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帰る場所は海の底  作者: cat-run
第二章 海衛団

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第八話 第一関門

第二章 海衛団

       第八話 第一関門


 早朝。


 カイはゆっくりと目を覚ました。


 視界に入ったのは、見慣れない天井。


 そして――


「……いい匂い」


 鼻をくすぐる、香ばしい焼き魚の匂い。


 エメラルドグリーンの光が窓から差し込み、部屋を淡く照らしている。


 ――そうだ。


 昨日の出来事を思い出す。


 ここは海底王国。


 そして、この部屋は――


「マールの家……!」


 カイは、勢いよく上半身を起こした。


 辺りを見回す。


 すると、台所に立っているマールの姿が目に入った。


 マールもカイが起きたことに気づき、一瞬だけ驚いたような表情を浮かべる。


 しかし、すぐにいつもの笑顔へ戻った。


「おはよう。いい天気だね」


「……」


 カイは、しばらくマールを見つめる。


 そして――


 なるほど。


 ここが天国か。


 朝から焼き魚を焼いてくれている少女。


 差し込むエメラルドグリーンの光。


 そして、昨日までの慌ただしさとはかけ離れた穏やかな空気。


 カイは、目の前にある幸せを噛み締めるように息を吐いた。


「何してるの?」


 台所へ近づき、マールの手元を覗き込む。


「カイのために、ご飯を作ってるの」


 そこには、綺麗に焼かれた魚があった。


「鯛……?」


「うん。今日から海衛団に入るんでしょ?」


 マールは鯛を皿に盛り付ける。


「武運を願って、朝ごはんに焼いてみたの」


「武運って……」


 そこまで言われると、少し大げさな気もする。


 だが――


「ありがとう」


 素直に礼を言った。


 二人は向かい合うようにして、食卓につく。


「それじゃあ――」


 カイは両手を合わせる。


「いただきます!」


 箸を手に取り、焼き魚を頬張る。


「……!」


 思わず目を見開いた。


「うまっ!」


 焼き加減が絶妙だった。


 外は香ばしく、中はふっくらとしている。


「よかった」


 マールも嬉しそうに笑う。


 カイは夢中になって鯛を食べ進める。


 だが――


「……米が恋しい」


「コメ?」


 マールが首を傾げる。


「米って知らない?」


「うん」


 どうやら、マールは米を知らないらしい。


 カイは少し考えてから、力説する。


「米っていうのは、白くて最強の主食で――」


「最強?」


「そう。合わない食べ物なんて存在しない、究極の食べ物だよ」


「……ふーん?」


 いまいち理解していないらしい。


 まあ、いい。


「地上に行けば食べられるよ」


「……!」


 その言葉に、マールの表情が少し明るくなる。


 結局のところ――


 地上に行けば、すべてが解決する。


 米もある。


 新しい生活もある。


 そして、マールがずっと望んでいた世界もある。


「よし」


 カイは立ち上がった。


「さあ、行きますかね。王城へ!」


 勢いよく食器を片付けようとするカイ。


 そんな彼を見て、マールが申し訳なさそうに口を開いた。


「そのことなんだけど……」


「?」


「私はこれから朝市に行かなきゃいけないの」


「……あ」


「ホントごめんね!」


 マールは申し訳なさそうに頭を下げる。


「いや、いいよ」


 カイは笑った。


 昨日までは、何もかもマールに頼っていた。


 ここへ来てから、道を教えてもらった。


 食事を奢ってもらった。


 家にも泊めてもらった。


 でも――


 これからは、自分で道を切り開かなければならない。


 そう思うと、不思議と気持ちが引き締まった。


 カイの中にある覚悟が、また一つ強くなる。


「でも……」


 マールが、少し心配そうに口を開く。


「辛いことや悲しいことがあったら――」


 一度言葉を止める。


「もちろん、何もなくてもいいから。いつでもここに帰ってきていいからね」


「……」


 カイは黙ってマールを見る。


 帰ってきてもいい場所。


 そう言ってくれる人がいる。


 それが、どれだけ心強いことなのか。


 カイには、少しずつわかり始めていた。


 強く拳を握る。


 そして――


「うん」


 大きく頷いた。


「約束は忘れないでね」


「わかった」


「あと、くれぐれも無茶なことはしないように」


「……はい」


「ちゃんとご飯も食べるんだよ?」


「……はい」


「危ないと思ったら逃げるんだよ?」


「はいはい」


 まるで、我が子を送り出す母親のような口調で、マールは矢継ぎ早に言葉を重ねていく。


「大丈夫だって」


「本当に?」


「本当に」


 カイは苦笑する。


「じゃあ――行ってくる」


 支度を終えたカイは、玄関の扉を勢いよく開けた。


「いってらっしゃい。気をつけてね」


 マールが笑顔で見送る。


 カイも振り返り、小さく手を振った。


「行ってきます!」


◇


 イルカーに乗り、停留所からしばらく歩くと王城が見えてきた。


 昨日と同じように、正門の前には二人の衛兵が立っている。


「おはようございます」


 カイが声をかける。


「昨日、プロテウス様と面会したカイです」


 衛兵にいくつか質問をされる。


 カイはそれに答えていく。


 やがて――


「確認しました。どうぞ」


「ありがとうございます」


 昨日と同じように、快く城内へ案内された。


 カイは正門をくぐる。


 その瞬間だった。


「失礼します」


「……え?」


 背後から声がした。


 次の瞬間――


 視界が真っ暗になる。


「ちょっ――」


 目隠しをされた。


 さらに耳には何かを詰め込まれる。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 何が起きているのかわからない。


 すると――


「失礼します」


 身体がふわりと浮いた。


「うわっ!」


 どうやら、衛兵の一人に背負われたらしい。


 そのまま運ばれていく。


 右へ。


 左へ。


 また右へ。


 そして左へ。


 目隠しと耳栓のせいで、現在地がまったくわからない。


 しばらくすると――


「……ん?」


 身体に伝わる感覚が変わった。


 下へ進んでいる。


 階段だ。


 一段。


 また一段。


 どんどん下へ降りていく。


 それに伴って、空気も変化していった。


 少しずつ濃くなっていくような感覚。


 そして――


 冷たい。


 肌に触れる空気が、明らかに先ほどまでとは違っていた。


 やがて、足音が止まる。


「到着しました」


 背中から下ろされる。


 そして、目隠しと耳栓が外された。


「……」


 カイは、恐る恐る目を開く。


 そして――


「……ここは?」


 辺りを見回す。


 そこは、明らかに王城の地下だった。


 地下は、巨大なトンネルのような構造になっている。


 床も。


 壁も。


 天井も。


 すべて石造り。


 だが、ただの石ではない。


 石と石の隙間から、青い光が漏れ出している。


 その光が、薄暗い地下空間をぼんやりと照らしていた。


 奥へ。


 どこまでも続いているように見える。


 そのとき――


「来たか」


 低い声が響いた。


「……!」


 トンネルの奥から、一人の男が姿を現す。


 海底王――プロテウスだった。


「どうも……お世話になります」


 カイは頭を下げる。


 相変わらず、どう話せばいいのかわからない。


 王様相手の会話など、何度経験しても慣れるものではなかった。


「着いてこい」


 プロテウスは、それだけ言うと歩き出した。


「え?」


 カイも慌てて後を追う。


 来た道を戻るのかと思った。


 しかし、プロテウスはそのままトンネルの奥へと進んでいく。


「今から其方には、軽い入団試験を受けてもらう」


「……え?」


 カイの足が止まりかけた。


 ――入団試験?


 そんな話、聞いていない。


 昨日は確かに、


 ――やります。


 そう言った。


 だが、てっきりその場で入団が決まったものだと思っていた。


 ――確約じゃなかったのかよ!


 心の中で悲痛な叫びを上げる。


 しかし――


 落ち着け。


 覚悟を決めたんだろ。


 今さら逃げるわけにはいかない。


 カイは気合を入れるように、両手で自分の頬を軽く叩いた。


「其方が無事に認められたのなら、我らの仲間となるだろう」


 プロテウスが淡々と続ける。


「だが――認められなかった場合は……」


「……」


 その先を聞くのが怖い。


 もしかして――


 殺される?


 そんな考えが頭をよぎり、カイは思わず身震いした。


 だが、プロテウスはそれ以上何も言わない。


 そのまま、黙々と歩き続ける。


 しばらくすると――


「……あれは?」


 前方に、大きな扉が見えてきた。


 近づくにつれて、その巨大さがはっきりしてくる。


「……でか」


 思わず呟く。


 高さは、ゆうに十メートルはある。


 扉の前まで辿り着くと、プロテウスは足を止めた。


 そして、カイへ向き直る。


「これより、試験の説明をする」


「はい」


「試験内容は、この部屋に保管されている核に触れる。それだけだ」


「……それだけ?」


 思わず聞き返す。


 あまりにも簡単な内容だった。


 だが――


 こういうときほど、油断してはいけない。


 簡単に見えるものほど、何か裏があるかもしれない。


「……あの核について、詳しく教えてもらえませんか?」


「うむ」


 プロテウスは頷く。


「其方も疑問に思ったことだろう。このような海底になぜ空気があり、人々が生活を営むことができているのか」


「……確かに」


 それはカイも気になっていた。


 海の底。


 それなのに、普通に呼吸ができる。


 街があり、人々が暮らしている。


 その理由を、カイは知らない。


「その理由は、アクアエネルギーと呼ばれる、底知れぬ未知のエネルギーの効力が働いているからだ」


「アクアエネルギー……」


「詳しい原理までは、我々にもわかっていない」


 プロテウスは続ける。


「だが、そのエネルギーは海底王国全体に作用し、我々海底人の生活を支えている」


「……」


「そして、アクアエネルギーがもたらすものは、環境だけではない」


 プロテウスの言葉に、カイは耳を傾ける。


「アクアエネルギーの核に選ばれた者には、その力の一部が分け与えられるのだ」


「……!」


 カイの脳裏に、昨晩の光景が蘇る。


 マールが手をかざす。


 淡く光る水の球。


 そして、それがベッドへと変化した。


 ――もしかして。


「どのような力なんですか?」


「基本的には、水を生み出したり、操ったりする能力だ」


「水を……」


「それを応用すれば、深海の水圧に耐えることもできる。呼吸を可能にすることもできる」


 プロテウスは、一拍置いてから続けた。


「そして――戦闘に利用することもできる」


「……!」


 間違いない。


 マールは、その力を持っている。


 昨晩見た、あの不思議な能力。


 あれはアクアエネルギーによるものだったのだ。


 だが――


 なぜ、マールが?


 彼女は自分と同じ人間だと言っていた。


 それなのに、なぜ彼女にはそんな力があるのだろう。


 新たな疑問が、カイの胸に浮かぶ。


「我が海衛団は、そうした能力を授けられた者たちを集め、海底王国の治安維持に努めている」


「なるほど……」


 海衛団。


 昨日聞いた言葉の意味が、少しずつ繋がっていく。


「では――」


 カイは恐る恐る尋ねた。


「もし、これで認めてもらえなかったら?」


 プロテウスは少しだけ目を細める。


「その場合は、海底王国で人生をやり直すか――己を極限まで鍛え、入団を目指すかだ」


「……」


「ただし、後者は入団できたとしても、出世は望めぬだろう」


「……そうですか」


 つまり――


 ここで認めてもらうしかない。


 自分で戦う力を持っているわけでもない。


 ならば、この試験に賭けるしかない。


「本当に……触れるだけでいいんですね?」


「ああ」


 プロテウスが頷く。


「覚悟はできたかな?」


「……はい」


 こういうことは、いつまでも引きずっていても仕方がない。


 やるしかない。


 一発で、ビシッと決めてやる。


 カイは深く息を吸った。


 そして、改めて決意を固める。


 地上へ帰るために。


 マールとの約束を果たすために。


 そのための第一関門だ。


「では――」


 プロテウスは、巨大な扉へ手をかける。


「健闘を祈る」


 重々しい音を響かせながら、扉がゆっくりと開いていく。



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