移し替えることで、本来『契約』することのできない魔物との契約を可能にし、魔獣を操るという研究だ」


 人間が魔獣を操ることはできない。それが可能なのは、魔獣を生み出した魔人くらいだ。

 だが、それをやってのけようと考案されたのが、人の魂を魔獣に移し替える研究だった。

 魔獣は始祖から生まれた生命であり、ゆえに始祖が行使したとされる『契約』の魔法を使用することができる。ただし、契約には双方の意思の疎通が不可欠であり、だからこそ人間と魔獣が契約することはできない。

 だが人の魂を魔獣に移すことで、魔獣との意思の疎通を可能にし、『契約』を可能にする。結果的に、魔獣を操ることができるという算段だ。

 つまり村長は娘の命を助けるために魔獣に魂を移し替える方法を知り、副次的に魔獣と『契約』することで、魔獣を操る方法を知ったのだ。

 ジュードはただし、とその説明に付け加える。


「それには一つ致命的な問題があったんだ」


「……問題?」


「あぁ。異なる器に魂を移すと拒絶反応が起きるんだ。器と魂は本来二つで一つ。そこから魂を引き剥がして、さらには別の器に移し変えようなんて、何の代償もなく出来るわけがない。……結果的に、移し替えた魂は本来のものではなくなってしまう」


「けど! 今俺たちの目の前にいるのは……」


 ジュードの説明に対して、リュウは声を荒げて抗議する。

 村長の側にいるガルムに娘のエリィの魂がないというのならば、さっきリュウたちの前で喋ったこのガルムにも魂はないということになる。それはつまり、リュウの目の前にいるガルムはリリスではないということだ。

 だが、どうしてもリュウにはそれが信じられなかった。

 そんなリュウの疑問を察し、ジュードは補足した。


「魂の移し替えには、拒絶反応による強烈な苦痛が伴うんだ。それは四肢を同時にもがれる痛みとも言われている。その結果として、魂は強烈な負荷に耐えかねて欠損する。既にガルムに襲われて瀕死の状態だった村長の娘がそれに耐えられるはずがない」


「……じゃあ、俺の目の前にいるのは」


「あぁ。君の目の前にいるのはリリスちゃんで間違いない。だけどその魂はもう……もとの彼女と同一とは言えない」


 リュウは絶句する。

 四肢をもがれる痛み。実際にそんなものを味わったことはないが、それがどれほどの苦痛かを想像するのも恐ろしい。とても普通の人間が正気を保っていられるとは思えない。

 そして何より恐ろしいのは、そんな苦痛がリュウよりも一回り小さい少女を襲ったという事実だ。

 一体どれほどの恐怖で、一体どれほどの苦痛だったのだろうか。

 それを考えるだけで、耐えがたい悲しみと怒りを感じる。

 リュウは思わず叫んでいた。


「どうして……っ! どうしてこんなことをリリスにした!?」


 娘の魂が入った、あるいはそう信じ込んでいる村長は、手元で撫でていたガルムから手を離し、リュウたちの方へと意識を戻す。


「なぜ、ですと。わかりきっているでしょう。ルールを破った子にはお仕置きが必要ですからな。それに彼女《リリス》も喜んでいるでしょう! 何と言ったって、娘《エリィ》と彼女《リリス》は友達だったんですから!」


 嬉々として両手を広げ語るその姿は、自分が何一つ間違ったことを言っていないという狂気の光に満ちていた。そんな歪んだ光も不意に現実のものとなって、大穴の底を捉える。


「……さて、おしゃべりが過ぎたようですな。そろそろあなたたちとの会話も終わりにしましょう。ガルムたちッ!」


 村長が手を挙げると、三体のガルムは再びリュウたちを取り囲んだ。

 だが、今のリュウにはそれがもう単なる魔物とは思えない。

 油断なく視線はガルムから逸らさずに、リュウは問う。


「ジュード! 魂を元に戻す方法はないのか!?」


「一度移し替えられた魂を元に戻す方法は……ない。もし仮に魔獣から人へ魂を移し替えたとしても、既に大部分が欠損している魂が更に痛みで吹き飛び、完全に自我のない木偶《でく》になる」


 血が滲むほど、リュウは自分の唇を噛む。

 もう目の前にいるガルムに入ったリリスの魂は大きく欠けてしまっている。その魂を再び移し替えたとしても、それはもはやわずかな魂の残滓さえも吹き飛ばしてしまう。

 ならばせめて攻撃を止めさせることはできないか。

 そう思考して、すぐにそれを自分自身で否定する。

 ガルムに入れられた人たちは、村長との契約に縛られている。

 契約の魔法は、生命の始祖が神と結んだ最初の魔法だ。ゆえにそれを破ることは、絶対にできない。

 残された手段は一つしかない。それをリーナもジュードも、理解している。


「君は、君たちは……人を斬ったことがないだろう。ここは、僕に任せるといい」


 ジュードは努めて冷静に、感情を殺してそうつぶやいた。

 リュウはその態度に歯噛みする。

 自分だけがつらいわけじゃない。ジュードが向き合っているガルムだって、かつてジュードの元で働いていた部下であり、共に戦った戦友なのだ。

 その事実が、リュウを冷静にさせた。


「ジュード、お前は正面の……リリス以外を頼む」


 決意をこめた一言。

 覚悟を試すように、ジュードは問う。


「君があの子を斬るのは、あまりにも辛い選択だと思うが」


 気がつけば今日一日村をいっしょに周った少女の顔が思い浮かんだ。無邪気に村のあちこちを案内してくれた少女。丘の上に咲く花を背にした少女。大切な人のために祈りを捧げた少女。

 しかしリュウの心は既に決まっていた。


「俺はさっき目の前のガルムがリリスだとわかって、斬ることができなかった。結果的に、その躊躇がリリスを長く苦しめることになったんだ。……だからせめて、責任を果たしたい」


 その返答にジュードは目を伏せ、何かを考え込むように「わかった」と短く返答した。

 次いでそのまま視線をリュウからリーナに移す。

 リーナは一瞬だけ手元の短剣へと目を落とし、それから正面のガルムを見据える。


「わたしも……、これ以上あの人が苦しむのは見ていられませんっ」


 決意と共にリーナは短剣を握る拳に力を込めた。

 その悲壮な覚悟を、三人は共有したのだ。

 魔獣という魂の牢獄からの解放を自らの手で行う、と。誰かに押し付けてはいけない、と。

 三者の双眸が、鋭く眼前の相手を捉えた。

 直後、村長が風を切る勢いで振り上げた手を下ろす。


「行きなさい私のガルムたちッ! あの三人を食い尽くすのです!」


 掛け声と共にガルムが凶暴な口を開いて、三人に襲いかかる。

 つい先刻と同じ構図。

 だが、もう躊躇ったりはしない。

 リュウはほんの一瞬だけ瞑目する。

 その先にいるのは、四足で地面を駆るガルムなどでは決してない。

 無邪気な笑顔を讃えた、一人の少女《リリス》だ。

 リュウは手元の剣に力を込め、正面から突進してくるガルムに向けて一閃を放つ。

 互いの体が交差するとき、その耳元で少女にしか聞こえないようにリュウはささやいた。


『ごめんな』


 リュウとガルムの体が交差する。

 傷一つないリュウに対して、ガルムの体は真っ二つに両断されていた。

 二つに裂けたガルムの体から、肉が、骨が、内臓が、こぼれ落ちていく。

 幾度となく魔獣と戦い、その命を絶ってきたリュウだが、その心は言いようのない痛みに襲われる。

 もう二度と、自分の後ろの少女が立ち上がることはない。

 リュウは大穴の上から自分たちのことを睥睨する、その醜悪な怪物に向かって、剣を振り上げる。


「お前だけは、絶対に許さないッ」


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