19話 明日に向けて
事件から一夜明けた翌日。
騒ぎを起こした張本人である村長はジュードに拘束され、村人たちには事情聴取が行われた。間接的にとはいえ、彼らも事件に関わっていたのでしかたないだろう。女主人の言によれば、村人たちは脅されて協力させられていたということなので、厳罰ということはおそらくない。
一方、リュウとリーナは昨日リリスが案内してくれた丘から少し離れた場所に位置する墓地へとやってきていた。
この墓地はセイラム村の村人たちが安らかに眠るための場所であり、本来であれば外部の人間が立ち入ることは好ましくないが、今日は例外だ。
リュウは立ち並ぶ十字架のうちの、一つの前で止まった。
それは昨日、リュウたちがここにきたときには存在しなかったものだ。
「リリス……」
十字架の前にはまだ瑞々しさを保った一輪の赤い花が添えられている。それはリュウたちが守れなかった小さな少女のための手向けだ。
昨日まで無邪気に村を走り回っていた少女はもういない。
突きつけられた残酷な現実が、どうしようもなくリュウの胸を打つ。決して傷つけることでのできないリュウの体に穴が開くほどに。
リュウは自身の胸を激しく掴んだ。
「何が『国の双璧』だ、何が竜の力だッ! 俺はたった一人の女の子も守れない……っ」
「マスター……」
墓に向かって一人つぶやくリュウの背中を、リーナは心配げに見守る。
何か声をかけるべきかと悩みつつ、今のリュウにはどんな言葉も届かないとリーナは思った。
膠着する二人のタイミングを見計らったように、墓地に面する林から一人の男があらわれた。
その男は少女の墓の側で佇む二人のもとへとやってくる。
「……すまない。僕が昨日ここで魔獣が近づいていることに気づいていれば、彼女は死なずに済んだ。……すまない」
握った右手にぎゅっと力を込めながら、ジュードは懺悔するように言った。
思えば不思議なものだった。
昨日、死者に祈りを捧げていた少女は、今は祈りを捧げられるようになり。
昨日、一人の人間から懺悔を受けていた騎士は、今は懺悔をする側になり。
昨日と今日は、こんなにも違うのだ。
「……わかってるんだ。誰も悪くないってことは。ジュードも、宿の主人も、村人も。誰も悪くない。ただ誰も悪くなかった結果、リリスは死んだ」
ジュードは己を責めるだろうが、そのことも理解しているだろう。女主人が村の秘密を話した時点で、村長が魔獣を操れるなんてことは予想できるはずがないのだから。
それでも騎士としての高潔さが、きっと彼自身を赦しはしない。
そんな理不尽と向き合っていかなければならないのだと、彼は自覚している。
ふとリュウは正面にあるリリスの墓を見つめた。
そのまま左足を半歩前に踏み出し膝を折り、右膝を地面につける。そして右手で剣を抜き、それを地面に突き立てた。
不安そうに見守っているリーナがその行動に首を傾げた。
隣に立っていたジュードはその様子を見て、リュウの行動の意図をリーナに説明する。
「あれは騎士が主君に向かって最大の忠義を示すときの姿勢さ。普通の騎士にとって最大の忠義を尽くす相手といえば王になるが……」
そこまでの説明を聞いてリーナはリュウの行動の意図を理解した。
つまり、それはリュウが誰のために剣を振るうかという問いに対する答えなのだ。その相手はリリスでもあり、この国に住むすべての人々のためでもある。
リュウが剣を振るうのは、どこまでいってもそのためなのだ。
じっと体勢を変えないまま、リュウは瞑目した。
少女の眠るその場所に向かって、リュウは心の中で唱える。
『ごめんな、リリス。……お前を、助けてやることができなかった』
そのときだ。
地面に突き刺した剣を握る右手に、温かい何かが触れるのを感じた。
驚きに顔を上げるリュウ。
温かい感触のぼやけた輪郭が、徐々に明らかになっていく。
――それは、小さな少女の手だった。
自分の右手に重ねられたその手の温もりを感じて、不意にリュウの頬に熱いものが伝った。
その名を呼ぼうとしたとき、聞き覚えのある優しい声がリュウの耳に届く。
『世界がやさしかったらいいのにね』
言葉と同時にリュウの右手を覆っていた温もりは消えていく。
まるで空に消えていくかのように薄れていくその感触を追って、リュウは空を見上げた。
向けた視線の先にあるのは、どこまでも抜けるような青。
リュウの力で生まれた鈍色の雲は、一片たりとも存在しない。
「……あぁ、そうだな。きっとやさしい世界に、してみせる」
それが誰に向けられての言葉だったのかは、明白だ。
リュウは頬に残る軌跡を拭いとると、大きくひとつ深呼吸をした。
深く息を吸い込んで、肺に溜めた空気を吐き出す。
そうして蓄積していた何かを入れ替えると、リュウはぱんと自分の頬を叩いた。
突然の奇行に驚くリーナの方を振り返ると、リュウは笑って言った。
「そろそろ行くか」
しんみりとした空気を振り払うかのように、快活にそれを言葉にする。
リーナはそれを空元気と受け取ったのか、不安そうに見つめた。
「……マスター、大丈夫……ですか?」
「あぁ。いつまでもくよくよしてても始まらないからな」
昨日、この場所でリリスが言った言葉を思い出す。
『ううん、いいの。もちろんパパやエリィちゃんがいなくなったときはつらかったけど、きっとわたしが元気にしていれば二人も喜んでくれるから』
いつまでも辛い顔ばかり浮かべていては、リリスに顔向けできない。
あんな小さな女の子が見せた強い生き様だ。
騎士の、既に自称騎士ではあるが、自分も強く生きないと馬鹿にされてしまう。
その言葉を受けて、リーナもつられて弾けるような笑顔を見せた。
「……はい! マスター!」
一歩踏み出したリュウの、半歩後ろをリーナがついていく。
* * * * * * * * * *
リュウとリーナがセイラム村を出発しようと村の出口に到着すると、そこに女主人がやってきた。
息を切らせてやってきた様子を見ると、何かリュウたちに用があってのことだろう。
どうしたのかとリュウが問う前に、女主人は何かを握った右手を差し出してきた。
開かれた手のひらの上には、リリスの赤花のブローチが輝きを放っていた。
「これを……あなたたちに持って行ってほしいんです」
言いながら女主人は、ブローチをリュウへと手渡してきた。
赤花のブローチは、リリスが父親にもらったという代物だ。つまりそれは、女主人にとって夫の形見でもあり、いまや娘の形見でもある。
そんな大切なものをあっさりと受け取れるはずもなく、リュウは確認した。
「いいのか?」
「……はい、娘は常々『大きくなったら村の外に行ってみたい』と言ってましたから。だから、あなたたちの旅でその景色を娘に見させていただければ、と」
女主人はそこで区切ると、続けて言った。
「それに……、娘はあなたたちといっしょでとても楽しそうでしたから」
目尻に涙を溜めながら、女主人は口にした。
よく見れば瞳の周りは赤く腫れ上がり、一晩中涙を流したことが窺える。
熟考した上での決断だろう。
リュウはそれを丁寧に受け取った。
「リリスは『王城と秘密の花園が見たい』って言ってた。……必ず彼女をそこにエスコートする。約束だ」
女主人に向かって真っ直ぐと告げると、彼女は瞳を潤わせながら笑った。
誰の目にも強がりとわかるその笑顔は、どこかの少女にそっくりのものだった。




